EMCA? EM/CA?──会話分析・概念分析・エスノメソドロジー
- contractio
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@friendsroots だから、「それは「概念分析」と比べて「選んで」いるわけではないでしょう?」と訪ねられたら、「然り」と答えなくてはいけなかったのである。
2010-06-07 12:42:57@friendsroots ここで知りたかったのは、@mum_th さんの謂う「形式的」の意味であった。 他方、上で私が出した例の方は、「テーマや主題設定に関して外在的・偶然的であるが、研究人生にとっては重要な」と言えるようなもののつもりだった。
2010-06-07 12:43:37@friendsroots 一方で。「形式的」という言葉が、前記の意味で「外在的・偶然的」ということであれば、それはそれなりに理解できると思う。
2010-06-07 12:43:52@friendsroots 他方で。@mum_th さんはこれに同意しないだろう、とも思う。つまり「形式的」という言葉は「外在的・偶然的」というよりはもっと強い・実質的な意味をもつものとして主張されているように思われる。
2010-06-07 12:44:08@contractio @friendsroots 確かに「形式的」=「外在的・偶発的」ではないかもしれませんが。とりあえずこの問題については、私は個人的な問題だと断ってもいるし、「選ぶ」という語の使用が不適切ならそれに拘らない、とも言っているので、
2010-06-07 23:44:11@contractio @friendsroots とりあえず「いまやっていることを続ける」と言うしかないのかあ、という気がしています。
2010-06-07 23:45:47いや、意味がわからないと適切か不適切かの考えようもないので… RT @mum_th: @contractio @friendsroots 「選ぶ」という語の使用が不適切ならそれに拘らない
2010-06-07 23:54:31@friendsroots うーん。私はfriendsrootsさんが2010-06-03 23:11:10で挙げた「CAは精度が高い分析ができるから私は会話の研究を選ぶ」とほぼ同じ意味で「選ぶ」という言葉を使っているつもりなのですが、
2010-06-08 00:14:06@friendsroots 他方でこの言い方は、裏返せば「会話以外の対象の分析で貢献する自信がないから、他の分析対象は選ばない」という主張に近くなる。
2010-06-08 00:24:24@friendsroots このとき、「知見の身分が同じである」ということに同意したうえでも、例えば『概念分析の社会学』で取り上げられている研究対象のうちいくつかはCAには取り扱えないという理由で、私はそれらを(研究対象としては)「選ばない」と言いたくなる。
2010-06-08 00:31:05@friendsroots 私が「形式的」という言葉で表現したかったのは、分析対象の範囲が違う、引用する論文が違う、その名を冠した研究会に集まる人が違う、といった、「知見の身分」の問題とは独立して存在するような実際の違いに関する事柄なのですが、
2010-06-08 00:42:18@friendsroots この考え方をどの程度理解してもらえているのか、あるいはこの考え方のどこに問題があるのか、そしてfriendsrootsさんとcontractioさんの間でこの問題に関する見解が共有されているか否かが、私にはよくわからなくなっている。
2010-06-08 00:45:09@mum_th もう一度確認。知見の身分の話に同意されるなら、研究対象として会話を「選ぶ」というのは、「概念分析ではなく」という意味にはならないですが、それでいいんですか?
2010-06-08 00:35:07@friendsroots もちろん、研究対象として「概念」ではなく「会話」を選ぶ、と言うつもりはありません。(何度も申し上げているように、私は「概念」という語の意味とその用法を完全に理解できたわけではありませんが)
2010-06-08 00:50:03いったい会話分析と「何」をくらべているの? RT @mum_th: @friendsroots 分析対象の範囲が違う、引用する論文が違う、その名を冠した研究会に集まる人が違う
2010-06-08 00:48:21@friendsroots ご質問の意図がよくわかりません。『概念分析の社会学』を例にとっても、やはり分析対象の範囲が違いますし、引用されている論文も違う。そのような意味で、「知見の身分」の問題とは独立して会話分析と概念分析にはやはり区別がなされうると思うのですが。
2010-06-08 01:07:03ものすごい徒労感を感じていますw RT @mum_th: @friendsroots 『概念分析の社会学』を例にとっても、やはり分析対象の範囲が違いますし、引用されている論文も違う。そのような意味で、「知見の身分」の問題とは独立して会話分析と概念分析にはやはり区別がなされうる
2010-06-08 01:11:16@mum_th 「分析対象の範囲」や「引用されている論文」は、知見の身分とは独立であるからこそ、それによって概念分析(知見の身分の表現)と会話分析(分析対象の表現)を区別することは-で-き-な-い-んでしょうに!
2010-06-08 01:13:25@friendsroots @mum_th 「選ぶ」を捨てるなら、かわりに「(個人的に(!?))何を守りたい」のかを教えてくれる方向でも可。そしたら別の話ができるかもしれないよ。
2010-06-08 00:25:56@friendsroots @mum_th というか、どこかに話を戻すなら、「奈良の報告書」に戻してほしい。あの報告を受けて、どうして「いまやっていることを続ける」的な表明が必要(?)になるのかを教えてくれればよいような気もする。
2010-06-08 00:28:31.@mum_th 尋ねたいのはこれと同じことです:http://twitter.com/contractio/status/15308230537 つまり、「私は いまやっていることを続ける」という発言が・あの奈良報告に対して・わ_ざ_わ_ざ-為されること、の理由です。
2010-06-08 01:05:53@contractio 私はあの時、contractioさんの言葉に方法論的な挑戦が含まれうるかもしれないと考え、その言葉の具体的な意味を知ろうとした。
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