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御義口伝、百六箇抄等の日興の真筆が残らない口伝の信憑性に関する考察

御義口伝や百六箇抄は日蓮真筆や歴史的根拠やに照らして、信頼たり得る御書であるか否かを論じてみました。
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komekome39 @komesandazo

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」 草木成仏口決 とあるためだ。即ち、御本尊の根本となる設計図は、寿量品にこそあると考えて良いだろう。それでは、文の底とは何か?これは後に考察する。

2023-11-29 22:32:44
komekome39 @komesandazo

加えて、御義口伝の初めての引用は、日朗門流で一致派で法華啓運鈔の作者である日澄。非常に不可解なのは、御義口伝は日興門流の日蓮本仏論の流れを汲む内容であることは明らかなのに、これが最初に文献として現れるのは、御義口伝の内容と矛盾する教義を持つ一派の人々という点だ。 続

2023-09-29 22:19:49
komekome39 @komesandazo

今まで見てきた、要法寺や大石寺による偽日蓮による後加文や偽書は、その当時の寺の経済状況や思想が明らかに反映されていることを論じたが、御義口伝の場合はこれが全く当てはまらない。一致派の日澄にとっても、八品派の僧侶たちにとっても、不都合なことがちゃんと述べられている。 続

2023-09-29 22:23:55
komekome39 @komesandazo

「凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門とは云うなり、此の重に至らざるを始覚と云い迹門と云うなり」 迹門が本門に劣ることがちゃんとここで述べられている。 続

2023-09-29 22:30:37
komekome39 @komesandazo

「人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」 「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事(略)此の品の題目は日蓮が身に当る大事」 釈尊と日蓮の関係が一仏二体であるならば、法体は同じものでなければならない。しかしこの御書は法華経=釈迦 題目=日蓮 となっている。

2023-09-29 22:38:00
komekome39 @komesandazo

更に引用するなら、「大音声とは権教は小音声・法華経は大音声なり廿八品は小音声・題目は大音声なり」という箇所があり、明らかに題目>法華経となっている。即ち、大聖人>釈迦という不等式が成り立つ。こんなものを一致派の関係者や八品派の関係者が捏造する道理はない。 続

2023-09-29 22:40:34
komekome39 @komesandazo

更に、彼らが活躍した主な地は京都であり、日興門流の富士とは物理的にとても離れている。即ち、この文献は彼らが引用したり写本する遥か以前に存在しており、それが何らかの形で富士から京都に渡ってきた可能性が高いということだ。日澄という人は日蓮遺文に詳しい人であったということから、 続

2023-09-29 22:53:11
komekome39 @komesandazo

そうした類の僧侶が、富士から日蓮遺文関連を京都へと取り寄せたのだろう。事実、彼の著書の法華啓運鈔には、日尊書写の如説修行抄も、御義口伝と並んで引用されている。それではここで問題となるのは、彼らが引用したり書写したりした原本の御義口伝は、一体どこから来たのかということだ。 続

2023-09-29 22:57:35
komekome39 @komesandazo

そのヒントとなるのが、実は大石寺の日精の日蓮聖人年譜にある。 「聖人山居の後門弟子の請により法華経の御講釈あり(略)日興達士の撰にあたり給ひしかば章安所録の天台の章疏に習って聖人の説法を記録し給ふ事、合して二百廿九箇条、其の外度々の聞を集めて日興記と名く、 続

2023-09-29 23:01:55
komekome39 @komesandazo

是れ聖人編集の註法華経に就ての口伝なり 御筆今重須に在るなり。」 即ち、御義口伝の原本となる日興の真筆は、重須こと北山本門寺にかつて存在したということだ。日興聖人は三十六年間重須におられた(大石寺ではない)。従ってそこで弟子達を集めて法華経の講義をしても全く不思議ではない。 続

2023-09-29 23:11:00
komekome39 @komesandazo

御義口伝はその存在が大聖人滅後から200〜250年経って文献に現れ始めたので、その辺りに捏造されたと推測するのは、そこに説かれた内容を完全に無視する極めて浅はかな考えでしかない。一致派とも八品派とも教義が矛盾する内容が説かれており、彼らが捏造したものでないことは明らかだ。 続

2023-09-30 11:00:25
komekome39 @komesandazo

八品派の教義は一仏二名となっており、大聖人を釈尊と同様の仏と見做しているのは以前述べたが、これは大聖人を大菩薩としか見なさない日朗派としては異例であり、彼らが御義口伝を捏造したというよりも、その一説、例えば、「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり」 続

2023-09-30 11:10:50
komekome39 @komesandazo

といった御義口伝の一説に影響を受けて、日興門流の教義に近づいた可能性すらある。そして、なぜ大聖人滅後200年経って突如として、日興門流とは無関係の京都の寺にこの御書が現れ始めたかという理由は、御義口伝に「秘す可し」多く述べられた通り、門外不出である重要書が、 続

2023-09-30 11:15:30
komekome39 @komesandazo

何者かによって重須から持ち出され、それが京都で広まったためと考えれば、上手く筋が通る。日興ではなく日興門流による何者かによって捏造された可能性も勿論ないわけではないが、その場合以前のべたこの問題が生じてしまう。 twitter.com/komesandazo/st…

2023-09-30 11:20:26
komekome39 @komesandazo

御義口伝は偽書と考える人々の大半は、日蓮本仏論を正当化するために、誰かがこの御書を捏造したと考えているようだが、これほどの書を作成できる人物であれば、御書の十大部さえあれば、簡単に釈迦本仏論を完膚なきまでに破折できてしまうだろう。極論すれば、観心本尊抄のみで日蓮本仏論は証明可能だ

2023-09-26 22:26:37
komekome39 @komesandazo

有名な御義口伝の疑惑として、補註とすべきところが科註となっているというものがある。科註四の文とは大聖人滅後14年目に元の徐行善が集めたものであり、それを大聖人が知るはずがないというのが、御義口伝偽書説の主な証拠となっているようだが、これだけで偽書と見なすことは不可である。 続

2023-09-30 11:30:49
komekome39 @komesandazo

その理由は、この書は大聖人が執筆されたものではなく、日興がその講義を聞いてまとめたものであるためだ。日興記とあるのはそのためだ。後に日興の弟子達のため、日興が書き留めた記録を再編集して講義したことは容易に推測できるし、その時に参考資料として追加したと考えれば何ら矛盾は生じない。

2023-09-30 11:35:52
komekome39 @komesandazo

又、日興ではなく、書写の際に何者かによる後加文が紛れ込んだという可能性もある。大量の後加文が挿入されたことが原因で、完全に偽書扱いされている残念な御書に百六箇抄がある。これは後に議論する。 なお、大石寺の書写はちゃんと補註となっているため、どうやらこれがオリジナルの可能性が高い。

2023-09-30 11:39:30
komekome39 @komesandazo

大量の後加文が挿入された御書=偽書という安易な議論に対する反論として、その御書の一説に、内容が高度すぎて、宗祖以外には誰も執筆できそうにないようなものが混ざっていることが挙げられる。仮に偽書なら、いつ、どこで、誰が、何の目的で捏造したのかという問題が生じる。

2023-09-30 11:47:34
komekome39 @komesandazo

百六箇抄のどこが凄いのか? 実はこの御書には、開目抄の「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」とはどの御文に沈めたのか、という答えがあることだ。この件に関するまとめがここにあるのだが、 togetter.com/li/2082708日寛の解釈は百六箇抄によるものと断定して良いだろう

2023-09-30 14:28:47
komekome39 @komesandazo

この疑問に対して、各宗派の高僧達は、自分たちの宗派の正当性を証明するために、様々な解釈を出して論争を繰り広げた。古くは日興の直弟子の三位日順から近年ではあの日顕まで、様々な意見が出されている。その中で日寛の解釈=百六箇抄の記載が最もエレガントで群を抜いていると言える。 続

2023-09-30 14:33:21
komekome39 @komesandazo

ではなぜこの日寛の解釈が最も素晴らしいのか?これは仏の秘密の教えに関することであり、教学でも明らかに最高レベルなので、私の能力でうまく説明できるか怪しいが、頑張って試してみようか。 まず初めに、文の底に沈められた一念三千とは一体何であるかという疑問が湧く。 続

2023-09-30 14:41:31
komekome39 @komesandazo

「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」観心本尊抄 即ち、文字曼荼羅に大書された南無妙法蓮華経を包み込むようにして書写された十界こそが、文の底に沈められた一念三千であると言えそうだ。即ち御本尊に関することだと見て取れる。 続

2023-09-30 14:45:41
komekome39 @komesandazo

次に、各宗派の高僧による解釈を、大学匠だった堀日亨上人による解説を頼りに、どのようなものであるかを見ていこう。 nichirengs.exblog.jp/23220480/ このブログは法華講のものだが、残念ながら堀日亨の解説はこれしかないので、これを参考にすることにする。

2023-09-30 14:50:00
komekome39 @komesandazo

日興の直弟子の三位日順は「如来如実知見等」の文の底に一念三千を沈めたと考えたようだ。その理由は、如来の知見が文上で、衆生の知見が文底に当たると考えたようだ。ここに如来と衆生の相互関係から十界互具が成り立ち、そこに一念三千が秘められているということだろう。よく考えたとは思うが、 続

2023-09-30 20:52:13
komekome39 @komesandazo

堀日亨は「相対的に解した浅義」としてこれを否定している。そもそもこうしたことを沈めて隠してしまう必要性はないだろう。次に大石寺の日有上人。「如来秘密神通之力」の文の底に一念三千を沈めたと考えた。これは「如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」 続

2023-09-30 20:56:11
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