幸福を望んでいる人がなかなか幸福になれない原理

@trinity_inc 樋口耕太郎氏による「新年のご挨拶」と題したつぶやきまとめ
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樋口耕太郎 @trinity_inc

新年が良き年になるよう祈る気持ちは万人共通のものだが、人間科学的に「良い年」は存在しないという事実がある。ハーバード大学のある調査では、事故で両足を切断した人と宝くじが大当たりした(これも事故のようなものだろうか)人の、数年後の幸福度はまったく変わらないという。

2012-01-02 12:03:05
樋口耕太郎 @trinity_inc

雨が降って不幸になる人もいれば、雨が降っても幸福な人がいるのと同様に、両足を切断しても幸福な人生は可能だし、宝くじが当たっても幸福になるとはまったく限らない。要は、人間の幸福は、出来事の「良し悪し」ではなく、出来事の「解釈」によるのだ。

2012-01-02 12:08:00
樋口耕太郎 @trinity_inc

幸福を望んでいる人がなかなか幸福になれないのは、この原理によって説明可能である。幸福を望む人の多くは、実は幸福な「出来事」を望んでいるからだ。この生き方においては、たとえ「幸福な」ことが起こってもそれだけで幸福は持続せず、「不幸な」ことが起こると文字通り不幸になるのだ。

2012-01-02 12:15:17
樋口耕太郎 @trinity_inc

生活が安定すれば、事業がうまくいけば、昇進が決まれば、彼氏ができれば、結婚できれば・・・。実現したその一瞬は確かに幸福感に満たされるのだが、それは決して持続しない。これらの人たちに共通している考え方は、「幸福になるためには前提(条件)が必要である」ということだろう。

2012-01-02 12:20:02
樋口耕太郎 @trinity_inc

事実として「人は出来事によって幸福にならない」のであれば、「幸福になるために条件(出来事)が必要だ」という考え方自体が、その人の幸福を遠ざけている最大の原因だろう。・・・新年早々恐縮なのだが、「良い年になりますように」という祈り自体が、最も「良い年」を遠ざけていることになる。

2012-01-02 12:25:48
樋口耕太郎 @trinity_inc

更に問題なのは、「良い年」になりますようにと私たちが祈る時、それは無意識の中で「”社会的に”良いことが起こるように」という意味ではないだろうか?その瞬間、自分の人生について「他人の目」が望む通りのものであるように、と望んでいないだろうか?

2012-01-02 12:34:16
樋口耕太郎 @trinity_inc

そしてもちろん、社会的に良いことと、自分(の心)にとって良いことは必ずしも一致しない(どころか多くの場合は食い違っている)。月曜日が待ち遠しい人生を送っていなければ、(少なくとも潜在的に)あなたはこのギャップに苦しんでいる筈だ。

2012-01-02 12:44:55
樋口耕太郎 @trinity_inc

自分の心に従えば、社会との軋轢が大きくなり過ぎて、必然的に「良くない」出来ごとが頻発する。・・・幸福であるために「良い出来事」が必要だという世界観に生きるのであれば、社会は辛過ぎる場になる。結局世捨て人になって変人扱いされるか、社会との軋轢によって「壊れて」しまう以外にない。

2012-01-02 12:51:56
樋口耕太郎 @trinity_inc

殆どの人はその軋轢に耐えきれないために、一般的には35歳を過ぎたあたりから、自分の心に従う生き方をを諦める。その後の余生は時折起こる小さな「良いこと」をかき集めるようにして人生を送り、これを「幸福」と定義するのだが、心の中では微かに何かが違うと感じている。

2012-01-02 12:55:09
樋口耕太郎 @trinity_inc

すなわち、自分の心に従って生きるために最も妨げになっているのは、幸福には前提(条件)がある、という世界観である。逆に表現すれば、幸福になるために前提(良い出来事)が必要だと考えている以上、自分の心に従って生きることは不可能とは言わないまでも、極めて困難なのだ。

2012-01-02 13:06:40
樋口耕太郎 @trinity_inc

私の解釈では、このような現代社会の一般的な人生の対極として描かれたのが『フォレスト・ガンプ』だと思う。彼は「幸福になるために社会的な出来事の一切を必要としない」人生を送った。パラドックスは、彼の生き方自体が、彼が関心を払わなかった「社会的な成功」を呼び込んだということだ。

2012-01-02 13:12:46
樋口耕太郎 @trinity_inc

新年にあたり、幸福とは何かを考えるきっかけとして、是非お勧めしたい一本だ。今年も「良い解釈」を。

2012-01-02 13:16:39