同志社「コミュニティ・デザインの理論と実践」應典院 秋田住職講演まとめ

同志社大学大学院総合政策科学研究科「コミュニティ・デザインの理論と実践」での浄土宗應典院 秋田光彦住職の講演を@nposchool さんが採録したもので、それをtogetteしました。
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Hironori Yamaguchi @nposchool

同志社大学大学院総合政策科学研究科「コミュニティ・デザインの理論と実践」。本日は同志社大学で働く浄土宗宗徒である私の、仏教の師匠である秋田光彦住職(應典院代表)がゲスト。進行役は新川達郎先生!滅茶苦茶豪華な回。私も共に学びます! http://twitpic.com/1ql60i

2010-05-24 18:39:55
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Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>「お寺が遊び場」「地域の共通体験」「阿吽」「身体にしみこんでいる」、そうした無言の伝承が途絶え始めると、意味や役割を問い始める。そうした反語的な問いで、コミュニティが逆にズタズタにされていく。應典院は何もやっていないときの魅力を醸し出すために、あれだけのことをしている。

2010-05-24 18:56:05
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>應典院では、お寺の意味を取り戻していく際に、地域への着眼点を取り戻すことができないかと考えてきた。人間にとっての時間とは何か。歴史や伝統と言うとき、時間の流れをどう捉えるか。例えば「祈り」。生活の中に祈るという行為はどういう意味があるのか。一番わかりやすいの生老病死。

2010-05-24 18:58:55
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>ポジティブで、生産的で、新しくって、若々しいものだけに愛着・価値があるわけではないはず。お寺が生老病死の問題を扱う拠点と言っているのは、例えば、人間、老いることとプライドの問題をどう捉えるのかが問える。答えのない問題に対し、想定しうる場と関係を提供できる。それが應典院。

2010-05-24 19:07:25
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>若い人と應典院との関わりを考える上では、再建された1997年前後の時代背景を捉えておかなければならない。それは、若者が受難してきた時代だということ。全ては自己責任、自己決定と。自己がないのに、決定も何もない。そうして個人が追いやられる時代の中で應典院は立ち上がってきた。

2010-05-24 19:08:23
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>年間3万人の若者が来る應典院。アンケート等を取っているわけではないが、多くが非正規雇用だろう。演劇やアートをやっている若者たちは、いかにも負け組と見えがち。社会に適応できない人たちが、甘い場所に集まって、仲良しをしている、と思われがち。しかし私は反対の見解を持っている。

2010-05-24 19:13:54
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>私はいつの間にか、社会で放棄された育成責任がお寺で担われてよいと考えている。特に若者は、社会で役に立ちたいと思っているのに、役に立たないと思ったとき、実存的な問い、すなわち宗教的な問いを抱えるということ。ただ、変化していく社会の中、それを見ていくのが、なおのこと難しい。

2010-05-24 19:17:32
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>人は物事を見る際の基準点、参照点をどこかに求める。例えば何故勉強するかと言えば、勉強という行為を通じ、私を見つめていくから。ただ、自分たちの好きな世界に埋没すると、内へ内へと求心化していく。若者が生きる意味を求めた時代、私と同い年の麻原彰晃に吸引されたオウム真理教事件…

2010-05-24 19:26:34
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>カルト化していくと心地よい空間の中で内と外の境界をはっきりつけたがる。結果、外のコミュニティから孤立。そうしない最大の方法が表現。表現は誰かに伝えない限り成り立たない。一人でも多くの人に見て、触れて欲しいと、もう一度開く。まさに呼吸運動。應典院が呼吸するお寺と言う理由。

2010-05-24 19:28:59
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>すーっと胸を開き、外の空気を取り込む。應典院がそういう場になればと考えてきた私は、お寺に生まれ、飛び出ると言い、東京の大学に行ったが、その時代の生き方・働き方に今の活動の祖型が…。昔は自主映画と言ったインディーズ映画の製作・上映運動で自分たちの表現をやり抜く経験をした。

2010-05-24 19:31:57
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>東京では情報誌(ぴあ)にもいたので、地域の情報をどう編集するか、文化を遊泳していくナビゲーションしていく上での情報誌やビジネスということを学んだ。小さな会社も起業した。しかし映画をつくって借金、そして逃げ回った。そして、29歳で寺に戻り継ぐことになって、大阪に帰った。

2010-05-24 19:49:57
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>東京で特に40代・50代とつきあった中でつきつきられたメッセージは、再生装置のようにして私の中にある。人間は育ったようにしか育たず、過去がどこかでプレイバックする。食えない映画に対し、お金を含め支援してくれた人と同じ構造を、映画から演劇の世界に変え應典院でしている感じ。

2010-05-24 19:51:43
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>要するに負け犬で大阪に戻るしかなかった「でも・しか」坊主。大きなお寺で生まれ育ったが、本山での僧侶の修行が一種の神秘体験で、人間は知性だけではダメとわかった。知識や情報だけではと、全てが崩される感があった。自分の立ち位置を改め、何ができるか考え、30代に新たなスタート。

2010-05-24 20:08:30
Hironori Yamaguchi @nposchool

新川先生>どこか苦労をしていたり大変なことをしていると、 神の啓示、突然のものの見方の変化などのかたちで、信じる、宗教体験があらわれることがある。人の心のありようを、どう社会と結びつけられるか、人間の暮らしの中にきちんと落とし込むことが可能か、お寺をはじめ宗教の役割はそこにある。

2010-05-24 22:53:25
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>都市の賑わいのイメージを3つ抱いている。1つ目は駅や店に人が集まる感じ。2つ目は学校など、制度の中で人が集まること。3つ目はお葬式のように、誰かの私的な関係の中で集まる。一方で、「あなた誰」というところから立ち上がっていく出会いの柔軟性、偶発性が都市にあるのかを考える。

2010-05-24 23:06:40
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>出会いの柔軟性、偶発性から生まれるつながりは賑わいとなるのかも考える。コミュニティというのは本来地縁と象られ、縁取られてきたが、情報が加速していく中で「地縁=つながり」ではない。外からの参入者、参画者を受け入れながら、地域のつながりを二重三重に書きかえていくことが大切。

2010-05-24 23:10:33
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>地域のつながりの書きかえには仕掛けとつなぎが大切。仕掛け人とつなぎ役が『地域を活かすつながりのデザイン』(創元社)は多く登場。上町台地には生活資源も多く集いやすい利点があるが、資源がないとつながらないのかの問いも。ただ、人間には一番大切な資源として時間という資源がある。

2010-05-24 23:14:05
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>地域の資源という形ある何かだと捉えられがち。しかし、人間が生まれて、死ぬまでのプロセスこそ、資源として捉えてはどうかと考えている。人の一生を、暮らしの記憶や、伝承する物語として編み直すことによって、日本の地域のどこにでも地域を考え直す手がかりを持つことができるだろう。

2010-05-24 23:15:52
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>例えば、在宅ホスピス。厚生労働省の人口動態統計にあるように、現在8割を超える人々が施設で亡くなっている。つまり人の死が病院に預けられてきた時代。それを家に連れ戻そうという取り組み。家庭に末期の人々が帰ってくる、それは人の生涯という時間の資源から地域全体で見つめ直すこと。

2010-05-24 23:20:19
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>僧侶資格を取って10年くらい、物凄く悩んだ。宗教界での関係性や「寺なんていらない」という声と闘った30代、仏教国のNGOの活動でアジアの国々に行ったが、タイで「開発(かいほつ)僧」に出会った。汚い衣を着て土木作業や農作業等で、閉じられた世界を開く、エンパワーする立場。

2010-05-24 23:24:01
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>後で本を読むと、日本の中世の僧侶は開発僧というか聖(ひじり)だったと知ったが、「そうなのか」と現場で感じた。タイの貧村で作られた米を、スイスの団体と共に流通ルートを確保するという僧侶に会った。しかし「NGO活動をしているのではなく、人々を救うための修行をしている」と。

2010-05-24 23:25:01
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>タイで信心というのは人々をここまで行為を純化されるのか、と驚いた。日本に帰るとバブルの残りの頃。多くのお寺が地上げされていた。第二の廃仏毀釈。スーパーやマンションになった。300〜400年の歴史があっても、ずっとそこにいる保障はない。アカウンタビリティが必要、と感じた。

2010-05-24 23:25:38
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>そして、強烈な体験が阪神・淡路大震災。始めてお坊さんがお葬式で泣いているのを見た。プロにあるまじきと思われるかもしれないが、他者の悲惨な死に出会ったときに、一緒に泣く存在ということを思い知らされた。布教や伝道として教え導く「教導」ではなく、協に汗かき働く「協働」へ、と。

2010-05-24 23:27:15
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>六甲小学校のボランティアで、お坊さんがジャンバーを着て暖を囲んで話をする、人形劇に混じって演じる等、宗教性を剥奪しつつ市民と関わる僧侶たちを見た。が、名も無き僧侶で、6ヶ月、共に過ごした尼さんは多くの信を集めていた。人間の最後の死の問題に他者として向き合える存在として。

2010-05-24 23:30:09
Hironori Yamaguchi @nposchool

秋田住職>震災ボランティアでお葬式をしないお寺、市民参加型のお寺、應典院が立ち上がる。最初は市民学習センターをイメージした。しかし、やってくる人が違う。一番最初にやってきたのは自己開発セミナーや霊感商法をやっている人ら。「秋田さんが言っているのは私たちが言っているのと同じだ」と。

2010-05-24 23:30:54