吉本隆明の「転向」
私は吉本隆明が苦手だった。どう読んでも響かない。勿論、後に吉本が後にRCの反原発ソングを罵倒したのは分かる。吉本は「反『反核』」の知識人だったのだから。不思議なのは、寧ろ『マス・イメージ』期の吉本がRCやスターリンを「誤解」できていたことだ。この誤解はどこから来たのだろう。↓
2023-12-09 15:35:00吉本はRCやスターリンの歌詞を、現代詩との比較で《サブ・ポエム》と呼ぶ。それら歌詞には《襞や暗がり》がなく《暗喩》がない。《全体的な暗喩とは…現在に直面していること、現在を捉えようとしていることの徴候なのだが、これらの作者たちは、いわば現在を捉えるより満喫しているのだ》。↓
2023-12-13 03:38:55以上の言葉には、一々吉本なりの独りよがりな含意があり、注意を要する。例えば「現在」という言葉。『マス・イメージ論』あとがきで、吉本は《論じてみたかったことがら》を以下のように語る。↓
2023-12-13 03:38:56《カルチャーとサブカルチャーの領域のさまざまな制作品を、それぞれ個性ある作者の想像力の表出としてより、「現在」という巨きな作者のマス・イメージが産みだしたものとみたら、「現代」という作者ははたして何者なのか、その産みだした制作品は何を語っているのか》。↓
2023-12-13 03:38:56《この論稿では、カルチャーまたはサブカルチャーの制作品を、全体的な概念としてかんがえ、そのために個々の制作者とは矛盾するものとして、取扱おうと試みた》と吉本はいう。引用はしたものの、正直意味が分からない。↓
2023-12-13 03:38:57分からぬなりに補助線をひく。吉本隆明自身がこの時期を語ったインタビューがある(「わが転向」94)。単行本化された際の「あとがき」で吉本は書いている。《わたし自身のこしらえた概念と定義によれば、社会総体を把みそこねたために起こる思考転換が「転向」にほかならないから》↓
2023-12-13 23:33:56《わたし自身の軌道修正をそう呼んでもいい》と(『わが転向』95)。私自身は《社会総体》なる発想自体、よく分からない。ただ、ここから吉本の関心の在処は分かる。先に引用した文章によれば、こうした《社会総体》あるいは《全体》は《個々の制作者とは矛盾するもの》として現れる。↓
2023-12-13 23:33:56そう考えれば、芯を外したような80年代の作品論の意図も理解できる(その意図に賛同できるか、またその試みが成功したかは全く別の問題だが)。『マス・イメージ論』は大衆文化論だという吉本自身の言葉から考えるに、ここでいう《現在》や《全体》とは「大衆の原像」の言いかえにほかなるまい。↓
2023-12-13 23:33:57「わが転向」の中で、吉本は《六〇年から八〇年の間のどこかで、〔ロシア的「左翼」が重視していた〕「農村と都市の対立」「農業と工業の対立」は主要な課題からずり落ちてしまった》と言い、それが《大衆文化を本気に論評しよう》という仕事に繋がったと言う。↓
2023-12-13 23:33:57同書解説で大塚英志は《吉本さんの思想は「日本がまだ貧乏だった時代」に確実に根ざしている》という。それが《八〇年代以降のサブカルの時代》に《どっぷりつかったぼくたち》との決定的な違いなのだと。吉本は「明るく透明な世代」「現在を満喫している世代」を外から眺めている。↓
2023-12-13 23:57:32吉本は「喜び」をもって豊かな世代を眺める。《「六〇年安保」の向こうに莫と夢見た「豊かさ」が七〇年代、八〇年代を通じて相応に大衆のものになっていく。吉本さんの思想の基調には、そのことに対する「喜び」が確かにある》。↓
2023-12-13 23:57:32整理する。吉本隆明の言葉を"意訳"すると、彼は80年代にパンク化したフォーク詩人(RC、スターリン)を通じて「大衆化社会」を描こうとした。「暗い」作家が「明るい」作品を生む。大衆化された作品は、個人としての作者とは矛盾する。この矛盾、落差のうちに「現在=大衆化」の様相を読みとる。↓
2023-12-14 07:21:20ただし、吉本は「大衆」を分析しようとはしなかった。いわばポエムを書こうとした。吉本の振る舞いは皮肉に満ちている。「作者」という言葉が力を失おうとする端緒の時代にあって《「現在」という巨きな作者》を語る。教条主義的な「文明の発展」の発想に則って、左翼教条主義を撃つ。↓
2023-12-17 15:47:30吉本隆明について、松本昌次は《残念ながら》を何度も繰り返しながら、その言説は《日本資本主義の高度成長を総体的には補完・擁護するものとなったのではなかったか》と書いている(「長いお訣れ」'12)。↓
2023-12-09 15:25:51J-POPの起源
櫻井敦司の訃報以降、気づけばBUCK-TICKとともに自分の聴いてきた音楽を一々をふり返ってしまうのだが(そしてそれは、実はB-TがJ-POP保守本流である以上は仕方ない事なのだが)、吉本隆明と忌野清志郎について思い出していた矢先に、また「原発大丈夫か」を考えさせられる。一体何の因果なのか。↓
2024-01-02 12:46:05地震があるたびに「自分がこなさねばならぬ役」を点検し、次に「原発大丈夫か」を思う。嫌になる。反・反原発の人達(大半は原発擁護派でもないだろう)が原発立地県のことを「どうでも良い」と思ってることは、なんとなく肌に感じてるよ。>twitter.com/4RygOC0vJEwjTp…
2024-01-02 12:48:16原発を擁護する人間の決まり文句。 震災前:原発は安全だ! 震災中:今は原発の話をしている場合じゃない! 震災後:風評被害を広げるな! お前ら日本なんてどうでも良いと思っているだろ。
2024-01-02 00:50:26吉本隆明は原発を安全だと断定し、反原発は反文明だと嘲った。'83年に彼が(よく分からぬ理屈で)絶賛した二人、忌野清志郎と遠藤ミチロウがその後、原発に対してどのようなスタンスを取ったかは周知のとおりだ。同じように吉本から離れていったアーティストに、坂本龍一がいる。↓
2024-01-02 12:46:06