- makawakami
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私が22歳から29歳まで勤めた最初で唯一の事務所だった----建築家の菊竹清訓氏が亡くなられた。1928年生まれなので83歳だったと思う。毎年菊竹さんを囲む事務所出身者が集まる菊竹さんの誕生パーティがあるが、ここ数年は行く事ができなかったのが悔やまれる。合掌
2012-01-05 09:09:11最近、急に伊東さんが菊竹さんに近くのなってきたのは、菊竹建築の遺伝子を何処かで繋いで行こうとしていたのかな。勝手にそう思うことにする。伊東さんの流れからの派生の派生で日本の建築がオモチャになってしまったからなー。伊東さんかわ悪いわけではないんだけれど。
2012-01-05 09:43:05生活学会の大会のあとの懇親会で、たまたま菊竹先生と進士先生に挟まれた席にいて、両先生の壮絶バトルの間、頭を低くして防御態勢でいた、あれが唯一、直接お会いした思い出なのだった。
2012-01-05 10:01:42ちょうど2年振りくらいに代謝建築論読み直してた矢先。大2の春にこれを読みながら歩いた山陰はこれまでの旅の中で頭抜けて良かった。メタボリのシンポジウムいきたかった。お会いしたかった。
2012-01-05 10:04:28@hajimebs 昨今においては、あれは極めて希有な機会だったのではないかと思います。なぜあそこに自分が居合わせたのか、いまでも大変不思議です。
2012-01-05 10:46:11@motonagajiro あれは「奇跡の会合」で、今和次郎大先生の霊のチカラとしか思えません。
2012-01-05 10:51:53大社庁の舎と田部美術館が大好きです。会った事のない人でこんなショックなのない。本とか建築のパワーって本当すごいのね。初恋の人がいなくなっちゃったみたいだ
2012-01-05 10:52:50「こ、これ、みんながかっこいいって言ってるからかっこいいんだろうなあ…」と、初見ではこころのどこかに?を感じずにいられないんだけど、しばらく見ている間に「なんかやっぱりかっこいいのかも」と思えてくる建物が多くて好きでした。ソフィテルとか、江戸東京とか。
2012-01-05 11:09:08菊竹清訓さんがなくなられたそうです.「か」「かた」「かたち」の論理や,「メタボリズム」という思想,躯体の強度が顕著にみられる「出雲大社庁の舎」という建築,伊東豊雄さんの師にあたる建築家のかたです.僕が,いまかんがえていること,やろうとしていることの根っこに,菊竹清訓さんがいます.
2012-01-05 11:18:39まさかの訃報連絡‥菊竹清訓氏が亡くなられました。同じJIA文京地域会で、事務所にも訪れ、数時間にもお話しいただけた事やお叱り受けた事は、僕の精神的な糧となりました。
2012-01-05 11:27:02