- makawakami
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菊竹さんが亡くなられたと。一昨年、何度かインタビューに同行してお会いしたけど、いつもあちこち寄り道しながらすごく楽しそうに話していたのが印象的。貴重な話をたくさん聞かせてもらった。難しい論理抜きにして聞き手を納得させ、人を惹き付ける魅力を持った方でした。お悔やみ申し上げます。
2012-01-05 11:31:25録画であの番組を見た時に思わず https://t.co/Gtb8zmqm と呟いてしまいました。。。一度だけご本人にお会いしたことがあります。 RT @scifiblue: @yoshihirohorii いろいろ符号しますなあ、合掌(造り)
2012-01-05 11:31:59菊竹清訓さんの訃報をTLにて知りました。僕は仙田満事務所で環境デザインの実務を学びました。だからいわゆる菊竹スクールのメインストリームとはすこし毛色は違うけれど、環境デザインは間違いなく代謝建築論とつながっていると思います。合掌。
2012-01-05 11:33:40島根県立博物館竣工・メタボリズム結成時に32歳。敗戦後の時勢、早稲田という大学は菊竹清訓さんというスターを生むためにあったのではないか。そう思えるほどに、才能が時代の追い風を受けた戦後「日本」の建築家。その逝去を悼み、おくります。
2012-01-05 11:45:46菊竹清訓氏の訃報を今知る。氏の「か・かた・かたちの三段階論」に〈かち〉の段階を加えて描いた拙論「設計プロセス進化論」について、僭越ながらいつかご意見を伺いたいと思っていたのですが叶わず。ご冥福をお祈りいたします。
2012-01-05 11:53:02なるほど。そしてやはり合掌(造り)。。。 RT @scifiblue: @yoshihirohorii わたしのとこに流れてきたので唯一ソースぽいのはこれですねー http://t.co/jwSxixOV
2012-01-05 11:54:04菊竹さん、フォーシーズンズのジムに通われてて、よく早朝に目白台でお会いした‥ そういえば最近、お姿拝見しないと思っていたら。
2012-01-05 11:54:10私の師である内藤廣先生の、さらに師である菊竹清訓さんがご逝去されたそうです。出雲大社庁の舎はじめ、多くの名建築を設計された方です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2012-01-05 11:58:26菊竹清訓氏が逝去されたという訃報。日本を代表する建築家菊竹先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。One of the most important contemporary Japanese architect, Kiyonori Kikutake, passed away.
2012-01-05 12:06:45前回のブログでも書きましたが、プロダクトだけでなく、建築界にも20世紀の巨匠はたくさんいます。丹下健三さん、黒川紀章さん、菊竹清訓さんなどなど。。。すごい時代でした。 http://t.co/9OkqwY3L
2012-01-05 12:06:58ああ……巨星墜つ。ご冥福を心からお祈り申し上げます。 RT @George_KUNIHIRO: 菊竹清訓氏が逝去されたという訃報。日本を代表する建築家菊竹先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2012-01-05 12:10:01学部の頃「斜面建築」を新建築のバックナンバーで見つけた時はエキサイティングだったなあ。コールハースの斜めスラブの元ネタ見つけたような気分だった。その後パラン+ヴィリリオの斜面建築を知るんだけど。
2012-01-05 12:10:28菊竹清訓さんが亡くなられたのこと。また偉大な人が…日本に「巨匠」と言える建築家はあと誰がいるのか。本当に驚いたし、ショックです。ご冥福をお祈りいたします。
2012-01-05 12:12:10まだメタボリズム展の会期内だったのに…。黙祷 RT @hironobutnk: 菊竹清訓さん亡くなられたのか…母校の校舎のひとつの設計者であり、会社の同期の御尊父であられた。合掌
2012-01-05 12:17:11えっ?!菊竹清訓が亡くなった?柳宗理に続いて、建築、インテリア業界にとって大きな大きな痛手だよ。そういう時期に来ているのかもしれないな...
2012-01-05 12:18:19(菊竹清訓氏が亡くなられたらしい。一つの時代にこれで区切りがつくのだろうか?…折角なので、彼の建築も全てまとめて棺桶に入れてあげれば良いのに。故人のことを悪く言うのでは無いが、存命のうちにメタボリズムの徹底的な検証がされず、批判と反省に立った新しい流れが生まれなかった事は残念。)
2012-01-05 12:22:45再掲。 http://t.co/wK7e2qrq (@sohsai)都市を作りたかった菊竹さんたちの思惑をよそに「郊外」になった田園都市の「錯乱の区画整理」。これ見ると多摩NTの強権発動型の異様さや、開き直って最初から「よい郊外」を計画した港北NTのしたたかさもわかる。
2012-01-05 12:23:19菊竹さんが亡くなられたのか。江戸東京博物館とかの巨大建築指向はあまり好きになれなかったけど、若い頃のデザインは今も衝撃的だ。福岡県内の氏の建築はきちんと撮っておかないといけないな。
2012-01-05 12:25:25