石川雷太 @erehwon_dune さんによる「エイブル・アート」批判など
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copeindealt
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@erehwon_dune これは「アートの権威」を利用しているのではなく、あくまで“きっかけ”を実験的に試みているだけ。障害者自身が自主的に製作、出品、展示を全て出来れば、福祉側の援助は無用であり、「芸術の冒涜」は起きず、理想の障害者アートが起こる。
2012-01-05 03:40:12![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@erehwon_dune でも現実は多くの障害者が自身の感情を適切に理解、表現出来ずに内包したまま施設に暮らし続けることになり、その中で一年の作業、行事を遂行することになる。これは少なからず障害者がストレスを抱えることになり、障害者自身がここにいることが困難を覚えるようになる。
2012-01-05 03:49:15![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@erehwon_dune そして彼等の説明しにくい様々な感情の発散方法として「絵を描く」ことを試みる。これがあるいは「芸術の冒涜」と思われてしまう一つの理由だと思う。彼等が先に絵を描いたからではないからだ。指導者がいて、彼等が絵を描くことが先になっているから。
2012-01-05 03:57:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@erehwon_dune 私は在住地のエイブルアート展に行ったことがあるだけですが、指導についてる画家は絵を描く時間を与え、自由に描くことをいつも言っている。
2012-01-05 04:07:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@erehwon_dune 描き方や技術は聞かれれば教えるぐらいだそうで、障害者自身もその時不調であったり、描きたくないと思っていれば参加しません。
2012-01-05 04:08:19![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
障害者へのサポート一般は肯定。描くのも自由。展覧会もいい。しかし「障害者だから優れた絵を描ける」という嘘に基づいて、アートに疎い人々や行政に取り入ろうとする「エイブルアート」の姿勢が詐欺的だと僕は言っている。@leafvein: 私は在住地のエイブルアート展に行ったことがあるだ
2012-01-05 09:27:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕の友人の障害者からの、エイブルアートをめぐるこの間のやり取りの感想が届きました。続けて投稿しますのでご一読下さい。あなたの考える障害者が障害者のすべてではありません。参考まで。@leafvein: そして彼等の説明しにくい様々な感情の発散方法として「絵を描く」ことを試みる。これ
2012-01-05 11:20:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「エイブルアートの問題は健常者が精神なり身体なりに障害を持つ人に対して、自己満足的な「善意」の欲求からやっている事であって、その人の感じる「正義」が純粋に評価されるべきはずのものだという所に落とし穴があると思うので、まあ偽善といってしまうと可哀想だけど、障害者からすれば迷惑です」
2012-01-05 11:20:43![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「障害を理解して欲しいという気持ちは勿論ありますが障害のレッテルあるいは、障害というブランドでもって作品なり人物なりを評価されるというのは、大変腹立たしい事です」(エイブルアートについて障害者からの感想、転載了承済み)
2012-01-05 11:20:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「アート全般(映画や詩や物語)は作品が全てであって作品を気に入って、その人物に興味を持つというのが普通です。まず作品ありきだと思います」(エイブルアートについて障害者からの感想、転載了承済み)
2012-01-05 11:21:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
先日の僕からのエイブルアートに関する問題提起のツイートの再読をお願いします。http://t.co/NkQvuCft http://t.co/6LMw4IzZ http://t.co/Dnko0Dwo @leafvein: これは「アートの権威」を利用しているのではなく、あくまで
2012-01-05 11:33:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「エイブルアートを推進してる人達は多分「私の思う正義」とか「私の思う善き事」を行おうとしてるんだよね、そこには実は障害者はいないんだよね、彼らの正義を押し進める為の方便として障害者が使われてるといってもいいかも」(エイブルアートについて障害者からの感想、転載了承済み)
2012-01-05 11:42:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「障害者だからピュアな作品がうまれるとか多分そういう宣伝文句とかありそう、関係ないのにね」(エイブルアートについて障害者からの感想、転載了承済み)
2012-01-05 11:42:52![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
硬直化した理念やイデオロギーが如何に人間を疎外して来たかを私は知っています。例えば、戦争が多くの場合パワーゲームとして語られるように、言葉はともすれば人間不在の体系を作るのです。私はリアルな現実を見ることなく言葉を盾にする者を敵と見なします。
2012-01-06 10:54:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私はリアルな現実を見ることなく言葉を盾にする者を敵と見なします。最も問題にしなければならないのは、人間であり、自然であり、動物であり、植物であり、それらが構成する世界であり、それらの自由なな発話だからです。
2012-01-06 10:54:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
意味は言葉の属性ではありません。意味は常に流動的であり、その流動性の中にこそ、世界をすくい上げる可能性があるのです。そしてその可能性を捨てたところには、芸術の可能性も存在しません。
2012-01-06 10:55:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
絵が焼却されるなんて初めて知ります。私が行った展覧会は皆ファイルにしまわれるのに。@katsuomaru なるほど。それが現状なんですね。まずその場づくりなのでしょうか。RT @emumoto7emumoto: まず出す場、発表する場がない作品が多すぎる。(´・ω・`)精神病院、
2012-01-07 09:06:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私の中には「障害者」という区分けは始めからないのです。この考え方が絶対に正しいと思っている。必要があれば友人としてサポートもする。看板は上げない。それ以上は語る必要もない。それが私のスタンス。「障害者」はジャンルでもブランドでもないのだから。
2012-01-07 12:51:13![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「メッセージを伝えること」をアートの目的にしてはならない。重要なのはその作品が伝えるべき〈何ものか〉についての明晰さがあるかどうかだ。
2012-01-09 10:25:00![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そして、そもそも観客(=私たち)が鋭敏な感性をもっていたならば、作品という余計なものや言葉の媒介がなくても〈何ものか〉を感受することができるはずだ。「アート」に固執すれば、本質を見失うし、その人の眼も濁る。
2012-01-09 10:25:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アートとは、作品とは、悪い意味で「言葉」であり「物」であり「表面」であり「人間のための道具」であり「私たち自身の言い訳」であり、それらを担保する偶像です。作品を見れば見るほど私たちの眼は現実を見ることが出来なくなる。
2012-01-09 10:52:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アートは作品は指針です。それ自体には意味がない。私たちはそれが指し示す背後に広がる空を見るべきなのです。それができるかどうか、つまり作品の価値とは、それを見る私たち自身の想像力に託されているのです。
2012-01-09 10:52:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
芸術に慰安を求めるのは間違いだ。神の前で懺悔するのと同じように、芸術の前では「人間」を投げ捨てなければならない。〈世界〉も〈芸術〉も、人間を基準に動いてはいない。
2012-01-10 16:39:06