「なぜ東アジアで、日本にだけ武家政権が成立したか」の考察(※一方で、その前提に異議を唱える人も)

さらに進んでいくと「武家」そのものの定義にもなりましょう。(軍事力はもちろんどの政権・国家にもある。ただの「国の軍」と武家との違いは?)
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小島道裕 @kojimam1956

東アジアでは高麗の例を挙げられた方も複数いらして、たしかに「武人政権」として一般化し、日本の武家政権を相対化する考え方もあるようですが、「御家人制」的な制度が無いなど違う点も多いようですし、日本ほど続かず、「文よりも武を重んじる社会」にならなかった点は大きく違うのかと。

2023-11-11 22:03:59
小島道裕 @kojimam1956

ちなみに、「武家政権」という言葉は、管見では辞書にはなく、あるのは「武家政治」です。教科書もそのはずで、学習指導要領に関わった時も「武家政治」でしたから、まだ未熟な概念なのかと。「武家」は、日国大の用例は「吾妻鏡」文治2年(1186)2月25日条で、鎌倉幕府ができてからの言葉のようです。

2023-11-11 22:05:56
小島道裕 @kojimam1956

ちなみに、「武家政権」という言葉は、管見では辞書にはなく、あるのは「武家政治」です。教科書もそのはずで、学習指導要領に関わった時も「武家政治」でしたから、まだ未熟な概念なのかと。「武家」は、日国大の用例は「吾妻鏡」文治2年(1186)2月25日条で、鎌倉幕府ができてからの言葉のようです。

2023-11-11 22:05:56
小島道裕 @kojimam1956

「公家(くげ)」は、「朝廷に使える人々」の意味では「風姿花伝」(1402~02頃)が挙げられていました。「武家」ができて、それに対してできた言葉のようです。「武士」は古く、「続日本紀」でした。韓国語でも「ムサ(武士)」はありますね。日本に独自の「武家」ができたことの意味が大きそうです。

2023-11-11 22:11:34
小島道裕 @kojimam1956

日国大の用例で最近意外だったのは、「早乙女」の初見が「永承六年内裏根合」(1051)だったこと。「万葉集」にも「古今和歌集」にも無いんです。11世紀頃には、古文書の様式もそうですが、ジェンダーも大きく変わっているようで、武家や「武」の問題も、社会的・文明的に、この辺から何かあるのかと。

2023-11-11 22:21:41
小島道裕 @kojimam1956

日国大の用例で最近意外だったのは、「早乙女」の初見が「永承六年内裏根合」(1051)だったこと。「万葉集」にも「古今和歌集」にも無いんです。11世紀頃には、古文書の様式もそうですが、ジェンダーも大きく変わっているようで、武家や「武」の問題も、社会的・文明的に、この辺から何かあるのかと。

2023-11-11 22:21:41
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