理系のキリスト教徒がイエスの復活とどのように向き合い考え信じているのか言語化してみた

「理系なのに復活を信じるとかそんな非科学的な」と言われるのはよく有り得そうな話なので、一見矛盾するキリスト教と科学がどう自分の中で同居しているのか、書き出してみることにした。
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Hokuto Ide @Hokuto_Ide

では、どうやって基本的な物理法則が全部そろっている想像の世界の仕組みの中で、都知事に空を飛ばすことができるのか。「密です3D」の開始画面を開くと最初一瞬だけ、「Made with Unity」というテロップと共にUnityというソフトウェアのロゴが出る。Unityはゲームエンジンと呼ばれるソフトウェアだ。

2024-04-01 01:44:34
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

ゲームエンジンとはゲーム内の世界の仕組みをあらかた全部規定したものだ。ゲームの作者が変えたいところだけを変えれば、自分の思い通りのゲームを作ることができる。世界の仕組みが全部最初から揃っているので「都知事は空を飛べる」と書けば、世界の仕組みはそのままで都知事だけ飛べるようになる。

2024-04-01 01:44:34
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

「書く」とはどういうことかというと、作者がプログラミング言語を使って、世界の仕組みの中で、都知事という存在がどういう存在になるのかを定義するということだ。そうすれば定義したとおり、書いた「ことば」のとおりに、世界の仕組みが一部追加、変更、修正される。「ことば」だけでそれができる。

2024-04-01 01:44:35
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

ゲームエンジンの中には、世界の仕組みとして、科学法則があらかたすでに定義されている。しかし、作者はその定義された世界の仕組み・科学法則に、従うことを強制されない。作者は自由にその仕組を改変し、自分の願う通りの世界の仕組みを作れる。ゲームを起動すれば、ゲームの中ではそれが実現する。

2024-04-01 01:44:35
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

世の中にはたくさんのゲームがある。ゲーム中で人物が死んでも復活することができる作品はごまんとある。それを非科学的だと批判する人はいない。そんなものゲームの作者の自由だ。作者が人が復活するという世界の仕組みをプログラミングして定義したのだから人は復活するようになる。当たり前の話だ。

2024-04-01 01:44:36
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

ゲームだけじゃない。映画、小説、漫画でも作者が復活させると決めたら、その人は死んでも復活する。その世界がどういう世界になるのかを決めるのは、定義するのは、ただ作者の自由だからだ。作者が法則に従わないといけない立場にあるのではない。当然に、作者が自由に法則を定義できる立場にある。

2024-04-01 01:44:37
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

想像の世界の仕組みを作り、鳥山明氏はドラゴンボールで、自分の命と引換えに世界を救った悟空を復活させた。ウォシャウスキー兄弟はマトリックスで救世主となるネオを復活させた。現実の世界の仕組みを作り、神は人類を救うために自分の命を犠牲にし、十字架で死んだイエス・キリストを復活させた。

2024-04-01 01:44:37
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

「神によるイエスの復活は科学的ではない」という主張は「神は、人間立てた不透明な仮説の集まりにすぎない科学法則に従う義務がある立場にある」という前提に立たないと成立しない。神が世界の仕組みの作者であれば、神はそんな義務に従う立場にはない。神は実際の世界の仕組みを定義する立場にいる。

2024-04-01 01:49:24
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

結局、イエス・キリストの復活を受け入れるかどうか、信じるかどうかは、世界の仕組みを定義する側の立場に立つ存在として、神を認め、受け入れるかどうかにかかってくる。我々の生きるこの世界がどのようにして存在しているのか。世界はただあるのか、誰かに作られたのか。世界観・世界認識の問題だ。

2024-04-01 01:56:05
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

今現在観測可能な精度で分かっているのは、この世界、宇宙には、背景放射と呼ばれる微量の電磁波が、つまり薄い光が、宇宙の一面に広がっているということだ。この光の広がり方を過去に遡って逆算すると、宇宙の全質量とエネルギーが、ビッグバンと呼ばれる過去の一点に収束することが予想されている。

2024-04-01 01:59:49
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

ビッグバンより前に何があったのか、何もなかったのか。どうやってどういう仕組でビッグバンが起きたのか。人間にはこれを観測することができない。人間にできるのは想像して仮説を立てることだけだ。その仮説を検証するための実験もできない。「世界はある時始まった」ということまでしか分からない。

2024-04-01 02:06:27
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

そして「世界が始まったときには、膨大な量の、それこそ全宇宙の質量とエネルギーに相当する量の、光が一点に輝いた」らしい。人類が昔から読んできた聖書という書物に世界の始まりの説明がある。はじめに神が天と地を作ったと。神の「光あれ」という「ことば」によって「光」ができ世界が始まったと。

2024-04-01 02:16:49
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分は、ビッグバンが無から起きたと仮定したとして、その仕組みを説明することができない。またどんな科学者にもこれを再現可能な実験で検証可能な説明はできないと思う。世界の仕組みを定義できる立場にある全知全能の神が、科学者がビッグバンと呼ぶその「光」を作ったという説明には納得がいった。

2024-04-01 02:24:26
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

聖書には神が世界の仕組みを定義する立場にある存在として説明されている。いつ現実と矛盾するか分からない科学という営みは、自分の世界観の前提を構築する土台としては砂のように不安定なものだと思う。自分は世界観の前提を構築する土台として、神のことばを岩のように強固なものだと信頼している。

2024-04-01 02:33:18
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分が神を信頼する根拠はイエス・キリストだ。イエス・キリストは自身を全知全能の神の子だと主張し、イエスを見た者は、神を見たのだとも主張した。イエスの人生、生き様、死、そして復活は、愛と神の力を表したものだった。それを当事者として目撃した弟子たちが命を賭して証言し、模範とし生きた。

2024-04-01 02:38:50
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエスの生き様と死に様はただことばとして聖書に記録されているだけではない。イエスの生き様と死に様に倣って生き、死んでいった、そしてイエスの復活を目撃し、それを自分自身の生きる希望とした歴代のクリスチャンたちが、当時から現在まで繋いできた。自分もその生き様に触れた。だから信頼する。

2024-04-01 02:42:20
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエスによって人に示された神は、全知全能であり、かつ正義であり、かつ愛の神だった。愛は関係を前提としている。人と神は本来は愛し合う関係にある。しかし、人間は、心のなかで、神の「世界の仕組みを定義する神の立場」に置かず、神のそのような立場を認めなかった。神と人の関係が破綻した。

2024-04-01 02:46:33
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエスは神の子として、その破綻した人間と神との関係を取り持つために、神の立場であるのに、人間と同じ立場まで降りてきた。そして、人の心を神に向けるために、生き、教え、愛し、人に模範を示した。しかし人はイエスを受け入れず、何も悪いことをしてないのに冤罪を被せ、十字架にかけて殺した。

2024-04-01 02:50:23
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

人がイエスを十字架で殺したのは正しくイエスが間違っていたのか。もしイエスが死んだまま何も起きなかったら、そういう誤解が歴史として残ってしまったかもしれない。しかしイエスは正しかったことを、他でもない神ご自身が証明した。イエスを復活させることを通して、神はイエスの正しさを示した。

2024-04-01 02:52:59
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエスの復活を通して示されたのは、イエスの正しさだけではなく、神の全知全能の力だ。人を復活させることなど全知全能でなければ、世界の仕組みを定義する立場にある存在でなければ、できない。イエスの復活をを目撃した500人以上が証言した。殺されても必死に「イエスは復活した」と証言した。

2024-04-01 02:56:10
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分には、この証言者たちを、この証言者たちから証言を聞いて信用して、さらに次の世代にその証言を残した人々を「嘘っぱち」だと否定できない。命をかけて、実際たくさんの人がその証言をしたがゆえに殺されている。殺されてまで嘘の証言をする動機を自分には説明できない。復活の証言者らを信じる。

2024-04-01 03:00:12
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

復活を信じる最大の理由は、自分が救われたという事実だ。神との関係を破綻させた自分は、神を神の立場に置かず、神の立場を認めず、神に対して罪を犯し、反逆し、敵対する立場に立っていた。罰は免れない状況だった。それをイエスが代わりに背負い十字架で死んだ。イエスの死は自分の身代わりだった。

2024-04-01 03:05:22
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエスの負った犠牲により、自分は神との関係を回復させてもらった。以前の神に背いた自分の姿は、イエスと一緒に十字架につけられ死んだ。そして、イエスが復活したように、神との愛の関係の中で新しく生きる自分の本来の姿が復活した。これが自分の救いで起きた出来事だ。復活を身をもって知った。

2024-04-01 03:09:37
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

イエス・キリストは我々の罪のために十字架で死に、我々が新しい命を得て、新しい人として人生を生きるために復活した。イエス・キリストによって救われる以前の自分では考えられないような良い人生を歩んでいる。イエスを復活させた神が、自分の人生も復活させてくれたと、これからも証言し続けたい。

2024-04-01 03:18:43
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

追記: 「鳥山明の世界」と題された本のことを思い出した。鳥山明氏が独自の魅力的な世界観や世界の仕組みを創作し、その世界で躍動的に生きるキャラクターたちが世界中で愛されているからだろう。僕も小さい頃から孫悟空が大好きだった。ちなみに、鳥山明氏本人が、漫画の中に登場することもあった。

2024-04-01 16:11:18