「テクストの読み方」という能力
- popeetheclown
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.@t_hayashi 自然科学においては,想像力の暴走による身勝手な仮説の氾濫を抑えるために,実験・観測による「抑制」が行われます.自然科学の問いは解決可能でなければならない.テクストの読み方とは必ずしも一致しませんが,似た役割を持っていると思いました.
2010-05-27 11:34:39@tinouye テクストとして洗練済みの「覚えて、適用して、楽しむ」学問語彙と、洗練行程に必要な道具としての「疑って、壊して、使う」語彙とが、相互に関連しているからじゃないですかね。僕は京極さんによって学問的関心を維持したとも言えますが、批評もないとあかんと思うようになった。
2010-05-27 16:04:38まず、出発点はここだった。@AAAIAUA さんの「理系からの文系DIS! 1」。http://togetter.com/li/24052
2010-05-27 16:23:03「理系からの文系DIS! 1」で @AAAIAUA さんが主張していたことは、制度上「文系」と言われる学部あるいは学科の教育は、理系のそれに比してぬるいんじゃん?ということだった。
2010-05-27 16:24:54(ちなみに、いまだにこの「制度上の区分としての文系/理系という区別」を「理念」としてのそれと混同して反応している人がいるが、議論もほぼ全容が表されたわけだし「いい加減それぐらい分かれ」と思う。そんなんだから「やっぱり文系は……」とか思われちゃうのだよ)
2010-05-27 16:27:17そうした @AAAIAUA さんの「エール」を受けて(そう、おれは @AAAIAUA さんの指摘は、「しっかりしろよ」というエールだと受け取っている)、おれは「たしかに文系学部で行われている教育は、ぬるいと言われても仕方ないよな。じゃあ、どうすればいいのか?」ということを考えた。
2010-05-27 16:29:16そういう思いのもとなされたのが、「きたるべき文系学部教育のために」とでも言いうる、つぎの対話である。「学府、そして考えの場所」(まとめ by @tiago_pump さん)。http://togetter.com/li/24290
2010-05-27 16:31:12おれは修士号をアメリカで取得し、いまは博士号取得のためにカナダにいる。そして、アメリカでもカナダでも、「学部生に教える」というしあわせな機会を得た。だから、とりあえずは、北米の大学教育とはどういうものかを、それなりに知っている。
2010-05-27 16:33:45そうして得られた知見をもとに、北米の大学での、日本なら「文系」と区分されるであろう学部(あるいは学科)での教育の実態と、日本でのそれを引き比べると、やはり「ぬるい」と言わざるを得ない。
2010-05-27 16:36:03もちろん、「アメリカ(カナダ)の教育だからありがたい」なんていう、馬鹿げたことを言うつもりは微塵もないけれど、北米での大学教育は、学生に求めるものがそれなりに多いかわりに、学生もそれに応えて相応のものを受け取っている。そういう意味で「かくあるべきだよな」とはどうしても思う。
2010-05-27 16:38:37まとめを読み返すと、ある問題に対して、別の理屈を潜在させているところもあるんだな。役に立つ。
2010-05-27 16:41:31自分に取っては重要だが、他の人はコメントを返さない箇所。しかし、その議論に言及した際に、理論的支柱となっている場所。そういうところが、けっこうある。
2010-05-27 16:42:26そういう問題意識を受け、いわば「個別検証」として、「人文学において『読むこと』はいかにあるべきか」という議論に流れることになる。「テクストの読み方」という能力(まとめ by @popeetheclown さん)http://togetter.com/li/24462
2010-05-27 16:43:30たぶん、ここで「文系の問題探求はどういう構成を取っているのか」って話をさらっとポストできたら話もさらに深みが出るのだろうが、それは欲張らず、KJ&MECEまでの課題としよう。
2010-05-27 16:45:27いまだそれぞれのトピックについて各所で議論は続行してはいるだろうけど、おれはとりあえず、大筋として言いたいことは言った、という感じ、かな。(もちろん、細かい個々の論点にかんしては、まだまだ言うべきことはある、というのはもちろんだけど、それはまあ、機会があれば、おいおい)
2010-05-27 16:46:36@Bijoux01 だいたいそんな感じです。ただ、基本的にTwitter上では「まとめられること」を意識してあんまりしゃべってないので、「そうか、まとめられる程度には一貫した事を書いているけれども、きっとここポイントは〈支柱〉としては不問にされてるのかもな」と思ったりするという。
2010-05-27 16:49:27というかさー、何でみんな批判されたときに、批判されてることの内実を冷静に検分して、しかるのちそうした批判から学ぼうとしないのかなー。何か、「批判に反論」するにしても、感情的なそれか、それこそ「誤読」にもとづくそれかで、どうしようもないしさ。
2010-05-27 16:50:52@popeetheclown まったくもって仰るとおりだと思います。文献を礎とした研究は、ともすれば怠惰な「わたくし読み」が支配的になる危険が、つねにあります。そして、そういう「読み」にもとづいた表出は「私語り」であって、学問ではない。そういう事態は、やはり避けるべきです。
2010-05-27 16:56:54そういう誤読がときによい結果を生むことは、たしかにありますね。でも、やはり、大抵の誤読はたんなる誤読なのです。RT @nsetz: 「幸福な誤読」が豊かな思考をもたらすことはある。しかし@t_hayashi氏の言うように、「そういう自由が「無能さ」の隠れ蓑になっては、まずい」。
2010-05-27 16:58:25@Bijoux01 今朝方評判がよかったこのまとめ http://togetter.com/li/24462 ですが、実は途中、僕はけっこう「あちら方面」に向けてラディカルな事書いてるんですけど、たぶんそう読む人は少数だと思うんですよね。僕自身、こう言い切れたのが奇跡ですけど。
2010-05-27 17:44:53@t_hayashi ちょうど@tricken @AAAIAUA 両氏と同じことを話していました>批判から学ぼうとしない http://bit.ly/a4VwAX http://bit.ly/cjvnTT http://bit.ly/9cfvXU
2010-05-27 18:12:36@popeetheclown いずれのツイートも、うなずける意見です。「なぜ批判に生産的に応えられないのか?」ということも、別途議論の対象になりそうですね。
2010-05-27 18:19:38