有原シンスケさんによる 『後平家物語』― 生き延びた安徳天皇その後

有原シンスケさんによる『後平家物語』tweetのまとめ
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読売新聞の書評欄を見ていたら、椹木野衣(さわらぎのい)氏が、私も関心を持ってた最近の本、與那覇潤(よなはじゅん)『中国化する日本』http://t.co/0rvyQxWWの書評をしていた。椹木野衣氏と與那覇潤氏、どっちもその名前が、読むのも書くのも難しい点で共通している。

2011-12-11 23:03:19
與那覇潤(Yonaha Jun) @jyonaha

な、なんかそんなことでも並べられてる…光栄です。 RT @alsinceke: 読売新聞の書評欄を見ていたら、椹木野衣(さわらぎのい)氏が、私も関心を持ってた『中国化する日本』の書評をしていた。椹木野衣氏と與那覇潤氏、どっちもその名前が、読むのも書くのも難しい点で共通している。

2011-12-12 10:19:41
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椹木氏のよるとこの本には、こんなことが書いてあるという。『そもそも、いま躍進する中国の原動力はなにか。宋代の徹底した近代化が、国家という概念さえ溶解しつつある現在の世界情勢に、前もって完璧に適合していたからだ。つまり、遅れた中国が西洋=近代化しているのではない。逆に、

2011-12-11 23:05:28
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世界の方がいま、やっと中華=近代化を余儀なくされつつあるのだ。』 

2011-12-11 23:07:04
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つーことは、歴史のIFで、平清盛が、もっと政権を維持して、福原遷都を成功させて「日宋貿易」を推し進める方向に日本が行ってたら、今頃どうなっているんだろう、、、? という想像力で「もしもーだったら」大河ドラマを別に製作して放映することにも意味ある、、、

2011-12-11 23:10:41
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RT @kousyou: “[書評]謎とき平清盛(本郷和人): 極東ブログ” http://t.co/Rm1YVpp5

2011-12-11 23:12:23
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RT @jyonaha: むぅ、大河に絡めたのが意外と宣伝に効くとは…RT @schadling 「中国化する日本」でも、源氏と平氏にまつわる教科書的な解釈が現在の歴史学の主流と乖離していると指摘。平清盛は先見性に優れた経営者 >清盛の二大事業、「厳島神社」と…” http://t.co/CyTAQpYF

2011-12-11 23:12:47
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RT @tsugamit: さおだけや氏が連載した「経営者平清盛の失敗」http://t.co/oimF60ko を読んでも思うのだが、人口動態と経済状況(とくに通貨)は、大変動期を扱う歴史研究には不可欠の視点。昔の歴史学者は何でやらなかったの?と思うが、この学際研究には大きなアップサイドありということで。

2011-12-11 23:12:20
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2011-12-11 23:10:58
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源義経=チンギス・ハーン説というのがあった。しかし、当時の源平合戦のさなかに、中国大陸と交流のネットワークを築いていたのは、源氏より平家のイメージがある。わたしは大陸へ渡ったのは、源義経ではなく、壇ノ浦に入水したはずの「安徳天皇」だったという奇説をかんがえる。

2011-12-13 17:36:07
原田 実 @gishigaku

1222年、ジャワにシンガサリ王朝を建てたケンアンロクこそ草薙剣を持った安徳天皇だった、という説ならすでにあります。@alsinceke わたしは大陸へ渡ったのは、源義経ではなく、壇ノ浦に入水したはずの「安徳天皇」だったという奇説をかんがえる

2011-12-13 17:39:00
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源義経=チンギス・ハーン説に対抗し、安徳天皇=チンギス・ハーンの長男(ジョチ)説、をかんがえてみる。安徳天皇は、壇の浦で入水したと見せかけ、お付きの者とともに当時の「宋船」に乗せられ、大陸へ逃げのびる。その後は数奇な運命を辿り、モンゴルの草原でハーンの幕屋に育てられることになる。

2011-12-13 17:44:02
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チンギス・ハーンの長男ジョチhttp://t.co/0N9fIftcとは、安徳天皇の別名である。現代の学問上、安徳天皇の生年は1178年、ジョチの生年は1177年とされているが、実は同一人物だったのである。「ジョチ」という名は、中世モンゴル語で「客」「旅人」を意味する。

2011-12-13 17:46:14
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2011-12-13 17:47:12
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壇の浦で安徳天皇の遺骸が見つかったわけではなく、生死は不明のため、後にいろいろな伝説を残すこととなった。なかには、安徳天皇は入水後に龍神に生まれ変わったという話も生じた。龍神は、平家物語を語る琵琶法師の守護神だった。琵琶法師は、平家に関する物語を琵琶に合わせて全国を語り歩いた。

2011-12-13 17:51:58
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安徳天皇に関して、『吾妻鏡』は「先帝はついに浮かばしめたまわず」と記すのみ。九条兼実の日記『玉葉』は「後事分明ならず」とあるのみ。安徳天皇や平家が落ち延びる可能性として、当時の東アジアのネットワークが考えられる。壇の浦合戦の時、平家の船に「宋船」が混じっていたと平家物語は伝える。

2011-12-13 17:54:27
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『平家物語』には、「源氏の船は三千艘、平家の船は千余艘、“唐船(とうせん)”少々あひまじれり。」とある。平氏は「唐船」=宋船に乗って中国へ逃れる可能性があった。それを遮断するため、豊後国の緒方惟栄という人が、平氏が中国大陸へ向かう航路を遮断した、と延慶本『平家物語』にある。

2011-12-13 17:59:50
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宋との関係が強い平氏が中国大陸へ逃げないように、『緒方三郎惟栄ハ九国ノ者共駈具テ、数千艘ノ船ヲ浮テ、唐地ヲゾ塞ギケル。』と延慶本『平家物語』http://t.co/1buZrQpAにある。源氏側には、「唐地」=「唐路」=「宋への海路」をふさぐ必要があったわけである。

2011-12-13 18:02:36
瀬尾いさお @tegaisao

@alsinceke 大河の義経だったか、安徳天皇と平家のほかの女人がうんだ子をすげかえて沈めたっていう

2011-12-13 18:02:38
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それに都落ちした平氏は、『吾妻鏡』によると、なぜか「対馬」占拠を行なっていたという。対馬の占拠がどのような意図に基づいていたか。平氏たちの目はどっちの方角に向いていたのか、、、。

2011-12-13 18:04:03
原田 実 @gishigaku

後世、対馬の領主となった宗氏が桓武平氏を名乗った根拠@alsinceke 対馬の占拠がどのような意図に基づいていたか。平氏たちの目はどっちの方角に向いていたのか、、、。 .

2011-12-13 18:25:21
原田 実 @gishigaku

流布本『平家物語』でも義経は平家を追って「鬼界、高麗、契丹」まで行くと言っている。ちなみに御伽草紙『御曹司島渡り』は義経が元寇の仇討のために蒙古をめざす話(時代錯誤も御伽噺らしいところ)@alsinceke

2011-12-13 18:31:30
原田 実 @gishigaku

安徳天皇生存説と言えば歌舞伎『義経千本桜』の「寿司屋」

2011-12-13 18:07:42
原田 実 @gishigaku

花田清輝の『大秘事』も安徳天応が生き延びて怪しげな宗教の教祖になる話だった。

2011-12-13 18:09:25
森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice

@gishigaku 『義経千本桜』なんかも含めて、江戸時代以前の義経物語・伝説の総覧みたいな本をやりたいんですけどどっかいい版元ありませんかねい。(オマエそんな仕事積むヒマがあるのかという話になると「ぎゅう」なのですけど、せっかくの大河に!)

2011-12-13 18:11:21