「メアリと魔女の花」は、ジブリからの自立宣言だったのか?
- woody_honpo
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小野寺系の『メアリと魔女の花』評:“ジブリの精神”は本当に受け継がれたのか? → この批評は評判になったが、私はそれほど感心できなかった。 realsound.jp/movie/2017/07/…
2017-08-04 18:18:00米林宏昌監督を始め、スタジオ・ジブリを“リストラされた”スタッフ達が作った『メアリと魔女の花』は、ジブリに対する引力と斥力が複雑に絡み合った作品だった。「ジブリ要素満載」などと評されたが、初期のジブリに対する憧憬がある一方で、後期のジブリについては否定したい気持ちが溢れていた。 twitter.com/mdn_tsushin/st…
2017-08-04 21:34:41【イベント】話題のアニメ映画「メアリと魔女の花」の絵コンテや背景画を紹介する展覧会がスタート。約200点を展示し、“魔力”を試せるインタラクティブコーナーなども用意。mdn.co.jp/di/newstopics/… #メアリと魔女の花 pic.twitter.com/tHaYoV1WaK
2017-07-26 10:00:04米林宏昌監督がジブリ時代に作った作品は、ジブリらしい細密な日常描写とカタルシスを拒否した語り口が特徴的だった。ジブリ作品には日本的な所謂「アニメ」に対するアンチテーゼ的なところがあった。 しかし『メアリと魔女の花』を観ると、米林監督は普通に「アニメ」したかったのだなぁ!と感じる。 pic.twitter.com/LjF8Cz6siA
2017-08-04 22:29:41つまり『借りぐらしのアリエッテイ』や『思い出のマーニー』の「アンチ・アニメ」的な特質は、米林宏昌監督の生理から自然発生したものではなく、ジブリによるプロデュースだったのだ。観客が『メアリと魔女の花』に違和感を覚えるのは、道具立てがジブリ的なのに、語り口は「アニメ」的だからなのだ。
2017-08-04 22:49:56『借りぐらしのアリエッテイ』と『コクリコ坂から』の共通点は、宮崎駿が昔から思い入れのあった企画を、宮崎駿の脚本で、若い作家が監督していることだ。宮崎駿はコンテを書いていないから、監督による解釈の余地も大きい。だから、宮崎駿の思いと若い作家の解釈の対決を想像しながら観ると興味深い。 pic.twitter.com/IPhssNxzK2
2017-07-07 23:44:04宮崎駿が『借りぐらしのアリエッテイ』で一番映像化したかったのは、主人公がアリエッテイに突然「君たちは滅びゆく種族なんだよ」と話しかける場面なのだという。突き放したような醒めたトーンにギョッとさせられるけれど、宮崎駿にとっては、あのシーンこそがアリエッテイという作品のキモなのた。 pic.twitter.com/WgJr01uAyK
2017-07-07 23:57:34『借りぐらしのアリエッテイ』が、かつてのジブリ作品ほど熱狂的に受け入れられなかったのは、この作品の背景に流れる価値観が、「自ら運命を切り開く」や「未来への希望」ではなく、「与えられた運命の受容」や「諦念」だからではないかと思う。 その意味で、これは「ポスト3.11」の作品なのだ。
2017-07-08 06:27:53後期のジブリ作品は、日本の一般的な「アニメ」に対するアンチテーゼの意味があった。(鈴木敏夫が明確に発言していた) しかし「#メアリと魔女の花」は衣装はジブリ的だが、中身はいわゆる「アニメ」をやろうとしていた。 ストレートなエンタメだった初期のジブリへの回帰を目指していたとも言える。 twitter.com/woody_honpo/st…
2023-12-15 23:08:18スタジオジブリをリストラされたスタッフが作ったスタジオポノックによる「#メアリと魔女の花 」は、公開時は「ジブリのイミテーション」と思われて評価が低かったが、元ジブリスタッフの初期ジブリへの愛着と後期ジブリに対する反発が合体した、興味深い作品だった。 ジブリからの自立宣言でもある。 pic.twitter.com/XWsrQjkMkV
2023-12-15 22:48:11『メアリと魔女の花』のメアリは、魔女の花により一時的に「偽りの魔力」を得る。そして、彼女はそれを利用して友人ピーターの窮地を救うが、最終的には魔女の花を捨て、自分の人生を歩むことを選ぶ。 「魔女の花」は、スタジオポノックのスタッフにとっての「ジブリ・ブランド」そのものではないか? pic.twitter.com/PvSWSQ6onl
2017-08-04 23:07:37すると、昔は理想に燃えた良い教師だったのに、いつしか、動物達を犠牲にしながら、何の意味があるか分からない変身魔法の追求にのめり込み冷酷になってしまった、マダム・マンブルチュークとドクター・デイは、ジブリのトップだった宮◯駿と鈴◯敏◯ではないのだろうか。この作品は暗喩に満ちている。 pic.twitter.com/QBnio8hHTr
2017-08-04 23:23:35ドクター・デイ:宮崎駿
マダム・マンブルチューク:鈴木敏夫
魔法大学:スタジオジブリ
ですね。
ドクター・デイが宮崎駿でマダム・マンブルチュークが鈴木敏夫だと思うと、ドクター・デイの「世間に無関心」な感じとか、マダム・マンブルチュークの「ドクター・デイを崇拝し甘やかし、しかし手綱は握っている」感じが「ジブリのスタッフには、こう見えていたのか」と興味深い。 #メアリと魔女の花 twitter.com/woody_honpo/st…
2023-12-15 23:32:47そして、昔は理想に燃えた教師だったのに、いつしか非情な変身魔法の追求にのめり込んで行ったドクター・デイは宮崎駿であり、魔法大学(ジブリ)を統率し権力を振るうマダム・マンブルチュークは鈴木敏夫だろう。 これは、ポノックスタッフがジブリの亡霊から自立する戦いなのだ。 #メアリと魔女の花 pic.twitter.com/oXSynfpGIK
2023-12-15 22:52:14ドクター・デイとマダム・マンブルチュークそして魔法大学の描き方には、作品のためには人を犠牲にするのも厭わない宮崎駿や高畑勲の演出思想(実はジブリにあったパワハラ体質)、そして、まさにポノックのスタッフ達が巻き込まれたリストラ、に対する批判も含まれていると思う。 #メアリと魔女の花
2023-12-16 00:18:36『メアリと魔女の花』について「魔法を捨てるのはアニメの自己否定」なんて言うのは、ずいぶんと類型的で底の浅い見方に感じます。
2017-08-04 23:30:00『メアリと魔女の花』は、次第にエンタテインメント性を削ぎ落として行った後期ジブリに対して観客が感じていた不満「初期のジブリに戻って欲しい」を実現しようという狙いがあったと思う。 それは成功したのだろうか? 残念ながら、観客の多くは「やはりジブリは何かが違った」と再確認したのだ。 pic.twitter.com/Exb3meYCLL
2017-08-04 23:48:09この作品に込められたスタッフの想いを考えると、しばらく立ち止まってしまう。簡単に切り捨てる気にはとてもなれない。私は『メアリと魔女の花』が「安易なジブリ作品のイミテーション」という見方には与しない。この作品に対峙したスタッフの態度は、もっと誠実で苦いものだったのではないかと思う。
2017-08-05 00:02:42「クールジャパンという幻想の終焉」 (ウディすすむの不思議エンタテインメント探訪/2014.08.13) woody.south-sign.com/?p=809
2016-11-14 23:10:34