日本D&D興亡史についてのまとめ

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らぱんどら @la_pandra20

伊豆諸島三宅島出身のプラントエンジニア。 週末は老舗RPG D&DのDMとドイツボードゲームを嗜み、まれにロードバイクで鎌倉、三浦半島巡回。

addahp.sakura.ne.jp

らぱんどら @la_pandra20

日本D&Dの正史がここに! x.com/D16/status/177…

2024-03-27 16:03:10
柳田真坂樹 @D16

日本在住の英語話者向けブログメディア、『TokyoDev』にて日本におけるD&Dの歴史、“なぜD&Dは一度は獲得したトップの座を滑り落ちて戻れなかったのか”という話を書きました。 #TRPG #DND tokyodev.com/articles/the-r…

2024-03-27 12:20:20
朱鷺田祐介 @TokitaSuzakuG

TRPGデザイナー。「深淵」「信長の黒い城」「シャドウラン5th」「ザ・ループ」 Mail:pbc03134@nifty.com RPG Design&Translate Shadowrun , Eclipse Phase, Tales from the Loop,Sinen,Nobunaga-Borg

suzakugames.cocolog-nifty.com

朱鷺田祐介 @TokitaSuzakuG

素晴らしい記事である。日本のTRPG史の一側面をがっつりカバーしている。 日本D&D興亡史|柳田真坂樹 @D16 #note note.com/d16/n/n55da805…

2024-03-27 18:45:49

山北さんの反応

山北篤 @Gheser

ゲームを基本に、いろんな本を書いています。 最近は、ファンタジー・歴史関係の設定入門書を色々と書いています。ファンタジー考証などもできます。 転生もの考証の本を出しているのが、私しかいないようなの、日本で唯一の転生もの研究家と名乗ってもよいかもしれない。

game-writer.com/konogoro/

山北篤 @Gheser

日本のTRPGが勃興した80年代前半(グループSNEの母体だってこの頃に成立したし、初期TRPG業界人のほとんどがこの時代にTRPGを始めてる)を全く扱っていないのが惜しいが、この時代にD&Dに全く動きが無かったから仕方が無いのかな。(続) x.com/D16/status/177…

2024-03-28 15:39:07
柳田真坂樹 @D16

この記事の元になった日本語版記事はこちらです。 細かめの情報が載ってます。 日本D&D興亡史|柳田真坂樹 @D16 note.com/d16/n/n55da805… #note #DNDJ #TRPG #ロードス島戦記 #ソードワールドRPG #ゲームブック

2024-03-27 12:20:20
山北篤 @Gheser

その意味で、日本の初期業界人がD&Dの影響(もちろん大いに受けてるけど)をアメリカほど受けていないというのが、スタートダッシュに遅れた原因じゃ無いかな。(続)

2024-03-28 15:41:14
山北篤 @Gheser

日本にTRPGが入ってきた70年代末期から80年代初めって、既にアメリカでは様々なTRPGが発売されていて、日本の初期マニアは、それらの中から好きなものを選ぶことができた。 だから、D&Dは、メジャーではあってもTRPGの一つでしかなかった。(続)

2024-03-28 15:44:08
山北篤 @Gheser

アメリカ人にとってはTRPG=D&Dであり、他のTRPGはD&Dで無いもの、D&Dで扱えないものをプレイするために作られたものだった。 しかし、日本人にはTRPGはTRPGというジャンルであり、D&Dとイコールでは無かった。 その意味では、日本の方が自然でバランスが良いんじゃないかと思う。

2024-03-28 15:46:30
ちありや @Chialiya

@Gheser まだ日本ではファンタジーよりもSFの強かった時代、D&Dも遊んだけど当時一番ハマってたのは「トラベラー」でしたわ。

2024-03-28 17:49:02
朱鷺田祐介 @TokitaSuzakuG

これは本当で、私自身、最初の1回はD&Dだったが、次は佐脇さんのルーンクエストで、後者を真似て最初のTRPGを作って遊んだ。ほぼRQクローンのBRPでそこに後に「深淵」に載せる運命とかダークな世界観が載っていた。それから『トラベラー』『スタークエスト』『コブラ』などが続いた。40年前。 x.com/Gheser/status/…

2024-03-28 16:43:34
Beholder @Beholderkin

私は翻訳されなかったAD&D1版畑の人間なので、こちらの意見はよく分かる 当時の国内のいわゆる大手サークルは英語でプレイしてた ただし、そうしたサークルの所属人数やイベント開催の様子は、データが残されていないケースばかり こうした記事ではエビデンスある部分しか取り上げにくいかな x.com/kondohi/status…

2024-03-28 14:13:03
ひろじ @kondohi

日本D&D興亡史|柳田真坂樹 @D16 #note note.com/d16/n/n55da805… 新和赤箱の前に英語版に手を出した人間としては、新和赤箱の1985年を日本での原点とされるのは、当時のコミュニティのことを考えても…まあ、いいけど。

2024-03-27 17:19:50
ぱらでぃん @nekohaus

@Beholderkin こういうのは各自がこういう記事に触発されて自分たちのオーラルヒストリーをどんどん記事にするのがいいと思ってるですぅ。

2024-03-28 14:37:21

近藤さんの反応

近藤功司 @kondoukoushi

近所ではゲームが上手い方、、紹介はこんな感じで大丈夫ですかね。冒険企画局にいくと会えるよ。コラムニスト、エディタ、デザイナー. あなたの応援をするスペシャルエージェントでもあります。

近藤功司 @kondoukoushi

面白かった。 新和版の上陸時点で「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の知名度が他を圧倒していたかどうかについては、ちょっと微妙で、ファン目線で言えば、国産TRPGがすでにかなり遊ばれている状況に、やや遅れて登場した流れだったことは付記しておきたい。 x.com/d16/status/177…

2024-03-28 05:16:20
近藤功司 @kondoukoushi

先行するホビージャパン(トラベラーを擁していた)、エポック、ツクダホビー、バンダイなど大手の営業力に比べて、新和という会社は聞きなれないブランドであったし、書店流通雑誌などのメディアも持っていなかった。

2024-03-28 05:16:21
近藤功司 @kondoukoushi

そんななか、いわゆる赤箱が飛ぶように売れたのは、ホビージャパンやシミュレーターのようなホビーメディアが文化としてTRPGを盛り上げたからであり、SFマガジンなどを発信基地にした安田均の紹介活動が大きかった。

2024-03-28 05:16:21
近藤功司 @kondoukoushi

ここで、「文化として」とあえて付けるのは、もしこうしたメーカーを巻き込むTRPGの紹介活動が、自社製品のプロモーションに過ぎないのならば、あえて未発売で、まだ版権も取得していない「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の紹介をする動機はおそらくなかったということによる。

2024-03-28 05:16:22
近藤功司 @kondoukoushi

安田はその後、自ら旗手となって「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の商品化を推進していくが、上陸前夜にその構想を持っていたのはむしろ角川書店のトップ数名であって、安田の動機はより芸術的に文化を紹介するものだったように思える。

2024-03-28 05:16:22
近藤功司 @kondoukoushi

いずれにせよ、たくさんのゲーム好きな人々の努力があって、満を持して「ダンジョンズ&ドラゴンズ」が上陸しヒット作となった。そのときD&Dは「他を圧倒する」孤立した存在ではなく、幾多のTRPGに囲まれた幸せなメンバーだったように思う。

2024-03-28 05:16:23
近藤功司 @kondoukoushi

プレTRPGステージで、英語版で「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を遊んでいた人々は東京に100人もいなかっただろう。だが、彼らはその面白さを苦戦しながら解釈し、独自に日本のTRPG文化が華開く。そんななか、赤箱が登場する。

2024-03-28 05:16:24
近藤功司 @kondoukoushi

新和版「ダンジョンズ&ドラゴンズ」は、ある意味とても幸せな登場をしたのだ。

2024-03-28 05:16:24
近藤功司 @kondoukoushi

元ツイートで素晴らしい記事を著された柳田さんに深い敬意を表しつつ、少し自分の視点を付け加えてみました。なにかしらの「なぜ」に少しでもヒントになればいいかなと思います。

2024-03-28 06:02:41