- HinoYusuke20
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仮に論争において問い詰められた際、僕が言葉を窮することは容易に想像できる。そこにおいて信念を曲げず、貫けるか。 言論とは説得であり、社交なのだから、何も言い返せないのであれば僕の思想はその程度のものだった、ということになるのは当たり前のことだ。
2024-02-22 00:20:36ありがとうございます。読んでみます。 x.com/ozakimasanori1…
2024-02-22 00:53:55交換が成立することは、資本主義の成立の条件であると同時に結果です。笑 牢屋の中で『資本論』を読破したと豪語していたようですが、それが本当ならば、『経済倫理学序説』みたいな本は出さないと思います。笑 詳しくは、『国家に抗するマルクス』のパシュカーニスの章とかを参考にしてください。笑 x.com/hinoyusuke20/s…
2024-02-22 00:50:31ホイジンガの「遊び」と神道における祭り|火野佑亮の文化人チャンネル #note note.com/hinoyusuke20/n…
2024-02-22 18:02:01岡潔「数学する人生」紹介・解説——アニミズムと道元 youtube.com/live/6iKpvgHoc… @YouTubeより いつかやります。準備整えば。 pic.twitter.com/FSRxhnru5L
2024-02-22 19:50:58第35回 剰余価値(Mehrwert)を図で導出する|にゅん #note note.com/nkms/n/nc4317f…
2024-02-23 11:35:02脱輪氏の「推し活」論 「資本主義リアリズム」から「生活のアナキズム」へ youtube.com/live/C6eKAmQu_… @YouTubeより これもいずれやります。配信の中では最優先。 pic.twitter.com/yzrWwdZdQF
2024-02-23 12:44:50ハイデガー的に言えば、生活は存在を忘却すること、思想は存在を思い出そうと試みること このツリーに当てはめると「推し活批判」は思想であり、「推し活」それ自体は生活となる。 x.com/hinoyusuke20/s…
2024-02-23 16:53:56脱輪さんが指摘されている、アーバンギャルドのファンダムにおける批評の不在。これはやはり、フランクフルト学派が問題視した権威主義的パーソナリティの存在があるのだろう。 「推し」が問題行動を起こしたにも関わらずこれを擁護するファンも同様。 x.com/waganugeru2nd/…
2023-05-15 20:35:53精神分析の他にもアフォーダンス理論などと絡めて考えられそうなテーマですね。余裕できたら向き合ってみます。 x.com/waganugeru2nd/…
2024-02-24 00:54:48だれかが袋をがさがさする音はなぜあれほどまでに現実的なのだろう?袋をがさがさする音はその音量の如何に関わらずほとんどいついかなる時も自動的に音楽の全き虚構性を貫いて我々を即物的で味気ない感覚の領野に連れ戻すのであって、例えばそれはだれかが水面をぴちゃぴちゃする音とは対照的である。
2024-02-23 23:10:30フォロワー2000人および #火野佑亮被害者の会 会員数150人ありがとうございます。これからもドシドシ有害な情報を発信していきます。 pic.twitter.com/5J0Cjj1O42
2024-02-24 11:58:40祓えは対象と一定の距離を保つ、ある種の「消極的自由」であるはずが、日本人のアナーキーな性質の為、全体主義的な「空気」の支配と結びつく。
2024-02-24 12:26:54上田賢治「祭による生命力の更新は、決して原初への回帰ではないからである」 簡単にまとめると、僕はここに神道を保守的に語り直す可能性を見るわけです。 x.com/HinoYusuke20/s…
2024-02-25 10:06:49「昭和前期の神道と社会」所収の小島伸之『「国家神道」と特別高等警察』を読む。 「国家神道」なる単語が醸しだすいかがわしさのわけを理解。
2024-02-25 12:39:58ブッシュは共産主義者であり、 ブッシュの戦争は共産主義革命戦争である warewaredan.com/bush.html
2024-02-26 00:39:24眼刺しのラブレター ~『女王陛下のお気に入り』解体~|脱輪 #note note.com/waganugeru/n/n… 拝読しました。権力と身体の関係をめぐる考察が興味深いです。身体≒領土のシンボリズム。
2024-02-27 23:47:05小説ではいくらでも自分を偽れるが、批評ではそうはいかない。 そこで発せられる言葉は登場人物のものではなく自分のものであり、他でもないその言葉によって自身が傷を負うことは珍しいことでも何でもない。 芸術と学術、描写と言及の違いはそこにあるのだろう。
2024-02-28 00:00:55加速主義と日本的身体 —柄谷行人から出発して - 批評集団「大失敗」 daisippai.hatenablog.com/entry/2019/06/…
2024-02-28 16:12:04