- _philo_sophia
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@iwa_jose (続き)ただ、そういう教育が根本原因ではないかという僕の解釈は、確かに間違っていたと思います。その意味でも、「教育」より「学習」という方が適確ですね。
2010-05-24 20:10:34@_philo_sophia 日常的な使用のなかで、言語を「額面通りの意味以外で使わない」ようにすることはとても難しい、というか、以外と額面通りの意味以上の役割を果すことがいかに多いのだ、ということを知るには、オースティン『言語と行為』など読むといいかもです。
2010-05-24 20:18:15@iwa_jose しかし、根本原因ではないにしても、やはりそういう道徳教育がある程度の影響を与えていると思うんですよね。「風潮を作っている」とまではいかないにしも、促進させる程度には。
2010-05-24 20:18:53@_philo_sophia まあ、「空気を読む」ことを強いるような風潮はぼくもあまり好きではないです。ただ「額面通り」の使用を重視するとして、それはそれで窮屈なコミュニケーションしかできなくなると思うのです。誰もが臆せず率直に意見を述べられるわけでもない。
2010-05-24 20:23:09@iwa_jose うーん。だからこそ、むしろ「誰もが臆せず率直に意見を述べられる」ような社会にしよう。そういう教育を行おう。というのが僕の主張なんですよね。それが窮屈なコミュニケーションかどうかは、正直僕にはよくわからない。
2010-05-24 20:25:35@iwa_jose 一番怖いのは、誤読(誤解)しておきながら、「相手の意図を正確に察している」と勘違いするパターンだと思います。"常識"による解釈に慣れてしまうと、その危険性が増すと思うんですよね。(これはまた少し話がそれますが)
2010-05-24 20:27:51@_philo_sophia 窮屈といったのは、言外の意味を込めるような言葉の使用が、言語表現の豊かさと直結しているからです。「空気読め」的な風潮を排するのは(個人的に)全然アリですが、「空気読め」風潮と「額面通りではない意味での言語使用」を一緒にはしない方がいいのかなと。
2010-05-24 20:38:21ちなみに、アメリカ人の多くは、「日本人は論理的に話すことができない」と言うという話を聞いて、日本は特に察する文化が濃いのかなあなんて思ったのでした。
2010-05-24 20:41:11@iwa_jose 今回はその2つの問題を一緒に扱っていますが、同じものと捉えているつもりはないですよ。/まあ、場合によりけりではありますね。曖昧さの美学というのは確かにある気がします。
2010-05-24 20:44:42@_philo_sophia 個人的には「額面通りに受け取ってくれない人」も「額面通りにしか受け取ってくれない人」もどっちも「困ったものだ」と思いますね。空気は読まなくていいけど、文脈は把握してほしい。まあ、要するにどっちにしろ一辺倒ではマズい。
2010-05-24 20:46:58@iwa_jose 僕はわりと後者だと思うんですけど、自分の解釈が間違っている可能性を常に疑っていれば、そこまで問題はないのではないかと思っています。一番の問題は、どう受け取るかよりも、その解釈を疑うかどうかかなあと。
2010-05-24 20:49:11@iwa_jose 「あなたはこう言っているのですか?」ではなく「あなたはこう言っているのだろう」というような語り方をする人が多すぎるなあと。特にネットをまわっているとそう感じますね。
2010-05-24 20:50:56@_philo_sophia ぼくもわりと後者ですw 額面通りに受け取っておけば「そういうつもりじゃなかった」と言われた時「だったらそう言えよ!」と言えて楽なので。
2010-05-24 20:56:12@iwa_jose と、そろそろ話もまとまったようですし、僕ももう風呂りたいので、この変にいったん区切ろうかと思います。まだなにか気になるところがございましたら、リプライください。後で返信すると思うので。
2010-05-24 20:59:38