豊田有恒さん逝去~その想い出と追悼

日本SF界の重要な開拓者の一人でした。その想い出、功績など。(中には当然、批判的な論評もあります)
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高井 信 @takai_shin

@msugaya 「何もしていない」、そうなんですよね。豊田さん、私にも同じようなことをおっしゃっていました。あんなにいろいろしてくださったのに。 豊田さんは私にとっても「師」です。すがやさんとツイッターでやり取りするようになったのは先月。そのときすでに、豊田さんは病魔に冒されていました。(続く)

2023-12-06 07:27:09
高井 信 @takai_shin

@msugaya これは何かの縁かもしれませんね。お目にかかる機会があれば、豊田さんの想い出話をお聞かせください。 今後ともよろしくお願いいたします。

2023-12-06 07:28:35
高井 信 @takai_shin

@msugaya すがやさんは豊田門下の先輩ですね。よろしくお願いいたします。

2023-12-06 11:30:10
すがやみつる @msugaya

@takai_shin 「ココロの門下」のつもりです。そんな意味では、パラレル・クリエーションの皆さんが羨ましかったです。

2023-12-06 11:36:02
すがやみつる @msugaya

豊田有恒さんを偲ぶ文章のつづきです。堅苦しいので敬称を変えさせていただきました。  2年前の今日(12月6日)、豊田さんの虫プロ時代からの畏友であり大親友だった石津嵐さんの葬儀が執りおこなわれました。そのとき豊田先生が弔辞を読んだのですが、虫プロ時代からの思い出を綴った内容は、聞いているうちに胸の奥から突きあげてくるものがあり、涙をこらえるが大変でした。  私が『アスガード7』の仕事で下北沢の豊田邸に通うようになった頃、私は東高円寺のアパートを住居兼仕事場にしていました。73年、石ノ森章太郎先生のピンチヒッターで旺文社の仕事をしたとき、編集者から、近所にいる作家さんのところにバイク便が行くので預けてほしいといわれました。教えてもらった住所を頼りに訪ねると、3軒ほど先に古いしもた屋があり、そこが石津嵐邸でした。 「お前、石森さんの弟子だって?」 「はい」 「俺は虫プロにいた頃、スタジオ・ゼロに『鉄腕アトム』の下請けを頼んだことがあって、そのとき、石森さんや鈴木伸一さんにも世話になってな」  当時、虫プロで進行をしていた石津さんは、あの伝説ともなっている『鉄腕アトム』のアニメ「ミドロが沼の巻」の制作担当者でもあったのです。  豊田さんとは虫プロにできた文芸課で一緒になり、ウマが合って仲よくなったのだとか。私が『アスガード7』を描きはじめた頃、ふらりと私の仕事場に立ち寄った石津さんが、「お前、豊田んトコに通ってるんだって?」と声をかけてきました。なんでも石津さんは、豊田さんの原案で小説を書くことになり、打ち合わせにいったら、たまたま「すがやみつる」の名前が出たとのこと。この頃には、近くのアパートに住まわせていた私の母も含めて、石津家とは、文字どおりの家族ぐるみのつき合いになっていました。石津さんとも、近所にあった奥さんの実家で、毎週のように麻雀牌を囲んだものです。  このときの豊田有恒・原案、石津嵐・作の小説が、まもなく朝日ソノラマから刊行される〈あの『宇宙戦艦ヤマト』(画像は文庫版)〉でした。 (つづく)

2023-12-06 16:05:50
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すがやみつる @msugaya

そんなこんなで石津さんが豊田さんと会うときには、「お前も来い」と呼んでくれたり、毎年、年末になると豊田邸で開かれるキムチパーティーに参加したり。キムチパーティーは、奥さんの久子さんが漬けたキムチをサカナに、作家やマンガ家、編集者などが大勢集まる恒例のホームパーティーでした。  豊田作品は、デビュー作の頃まで遡って、ほぼ全作を読み、すっかりファンになっていました。古代史をテーマにした作品も好きでしたが、それ以上に好きだったのが、長編・短篇を含む数々のアイデアストーリーでした。マンガ家でいえば藤子・F・不二雄先生のSFや奇妙な味の短篇に、ニュアンスが似ているかもしれません。星新一さんのショート・ショートよりも、ずっと現実的で身近でした。  豊田さんに作品の感想を話せば、何がヒントで、どのようにアレンジして書いたかということを、たちどころに解説してくれました。いまでいえば「AI」的といったらいいでしょうか、膨大な学習データが脳内に整理されていて、そこにあるネタ同士を結び付けてアイデアにし、作品に結実させていくという作り方のように感じていたものです。  私は、この直後、秋葉原でマイコンに出会い、パソコンやパソコン通信にのめり込んでいきますが、いつも夢見ていたのは、システマチックにプロットやストーリーを(大量に)作ること(できたらコンピューターにも補助させて)。そのためには、経験や勘や思いつきだけでなく、物語作りを「理論化」する必要があります。豊田さんの自作解題は、とてもロジカルで、そこがとても魅力的に見えました。  そんなことを石津さんに話したりすると、 「お前は豊田のこと好きだろ」 「わかります?」 「ああ。どっちも優等生タイプで似たもの同士だからな。同じ匂いがする」  なんてことを言われたものです。 『アスガード7』の連載が終わった直後の76年秋に、私は結婚しました。豊田さんに結婚の報告をしながら新婚旅行先の相談にものってもらい、紀伊半島を縦断することに。豊田さんの作品の影響で古代史ネタの作品をつくりたくなり、その取材も兼ねたもので、那智の滝や徐福神社のある新宮市、熊野神宮、吉野山、飛鳥をめぐる旅になりました。  これは、あまり話したことはないのですが、私の代表作である『ゲームセンターあらし』でも、豊田さんには、たいへんお世話になっているのです、実は。 「コロコロコミック」に読み切りで『あらし』を描いたのは78年秋でした。しかし、このときはアンケートの票が取れず、読み切りのまま終わりました。  翌79年の春、「コロコロコミック」増刊号(「ウルトラマン」総集編)で、ブームになっていたスペースインベーダーを使って、もう一度『ゲームセンターあらし』の読み切りを依頼され、打ち合わせのため編集部に出かけました。  そこで出たのが「どんなゲームのイベントにするか」ということでした。「イベント」という言葉を聞いて、とっさに想い浮かんだのが「疑似イベント」というSFのジャンル名でした。 「疑似イベント」という言葉を知ったのも豊田さんの口からでした。自作の解題をしてくださったとき、「疑似イベント」というジャンルについて、ていねいに教えてくれたのです。国産では『東海道戦争』(筒井康隆)あたりが疑似イベントの代表作とされていますが、たとえば戦争の目的がテレビで映されることになったりするおかしさやズレの具合を楽しむものといえるでしょうか。そんな意味では1991年の湾岸戦争以来、戦争は、すっかりテレビのコンテンツとなり、疑似イベントを現実のものにしてしまいました。 「ゲームも疑似イベントにできるんじゃないか」と思いついたとたんに、「後楽園球場のスコアボードにゲームの画面を映して、それで勝負するってのはどうでしょう?」というアイデアが口をついて出ました。それまであり得なかった「ゲームを大画面に表示して、何万人もの観客の前で対戦する」という設定が、「これだって疑似イベントでは?」と思ったのです。 「こういうのをSFでは『疑似イベント』というんです」と、付け焼き刃の知識をひけらかしたら、編集長が「ギジイベント」とカタカナでメモしていました。 (そういえば、アニメの創世記に、豊田さんがテレビ局で打ち合わせの席で「サイボーグ」の話をしたら、同席していた人が「細胞具」とメモしていたというエピソードがありましたね)  このストーリーにOKをもらって描いたところ、「ウルトラマン」総集編の増刊号なのに、『ゲームセンターあらし』が8割ものアンケートを集めてダントツの1位。その結果、『あらし』は「コロコロコミック」本誌で連載されることなり、翌年、コミックス第1巻が出ると、初版が発売日当日に完売して、その日のうちに初版よりも多い部数で増刷が決定……と、描いていた当人も、あれよあれよ……の状態になっていったのでありました。  そのきっかけは、豊田さんに教えていただいた「疑似イベント」だったのです。このような意味でも、豊田さんは、私にとっての大恩人でした。  その後も、豊田さん主催の韓国ツアーに家族で参加したり(済州島でウニに当たって食中毒になったり)、小説を書くようになったときは、励ましの会を開いていただいたりと、ずっとお世話になりっぱなしでした。  豊田さんは、還暦を過ぎてから島根大学の教員として赴任しましたが、その10年後には、私も還暦過ぎで京都精華大学マンガ学部の教員になりました。  そんな私に石津さんは、「お前は、豊田の背中を追いかけてばかりだな」と言いました。私は、それを肯定して、こう切り返しました。 「石津さんは反面教師、豊田さんは背面教師ですから」  その返事は「アホ!」でした。  ともに手塚治虫先生の信奉者であった豊田有恒さんと石津嵐さん。きっと今頃は、空の上で再会を果たしていることでしょう。そこで美味しいお酒を酌み交わしてください。  合掌

2023-12-06 16:14:40
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小松左京ライブラリ @SakyoLibrary

豊田有恒先生のご冥福を心よりお祈りいたします。 SF作家クラブの方々は豊田先生のお宅で麻雀をするのが大好きでした。 豊田先生宅を舞台にした小松左の短編「一生に一度の月」を大晦日まで公開します。 sakyokomatsu.jp/3123/ pic.twitter.com/b9eEdnTEVM

2023-12-05 20:31:59
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すがやみつる @msugaya

@SakyoLibrary 豊田邸では、キムチパーティーの際に、何度も麻雀をしました。田中光二さんと卓を囲んだとき、一巡目に田中さん以外の3人が連続でリーチをしたことも。田中さんは「やってられない」と嘆いていました。

2023-12-06 18:56:58
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