1945年5月5日のドイツ海軍掃海艇M612での反乱事件

けるちゃ氏による1945年5月5日のドイツ海軍掃海艇M612での反乱事件のまとめ
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けるちゃ @kerutya

先日からつらつらとまとめていた大戦末期に独海軍の艦艇で発生した反乱事件、需要なさそうだがせっかくまとめたのでTLに流すか。 欧州における大戦が終わろうとしている1945年5月5日朝、一隻のドイツ海軍掃海艇で反乱事件が発生した。事件の舞台となったのは独海軍の掃海艇「M612」

2023-08-26 20:53:24
けるちゃ @kerutya

1940年型を改良した1943年型掃海艇の一隻でロストックのネプトゥーン・ヴェルフト造船所で建造され同クラス最後の船。なおかつ戦時中に独軍に引き渡された最後の掃海艇だと言われている。就役は欧州における戦争末期の1945年4月で独海軍第12掃海隊に配備された。

2023-08-26 20:54:13
けるちゃ @kerutya

艇長はディートリヒ・クロップ中尉。掃海艇「M612」の乗組員はドイツ全土のみならず、ポーランド出身の民族ドイツ人を含む若者たちであり、その大半は18歳から25歳で非常に経験の浅い乗組員たちだった。

2023-08-26 20:55:15
けるちゃ @kerutya

配備後、訓練等を行いつつ4月25日にロストックを出てキールに移動。数日間の寄港後5月3日午後6時25分に出港した。これは戦闘の続くクールラントでソ連軍の包囲下に置かれた友軍将兵らの脱出支援という任務を帯びての出港であった。

2023-08-26 20:58:44
けるちゃ @kerutya

同日深夜、デンマーク南部のゾンダーブルク(セナボー)に入港。この時点でゾンダーブルクには14隻のSボートを始めとしたドイツ軍の艦艇が停泊していたと言われている。これらの艦艇の中には「M612」と同様にクールラントでの脱出支援の任務が与えられていたものもあった

2023-08-26 21:01:40
けるちゃ @kerutya

入港の時点で連合軍に対しての部分降伏の噂が流れており艇長のクロップ中尉は同じく入港した姉妹艇「M601」の艇長より「戦争は終わった」「クールラントへの作戦はもはやナンセンスである」と説得を受けるもクロップ中尉はこれを拒絶。あくまでも友軍の脱出支援のためクールラントへ向かう姿勢を見せる

2023-08-26 21:05:06
けるちゃ @kerutya

5月4日「M612」はゾンダーブルクを出港。作戦行動に備え、いったん北上し70kmほど離れたフレゼリシアに補給のため寄港。港内で燃料等の積み込みを行った後に停泊。そしてこの日の夜には無線で部分的降伏に関する情報が「M612」にも伝わった。

2023-08-26 21:07:45
けるちゃ @kerutya

この情報が伝わると、船内では戦争は終わりだという空気が強くなり、艇長が任務を継続する場合、実力をもってこれを阻止するという計画が一部の水兵たちによってなされるに至った。

2023-08-26 21:09:49
けるちゃ @kerutya

5月5日朝8時、、前日にハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク海軍大将が署名したオランダ・デンマーク・北ドイツにおける連合軍に対しての部分降伏が発効したまさにその時間、「M612」は停泊していたフレゼリシアを出港した pic.twitter.com/5pSxrGjEwc

2023-08-26 21:11:27
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けるちゃ @kerutya

その直後の8時30分、前夜の計画に基づき水兵たちによる反乱が発生した。この反乱の首謀者は21歳の機関兵ハインリヒ・グラスマッハーだった。 pic.twitter.com/jHB7x9mt74

2023-08-26 21:12:52
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けるちゃ @kerutya

グラスマッハーは船内を移動中だった艇長のクロップ中尉に拳銃を突き付け拘束し艇長室に監禁すると仲間の反乱者たちと共に他の士官も拘束し掃海艇を掌握。彼らは既に終わった戦争にこれ以上関わることを拒否し故郷に帰るべくキール南東の港町フレンスブルクに進路を向けた。

2023-08-26 21:13:51
けるちゃ @kerutya

しかしながら反乱者たちにとって想定外の事態が発生する。フレンスブルクに向け南下を始めた掃海艇「M612」はゾンダーブルク港付近を通過中、航行するハンス・デトレフセン大尉指揮下の第3Sボート教育隊に属するSボートに遭遇した pic.twitter.com/nfi4ASqsYt

2023-08-26 21:16:08
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けるちゃ @kerutya

Sボートは「M612」に対して呼びかけを行うが返答がなく、さらに指揮官を出すよう重ねて通信を送るがこれにも返答がなかった。このことからSボート側は「M612」に対して停船を命令。しかし反乱を起こした水兵たちによって掌握された「M612」は指示を無視し南に向かって航行を続けた。

2023-08-26 21:18:33
けるちゃ @kerutya

増援を受け2隻となっていたSボート側は(「S68」及び「S65」(共にS38級後期型))はこれを受けてさらに応援の艦艇を呼ぶとともに進路を妨害し航行を阻むとともに停船しない場合は魚雷を撃ち込むと警告し、実際に雷撃の構えを見せた。 pic.twitter.com/4Ny9crueai

2023-08-26 21:22:37
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さらに現場海域にSボートからの報告を受けたゲオルク・クリスチャンセン中佐の指揮の下、Sボート母艦「ヘルマン・フォン・ウィスマン」及び「カール・ピータース」が到着するに至り遂に「M612」は停船した。 pic.twitter.com/6WY4sOwgAD

2023-08-26 21:24:18
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けるちゃ @kerutya

停船後、Sボート母艦から士官に率いられた選抜部隊が「M612」に移乗し直ちに反乱者たちの武装解除・拘束を開始した。この際、反乱者側からの抵抗はなく、ここに掃海艇「M612」で発生した反乱は鎮圧された。が、ここでこの事件は終わりではなかった

2023-08-26 21:26:01
けるちゃ @kerutya

反乱の鎮圧後、「M612」はゾンダーブルク近郊のアルス・スンド海峡に護送されそこに停泊し、船内にいた乗組員は船首に集合させられた。その中から未だ拘束されていない反乱の参加者が探し出され、最終的に20名が戦時反逆の容疑で拘束された。

2023-08-26 21:27:16
けるちゃ @kerutya

5月5日午後6時10分、第12掃海隊指揮官のフーゴ・パール大佐の要請で拘束された20名に対しての軍法会議が開始された。司法官のアドルフ・ホルツヴィッヒが検察官をフランツ・ベルンズが裁判官を務める軍法会議はわずか1時間足らずで結審し11名に銃殺刑、4名に懲役3年、そして5名に無罪の判決が出された

2023-08-26 21:32:53
けるちゃ @kerutya

軍法会議の結果を報告されたフーゴ・パール大佐は軍法会議の下したこの判決を直ちに確認した。またこの際、パール大佐は被告人たちに対しての恩赦を認めず、刑は速やかに執行されることとなった。

2023-08-26 21:33:54
けるちゃ @kerutya

執行に当たる銃殺隊の編成は軍法会議の開始前から行われていた。当初は入港している艦艇から志願者を募り編成される予定であったが志願する者はおらず、やむを得ずゾンダーブルクの地上勤務者で編成された。この銃殺隊は軍法会議の開始時には既に「M612」に乗船し待機していた。

2023-08-26 21:34:57
けるちゃ @kerutya

銃殺隊の指揮はSボート部隊指揮官ルドルフ・ペーターゼン代将の副官であるカール・ハインツ・メルケル中尉が執り。刑の執行は5月5日午後11時25分から翌6日午前1時までかけて行われ、「M612」の乗組員は船首で行われるこの処刑に立ち合い、すべてを見届けることを命じられた。

2023-08-26 21:35:57
けるちゃ @kerutya

銃殺刑に処される11名は2名ずつ目隠しをされた状況でサーチライトに照らされた「M612」の船首に連行され、そこで銃殺隊により射殺されていった。

2023-08-26 21:37:25
けるちゃ @kerutya

銃撃後、遺体は懲役刑を宣告された4名の手で浮かび上がらぬよう重量のある魚雷の予備部品を括り付けたうえで海中に投棄され、さらにその4名は処刑場となった船首の血を洗い流し次の2名の処刑場を整える作業を強いられた。

2023-08-26 21:38:39
けるちゃ @kerutya

集合させられた乗組員の目の前で刑の執行は進み、最後に首謀者であった21歳の機関兵ハインリヒ・グラスマッハーに対しての銃殺刑が執行され1945年5月6日午前1時、戦争末期の独海軍で発生した反乱事件は幕を下ろすこととなった。

2023-08-26 21:39:45
けるちゃ @kerutya

事件後の「M612」は引き続きクールラントでの作戦に投入されることも検討されたが、結局は中止となり、フレンスブルクに向かいそこで降伏し残った乗組員は捕虜となった。皮肉なことに「M612」は反乱の発生によりクールラント行きを免れたばかりでなく反乱の目的地であった港に到達して戦争を終えた。

2023-08-26 21:42:06