- JellyFish_Sunny
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発泡酒ふいた(笑) RT @chronekotei: 「そうですね、あの橋はちょっと遠すぎましたね」てのは、現代語に意訳すると「くりすばずびーってだぁれ?」と謂う意味になる。
2011-11-27 17:33:51@sayakatake 伝統的な文学で教育せず、推理小説で教育するとだいぶ違うんじゃないかと思いますが、それはそれで重箱の隅をつつく方向に行ったりしそう(笑)。卒研の指導が毎年ほぼ作文の指導になるので、国語教育どうにかしろと思うこともしばしばで。
2011-11-27 17:34:14「それが文章の幅広さだ」みたいな言い方をしてごまかしてるけど、ハッキリ性格の違う文章が存在するんだと認識して、分けて考えたほうがいい。
2011-11-27 17:34:14@chronekotei 国語の参考書で、説明文と小説で分かれてたりするので、意識はするんでしょうけど。もっと説明文を書かせる訓練をしてほしいなあ、と。
2011-11-27 17:36:23@apj それには同感ですね。とくにこれだけテキストオンリーのコミュニケーションが活発化してくると、表情や動作や人的迫力で補うことが出来ませんし。
2011-11-27 17:37:30@chronekotei 現代国語って、生徒目線では、メールで友達同士やりとり出来るようになったあたりで「何でまだ勉強せなあかんの?」となりがちなように思います。私は進学校で教えたことはないので全体像を語れるわけではありませんが。
2011-11-27 17:39:41@chronekotei 私は小学校2年生の時親の転勤で、日本人が自分一人の古めかしいミッションスクールにいれられたんですね。そこの英語の時間(=国語)があまりにも日本のと違っていて衝撃でした。
2011-11-27 17:47:29@chronekotei 元いた日本の小学校は作文とか詩を書くのが奨励されて「子どもらしい素直な感性を!」みたいだったのが、綴りとcomprehension(読解)と作文をえんえんやる世界になったのです。
2011-11-27 17:48:42@chronekotei 多分彼らはネットもある種の芸術鑑賞(お察しください)やお買い物くらいでしか使えてないのではなかろうかと…。あ、「実用的文章」と「芸術的文章」は分けて教えていました。ただ実用のレベルが仰有っているのと違うかとは思いますが。
2011-11-27 17:50:11@chronekotei comprehensionの教材も文学みたいなのではなくふつうの文章で、設問は内容をきちんと把握しているか確認するためのもの。登場人物の気持ちは?ではなく。事が起きた順序とか、人間関係を説明したりもよくありました。作文も型が決まった文章を書く練習。
2011-11-27 17:50:33@chronekotei 高校で情報科の授業をするのなら、国語教育も、相手の暗黙知を前提とせず、誤解を生じない文章を読み書きする、というものに変えないとねぇ。
2011-11-27 17:51:14@chronekotei 今もそうだか判らないのですが、とりあえず小学生に詩を作らせたりするよりは、他人が言っていることが理解できるようになり、自分が理解したと思うものを他人に伝える練習はもっと初等教育でした方がいいんじゃないか、とtwitterをやって特に思うように笑
2011-11-27 17:51:34@secilia2010 ええ、そちらのほうが数段ファンダメンタルな文章力と謂えると思います。ガキの内から文章なんて恣意的で正解がないのが当たり前だと教えるとろくなことはありません。
2011-11-27 17:53:37@chronekotei 理解して下さってありがとうございます。そっちの力をつけてやる方が親切ですよね。お客の話を聞いて、何を最初にやらなきゃいけないか考える、という能力の方が文学を味わう(まして詩作する)より使うんだし。
2011-11-27 17:57:15@chronekotei で、国語の教師になる人ってもともと文学好きが多いだけに…。いま日本だと教育のどの段階で5w1Hを教えているんでしょうか。まわりの大学生を見ていると不安になります・・・。
2011-11-27 18:00:41@secilia2010 文芸の読解って、そのファンダメンタルな読解の先にあるべきものですよ。まずは基礎から訓練させるのは当たり前の順序です。
2011-11-27 18:03:46