佐藤俊樹氏の「数値」と「エビデンス」

「これだけわかれば全部わかる、「エビデンスと数値」の話!」
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佐藤俊樹 @toshisato6010

もってきても、それはエビデンスではありません。つまり、そうでない種類のYの出現比率は「エビデンスではない数値」です。 要点はこれだけです。明快でしょう?(^^ フッサールの現象学とか、ウィンデルバントの「法則定立的/個性記述的」とか、リッカートの「法則科学/文化科学」とか、

2023-11-03 20:26:21
佐藤俊樹 @toshisato6010

小難しい議論を知っておく必要も全くありません。いや、必要ないとつきとめるまでは、上の人たちの著作につきあう必要がありましたけどね……。

2023-11-03 20:29:41
佐藤俊樹 @toshisato6010

[5] 話がこんがらがるのは、これに余計な主張をつける人がいるからです。 例えば、事例研究のような因果の特定は「科学的でない」と主張する人たちもいます。つまり、「X1がある事例群SG1」と「X1はないが、それ以外は同じ事例群SG2」との間でのYが生じた比率の差以外は、「エビデンスではない」

2023-11-03 20:31:15
佐藤俊樹 @toshisato6010

という立場ですね。 ですが、これは無理筋の主張だと、私は考えています。なぜならば、理想的な比較実験以外では、「X1はないが、それ以外は同じ事例群SG2」を調べることができないからです。言い換えれば、理想的な比較実験以外のデータでは、実際に調べられているのは、

2023-11-03 20:32:40
佐藤俊樹 @toshisato6010

「X1はないが、X1以外のいくつかの変数(条件)はSG1と同じである事例群SG2*」です。SG2とSG2*は同じものではありません。SG2とSG2*は同じものだとするためには、「SG2*で実際には調べていない変数(条件)も、SG1と同じになっている」という仮定をおかなければなりません。

2023-11-03 20:35:20
佐藤俊樹 @toshisato6010

つまり、事例研究も、理想的な比較実験ではない計量研究も、実際には、一定の仮定をおいて因果を特定しているのです。そして、論理的な構造は同じものです。それゆえ、事例研究と計量研究の間で、因果同定手続きに基本的にちがいはありません。同じものなのです。

2023-11-03 20:36:07
佐藤俊樹 @toshisato6010

私自身の研究でも、人生史life historyの事例研究やそれに相当する個人的な経験をふまえずに、計量データの分析結果を社会学的に解釈できたことは一度もありません、その一方で、人生史や歴史的な出来事の事例研究では、類似していると思われる他の事例をできるだけ集めて、

2023-11-03 20:37:36
佐藤俊樹 @toshisato6010

要因統制に近い操作を、可能なかぎりやるようにしています。信頼性はやはり大事ですから。その上で、できない範囲は「仮定する」と述べるようにしています。 『社会学の新地平』の序章二節はその成果の一部でもあります。事例研究か計量研究かという二者択一は、百%無意味です。

2023-11-03 20:37:56
佐藤俊樹 @toshisato6010

[6] 「殴る/殴られる」に関していえば、本当は仮定をおいているのに仮定をおいていないとして因果を主張すれば、「殴る」ことになる、と私は考えています。また、自分の仮定は認められるべきだがそうでない仮定は認められない、と主張すれば、それも「殴る」ことになると考えています。

2023-11-03 20:38:16
佐藤俊樹 @toshisato6010

さらに、本当は同じものである事例研究と計量研究の因果同定手続きをちがうものだと主張することは、「殴る」ではないが、「知識不足」だと考えています。そして「知識不足」のまま、どちら一方の因果同定だけが正しいと主張するのは、やはり「殴る」ことになると考えています。

2023-11-03 20:38:34
佐藤俊樹 @toshisato6010

要するに、他人に対して開かれているコミュニケーションの場では、因果を主張する際にはエビデンスを示さなければならず、そのエビデンスはデータによるか仮定によるか、どちらにせよ、「X1以外は全てSと同じで、X1だけを欠いており、Yが生じていない」事例S2にあたるものであり、それゆえ、そのことを

2023-11-03 20:39:24
佐藤俊樹 @toshisato6010

明示しなければならない。そうした論証のプロセスから外れる因果の主張は、全て「殴っている」といえる、と私は考えています。 残念ながら、現在ではまだ、事例S2にあたるものを明示しない、すなわち要因統制がどの程度できているかを明示しない事例研究も、計量研究も、少なからず見られます。

2023-11-03 20:41:19
佐藤俊樹 @toshisato6010

とりわけ学術(アカデミズム)の外の言論では、ジャーナリズムもふくめて、そうしたものが多くあります。そのうちの、事例研究側の人は「計量研究に殴られている」ように感じ、計量研究側の人は「事例研究に殴られている」ように感じている、というのが、実際のところ

2023-11-03 20:42:04
佐藤俊樹 @toshisato6010

起きているのではないでしょうか。 だとすれば、解決策は、どちら側であれ、「殴られたくなければ、殴るな!」です。私自身はそう考えています。

2023-11-03 20:42:34
佐藤俊樹 @toshisato6010

[7] 新著の宣伝に話をもどせば、マックス・ウェーバーの社会科学の方法論というのは、以上のことを丁寧に述べたものなのです。だから彼は、歴史的な事例研究も計量研究も両方やっていますし、その間に区別をおいていません。そのことを方法論の形で最も体系的に述べた論文が、

2023-11-03 20:42:56
佐藤俊樹 @toshisato6010

1906年に発表された文化科学論文の第二節です。 ここでウェーバーは、当時の優れた歴史学者であるE・マイヤーによる1848年のドイツ三月革命に関わる出来事の事例研究と、やはり優れた歴史学者であり、ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」(倫理論文)にも影響をあたえた

2023-11-03 20:44:06
佐藤俊樹 @toshisato6010

G・フォン・ベロウによるその批判をとりあげて、マイヤーの事例研究での因果の特定とベロウによるその批判は、ともに、フォン・クリースが肺炎の原因特定という統計的分析や、馬車の転覆の原因特定という法的な判断から取り出した因果同定手続きと、同じ論理構造になっていることを論証しています。

2023-11-03 20:45:37
佐藤俊樹 @toshisato6010

そして、日常的な家族の会話でも、同じ構造がみられることを指摘しています。詳しいことに興味があれば。『社会科学と因果分析(第四刷)』の第11回~第12回を読んでください。 大塚久雄『社会科学の方法』はそうしたウェーバーの方法論を無視して、そこから

2023-11-03 20:47:06
佐藤俊樹 @toshisato6010

「本質的にはみ出すかもしれないもののなかに、彼の社会科学の方法」を見出そうとしたものでした(→【宣伝です5】)。それがどれだけ滅茶苦茶なことなのかも、以上の「数値」と「エビデンス」の話から、よくわかってもらえるのではないかと思います。

2023-11-03 20:47:45
佐藤俊樹 @toshisato6010

[8] 方法論の上でいえるのはこのくらいでしょうか。あとは具体的な使い方かな。事例研究で一番良いのは、あつかう事例が少ない分、一つの事例に関する情報量が多い。それゆえ、多くの変数をひろえて、その間の関連性も検討できるところだと思います。

2023-11-04 02:47:20
佐藤俊樹 @toshisato6010

私の場合、事例研究やそれに相当する個人的な経験をふまえないと、計量データの分析結果を解釈できないわけですが、その主な理由もそこにあります。事例をみていると、背後にある他の変数との関連性や、予想していなかった変数間の関連性に気づきやすい。

2023-11-04 02:49:24
佐藤俊樹 @toshisato6010

逆にいえば、そういう検討作業が並行的にできないと、こわくて計量分析の結果を解釈できない。そんな感じです。 けれども、このあたりは観察者の個人差が大きくて、もう一般論はしにくいように思います。実際、ウェーバーの人生史の研究はある時期まで膨大にありましたが、どんな変数に注目するかや

2023-11-04 02:50:35
佐藤俊樹 @toshisato6010

どれとどれが関連するかに関しては、強い決め打ちがされてきました。事例研究では対象を匿名化しにくいので、対象となる個人や個々の事象への評価、特に道徳的な評価につながりやすい。そのため、強い物語化の圧力も受けてしまい、定型的な関係性だけが拾われやすい。

2023-11-04 02:57:21
佐藤俊樹 @toshisato6010

そういう難しさもあるように思います。 いずれにせよ、事例研究と計量研究の間に本質的なちがいはない。だからこそ、そういうちがいを見出そうとすると、どんどん議論がおかしくなっていく。そう考えた方がいいと思っています。

2023-11-04 02:58:43