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ヒブラは逃げて逃げて逃げ続け、とうとう第十七玄室にたどりついた。ひときわ広い部屋だ。だが出入口は一か所だけだ。中央の棺の上に飛び乗り、隊伍を組んで押し寄せる獏面黒膚の敵を睥睨する。 「これで全部かよ!」 十数体はいるだろうか。
2024-01-22 23:35:43屍接の一隊はすぐには襲ってこなかった。代わりに間を掻き分けて、長衣をまとった亡者があらわれる。干からびていない、美しい公達だ。だが瞳には霊気がみなぎっていた。 何か解らぬ言葉で話しかけてくる。 「近づくと叩き割るぞ!」
2024-01-22 23:38:16ヒブラが脅すと、公達は別の言葉に切り替えた。盗人の言葉だ。先祖の霊よりさらに古めかしいが聞き取れた。 「無駄だ。反魂の珠はお前が何をしようと傷つかない」 「試してみるか!」 「おとなしく渡せ。お前には価値は解るまい」
2024-01-22 23:40:11「価値なんか知るか!俺は盗人だ!奪うだけさ!奪ったものは…好きにする!壊してやる!」 「盗人。これほど時が過ぎても悪縁を断てぬとはな…よかろう…お前の鼠のような心にも解るよう聞かせてやる。それは死後の生のためにある。だが一つでは長い星の旅路には足りぬ。諸王が分け持つのは無為だ」
2024-01-22 23:43:21「うるさい!何言ってんのか解んないし知るか!」 「ならばただこれだけ解すがよい。抗うのは虚しいと知れ。これは墓と墓、王と王の戦。盗人の出る幕ではない。私はすでに三つの墓を落とした。ここで四つ目だ。すでにこの墓の王も身動きできぬようにした。そして…」
2024-01-22 23:46:42亡者の王が投げ矢を放つのと、生者の賊が仕掛けを踏むのは同時だった。 棺の蓋が跳ね上がり、黄金の鰐の頭が二つせり上がると、勢いよく趣味の悪い炎を噴き出し、屍接と主をもろともに焼き溶かした。
2024-01-22 23:49:30「…愚か…ものめ…せっかく…我が酌童に…」 なおも呟く崩れかけの頭を、少年は踏みつけて砕くと、宝珠の入った角灯を抱え、ゆっくりと歩き出した。また矮躯が宙に浮きかける。墓所の旋回は乱れ弱まる一方だった。
2024-01-22 23:53:01「テフム…馬鹿…こんなもんより…」 ヒブラはつぶやいて、あどけなさの残る顔を大人のようにしかめる。脇腹を亡者の王の投げ矢がかすめていた。 毒でも塗ってあったのか、頭がぼうっとする。同じような心地になったことが前にもあった。地上で。 よく思い出せない。あまり遠くまでいけそうにない。
2024-01-22 23:55:30盗人の頭の中にはちゃんと墓所の地図があった。どこをどう逃げて第十七玄室に辿り着いたのか、そういうことはよく覚えていた。どこで罠を動かして屍接を潰したのか、どこの落とし穴をすり抜けたのか。 地上へ戻るための籠のある第八玄室へとどう進めばいいのかも。でもそっちには足を向けなかった。
2024-01-22 23:57:42盗人が苦労して戻ると、番人は相変らず串刺しのままだった。 「何やってんだお前…かっこ悪い。なんか…ちぇっ」 小さな手で角灯の蓋を開け、まばゆく燃える宝珠を取り出し、大きな胸の谷間、黄金の首飾りの真下のあたりに置く。 「そら…返す。この墓のだろ」
2024-01-23 00:00:13ヒブラはそれからテフムの乳房の底に頭を押し付け、華奢な肢体を落ち着かせて瞼を閉じた。 「お前…やっぱり…でっかい猫…みたい…」 そうして眠りに落ちた。
2024-01-23 00:02:44しばらくして宝珠はゆっくりとたわわな胸毬の間に埋もれていった。番人は前髪に半ば隠れた顔貌をゆっくり傾かせ、巌のような手を動かしてい付けられていた壁から錫杖ごと引き剥がすと、全身に刺さったちっぽけな武器を引き抜いた。傷口、いや損耗部はたちどころにふさがった。
2024-01-23 00:06:12人獅子は口蓋の裂け目から煌めく煙を吐き出すと、気に入りの少年を大事そうに胸の下に抱え、ゆっくりと歩き出した。第八玄室に向かって。 やがてゆくてに人影が立ちふさがる。亡者の王。ところどころ肌に焼け焦げた部分があるが、急速に癒えつつある。 「…二十六代にしては中々やるな…だが…」
2024-01-23 00:10:15相手が気取った台詞を言い終えるより早く、テフムは包帯で覆った拳を振り上げ、鉄槌のように揮ってぺしゃんこにし、体内にあったまばゆい宝珠をもぎ取り、裂けた口蓋をぱっくりと開いて呑み込んだ。 それからのしのしとヒブラを抱えたまま去っていった。
2024-01-23 00:12:47巨女は第八玄室に着くと、籠の中にある薬液をたたえた棺に少年を横たえ、しばらく覗き込んでから蓋を閉じた。そうして籠を引きずって墓の脱出口にある閘門まで運んでいった。途中で重みが完全に消えることが何度もあったが、小山のような体躯で器用に宙を泳ぎ渡った。
2024-01-23 00:15:41岩の突起をいくつか押して閘門を開かせると、空気が奔流となって虚無の暗黒へ吹き出すなか、もう一度、籠を覗き込み、ごつい手でそっと棺の蓋を撫で、そうしてまた首を傾げ、尻尾を振り、 最後にひょいと籠の中に飛び込んで蓋を締めた。
2024-01-23 00:17:48死せる番人と生ける盗人を載せた籠はそのまま墓を飛び出すと、まばゆい光を放ってから不意に勢いを増し、弧の軌道を描いて、青い大地と海原を覆う大気の圏に再び突き入った。
2024-01-23 00:20:07それから。 ヒブラが目を覚ますと、嫌な重みが全身にまといついていた。腕をもたげるのもおっくうなほど。どうにか起き上がると、潮騒が聴こえる。 「なんだよ…えっと…」
2024-01-23 00:21:55見回すと、波が打ち寄せる浜が前方に広がっていた。 「でっかい…川?池?くさ…」 つぶやいてから頭を抑える。なんだか覚えのあるだるさだ。天の墓に昇る前、王の家来の医人が与えた仮の死をもたらす薬。あの効き目とそっくりだ。
2024-01-23 00:24:14脇腹がずきりとして、思わず見おろす。かすかに何か営利な鏃か刃がかすめた痕が残っている。 「なんだ…あれ…えっと」 いつついた傷だっただろうか。
2024-01-23 00:25:59不意にずしりと頭に何か量感のあるものが二つあたる。 「う…これは…」 巌のような両手が少年の矮躯を掴んで持ち上げる。 「テフム!?お前…おい…いっぱい刺さってたのに…お、重いってば!」
2024-01-23 00:27:30兎にも角にも、狡猾なる盗人の一族はついに天に浮かぶ王の墓所からさえ、最も貴重な宝を奪いとったのだ。あるいは宝の方が盗人を奪いとったとも言えようが。 時に、かかる驚くべき物語を聞いたものの内いくたりかは、次のような問いを頭にのぼらせもするだろう。
2024-01-23 00:36:07