キリスト教徒が伝道についてどう考えているのかの一例

伝道とはどういう行為で、どういう意味があるのか、一人のキリスト教徒として言語化してみた記録。
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Hokuto Ide @Hokuto_Ide

福音を誰かに伝えて、その行為が無駄になることは絶対にない。

2023-12-14 11:06:06
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

10日後、10年後、100年後かは分からない。自分の街でか、別の国でかは分からない。神は、撒いた福音の種を、いつかどこかで芽吹かせ、成長させ、実らせる力と意思が、おありになるから。

2023-12-14 11:08:46
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

福音を伝えても無駄だと信じるのは信教の自由だ。福音を伝えても絶対に無駄にはならないと信じるのも、同様に、信教の自由だ。どう信じ、その信仰に基づいてどう行動するかは、個人の自由意志と選択に委ねられている。その個人の行動をいつどのように用いるかは、神の自由意志と選択に委ねられている。

2023-12-14 11:11:10
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

福音を伝えるのか、伝えないのか。この選択は、その時その場でその人に伝えるという行為を、神が無駄にしなと信じるかどうかにかかっている。もちろん、伝えた瞬間に伝わったら素晴らしい。しかし10年後にその人が自分で聖書を読み出して別の教会に行ってクリスチャンになっても、同様に、素晴らしい。

2023-12-14 11:13:44
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

この人に、このタイミングで福音を伝えてもどうせ無理だろう。そう思うことは山ほどある。だがそういう時、自分は確実に神の力を過小評価し、神の意思を度外視している。神に自分名義の意志薄弱・無能証明書を叩きつけている。その証明書は無効だし神を貶めるものだが、神の前には山積みになっている。

2023-12-14 11:18:18
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

何気なく一言、ある日、ヨハネ3章16節をつぶやいただけ。そのつぶやきが、一度も関わったことのない人に届いて「なんだろこれ」という思いを想起させることはあり得る。その思いを種にして、イエス・キリストについて、救いについてその人の心に思い巡らすよう働きかける力が神にはある。そう信じる。

2023-12-14 11:24:13
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

僕の個人的な体験だけど、福音を伝えたときは全く興味なさそうにしてた友人が7年後に洗礼受けると連絡をくれたことがある。卒業後は全然別の土地に行ってて、ほとんど連絡してなかったのに。神様にとっては時間的隔たりも地理的隔たりも福音を伝える障壁には全くならない。驚いた。感謝した。喜んだ。

2023-12-14 11:34:35
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分自身が福音を受け入れた経緯も、最初は一神教に非常に敵対的な意識を持ち、非科学的だと馬鹿にしていて、たぶん、福音を伝える側の視点から見ると最ものぞみが薄い人間だったと思う。2004年3月に初めて教会で聖書を学び始めイエス・キリストを救い主として受け入れたのは7月だった。奇跡だと思う。

2023-12-14 11:38:45
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

信仰とは、伝えた福音の種を実らせてくださると神を信頼し、神の働きを前提として行動することだろう。いつか、どこかで、苦難の果てにでも、自分の知らないうちにでも、その信頼に答えて神が救いの働きを起こした後で、イエスは言ってくださるのではないだろうか「あなたの信仰があの人を救った」と。

2023-12-14 12:31:44
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分の信仰があの人を救ったわけではない。イエスの十字架と復活によって救われたのだから。親が米を買って運んで研いで5歳の子供に炊飯器のボタンを押させて「あなたがご飯を炊いたよ」と言いたくなるのと似ている。全部神がやったことだ。しかし神を信頼して行った行動を神は喜んでくれると信じる。

2023-12-14 12:59:53
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

人間の些細な行動がなくても、神は救いの働きを問題なく遂行できる。夢にイエスが現れ救われたムスリムの証しには伝道者は登場しない。神が宣教するなら伝道は無意味か。天の父は、その働きを手伝おうと最善を尽くす幼子を愛するがゆえに非効率な共同作業をあえて選んでおられるように自分には思える。

2023-12-14 13:15:01
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

人間による助けなどなくとも何でもできる神に、伝道という行為を通して捧げるものは何か。それは神が救おうとされているあの人を、自分も同じように救いたいのですという心だろう。神がそのひとり子イエスを与えるほど愛するあの人を私も愛するのですと行動で示すことで神を愛したい。だから伝道する。

2023-12-14 13:41:58
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

伝道をすると言っても、人間がする些細な行動に過ぎない。あまりにも些細で無駄にすら思えるその行動を、あえて過大評価したくなる天の父の親心を、無様でも失敗しても、それでも「一緒にやってくれてありがとう」と喜んでくださるだろうと信頼して、励まされて、伝道に出て行っても良いのではないか。

2023-12-14 13:47:50
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

エドワード・キンボール、聞いたことないでしょ? 彼はムーディーを主に導き、ムーディーを通してチャップマンは救われ、サンデーはチャップマンの説教を通して改心し、サンデーの説教でハムは救われ、ハムの集会でビリー・グラハムが救われた。 あなたの献身が小さくても主が用いれば大きな働きに。 pic.twitter.com/fPILQaDwub

2020-02-12 22:32:25
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Hokuto Ide @Hokuto_Ide

エドワード・キンボールは教会学校の先生でした。そして靴屋でムーディーに福音を伝えて伝道しようとするが、そのときはうまくいかないで自分はよく導くことができなかったと思っていたそうです。無名の教会学校の先生の献身がなければ、ムーディー聖書学院も伝道者ビリー・グラハムも生まれなかった。

2020-02-12 22:35:53
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

あなたは無名かもしれない。 あなたの残した献身の跡が、どれほど大きな実りに結びつくのかは、ただ神様だけが知っているのかもしれない。 「自分はどうせこれくらいの奉仕しかできないから」 と思う代わりに 「自分の働きは小さいものですが用いてくだされば嬉しいです」 と祈る自分になりたい。

2020-02-12 22:41:41