- murapyon71
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@murapyon71 @aizujin_k やはり赤飯か、ぜんざい・餡以外のレシピ思いつけませんねえ・・・・・。カボチャの炊いたのに小豆入ってるのは見たような覚えがあるんだけど;
2012-01-08 23:08:45二七小豆といって、麻子と家長の髪を歳末井戸に入れそれを一から七にかけて、又は月の半ばに食すとあります。廿日正月の小豆系は天穿赤縷の名残か?とありますね。正月は小豆尽くし^^;RT @aizujin_k: @Satsuki_1963 廿日正月小豆粥。十日初市赤飯、15日才の神
2012-01-08 23:14:51@murapyon71 @aizujin_k いえw単に小売りの最低量が小豆がゆに必要な量を遙かに超えているというだけですw
2012-01-08 23:20:52@Satsuki_1963 @aizujin_k 最後はお手玉にでもして近所の子どもに配るとか^^ お手玉の中身って小豆でしたっけ?
2012-01-08 23:29:17@murapyon71 @aizujin_k ! 祖母が作ってくれたお手玉に小豆が入っていた理由が判ったような気がするwww
2012-01-08 23:30:59味付けとか
(「それどうするんだ」「明日の朝小豆粥してみよと思うて」「全部使うのか」「ううん?とりあえず明日の分だけ茹でてあと置いとく」「発芽しないか?」えっ??)
2012-01-14 22:39:38甘いのもあるんですね @Satsuki_1963 :(小豆粥のレシピを確認したら味付け砂糖!って出てきた…???実家では塩味だったんだが・・・・・)
2012-01-14 22:44:57@aizujin_k NHKで紹介されてたレシピなんですけどね・・・ http://t.co/SNcWeZ3e そちらでも塩味です?まあ実家風に作ってみます。
2012-01-14 22:46:51@Satsuki_1963 うちは、ほとんどただの小豆ご飯です。どうも、こちらでは一般的のやることではないようです。
2012-01-14 23:01:04@aizujin_k あら、そうなんだ。やはり、土地土地で風習も違いますね。お話させていただいてると面白いです^^
2012-01-14 23:03:36@aizujin_k @Satsuki_1963 『守貞謾稿』に「京阪は此粥にいささか塩を加ふ。江戸は平日粥を食さず、故に粥を好まざる者多く、今朝の粥に専ら白砂糖をかけ食す也」とありますね。僕は砂糖入れたことは無いけど^^;(あ!僕は武蔵っこだった…)
2012-01-14 23:02:54@murapyon71 @aizujin_k あ、じゃあ心置きなく塩味に^^ ありがとうございます。関東ではあまりお粥って食べなかったのかなあ。殿方には甘くない方がお口に合うかもですね。
2012-01-14 23:07:02@murapyon71 @Satsuki_1963 江戸の方が甘党だったのですね。これは以外。そういえば中華の八宝粥も甘い・・・たべたことないけど。
2012-01-14 23:26:35赤豆餅餌?
@Satsuki_1963 在方では14日に団子刺しをするので、それを20日に下ろして食べるのが正月明けの行事として一般的なようです。でも、町方では多分団子刺しをしないからどうなんだろう、自信なしw@murapyon71
2012-01-14 23:11:25@Satsuki_1963 @murapyon71 主にミズキの木を使うのですがそこに、団子を刺し、米粉で作った野菜や動物、鯛や小判の縁起物を模った菓子(最中の皮みたいなの)を飾ったりして、再生(団子の木=若木)と五穀豊穣(飾り物=餅の花)を祝う行事です。ある意味クリスマスツリー
2012-01-14 23:41:36@aizujin_k @Satsuki_1963 『和漢三才図会』で『荊楚歳時記』の廿日正月の天穿という行事「紅縷に餅餌を繋ぎ」を引き、「京師では一般に正月廿日どの家でも赤豆餅餌を食べる」との関連性を説いてますが、これに関連したものでしょうか?
2012-01-14 23:45:54@murapyon71 @Satsuki_1963 関係あるのかもしれません。在方に伝わる在来の習慣と、武家や町人層に広まった京文化のまねびの二つの流れがあって、今ではそれらがマダラに残っているのかもしれません。
2012-01-14 23:52:37@murapyon71 @Satsuki_1963 http://t.co/7NRRZjbq こんな感じでしょうか。なかなか良いものでしょう^^
2012-01-14 23:57:05