タケヤ味噌の創業記念日は2月30日?!

タケヤ味噌は創業140周年だそうです。 創業時のエピソードから、信州味噌の発展に関する話題まで。 こんな記録が残っていることが驚きです。
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タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

私たちタケヤみそ明治5年(1872年)創業なので、今年は140周年の記念の年を迎えました。皆様方のご愛顧のおかげと、心より御礼申し上げます。さて、では明治5年の何月何日に創業したか、という話なのですが、実は「2月30日」という、今ならばあり得ない日なのです。

2012-01-10 11:59:31
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

明治5年は太陰暦(正確には太陰太陽暦)で始まり、その年の暮れに現行の太陽暦に改定されています。したがって「2月30日」は明治5年まで存在したのです。それはそれで良いのですが、おかげでタケヤみそには「創業記念日が存在しない」という状況になっております。

2012-01-10 12:05:57
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

タケヤみその創業記念日が「2月30日」だという話をしましたが、実はその前から商売はやっていました。主な商売は米・薪・炭などの販売業だったようです。では、なぜ2月30日かというと、記録の中に「明治5年2月30日に“みそかんばん”を買った」とあるからなのです。

2012-01-11 12:16:27
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

諏訪にある一軒の商店にすぎなかった当社が「みそ、始めました」という看板を出したのでしょう。そこで、この2月30日を創業の日と定めることにしました。でも、当時の本業はやっぱり米などの販売で、看板は出したものの、みそはぜんぜん商売にならなかったようです。

2012-01-11 12:19:34
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

タケヤみその創業当時に、どうしてみその商売がうまくいかなかったのか? それは「諏訪に住んでいる人はみんな自分でみそを作っていたから」という簡単な理由です。今でも諏訪では漬物を自分で漬ける人が多数いますが、みそも同じように作っていたのです。

2012-01-12 18:05:51
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

「我が家のみそが一番うまい」という「手前味噌」の語源でもあるのですが、では、当社は売れもしないのに、どうして「みそ始めました」と看板を出したのか、という疑問が生まれます。それは、みそを作れない=買わざるを得ない人がいたからです。明治新政府から派遣された、江戸生まれの役人さんです。

2012-01-12 18:08:08
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

江戸時代、確かに地方では、みそは家で作るものでした。しかし大都会江戸ではすでに市販商品だったのです。江戸には数万トン規模でみそを醸造するメーカーがあったとか(現存していたら間違いなく大手メーカー)。つまり、江戸の人にとってはみそは買うもので、作り方を知らなかったのです。

2012-01-13 19:10:30
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

明治新政府は全国各地に江戸の役人を派遣したので、そんな江戸っ子のために、当社はみそを売ろうとしたわけです。でも、諏訪のような田舎の人にとっては「みそを買う」なんていうことはとんでもないこと。「あの家、みそ買ってるんだって。信じられない!」なんて噂になりかねません。

2012-01-13 19:11:55
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

そこで、みそを買う人は夜こっそりと店にやってきて、扉も半分しか開けず、顔は隠して手だけ出して「おみそをください」…と買っていたそうです。まるでヤミ商売ですね。白昼堂々みそを買えるようになったのは、明治も中期になって、市場経済が発展し始めてからのことだそうです。

2012-01-13 19:13:00
とり @toritori129

@miso_takeya 最近の話題になっているタケヤの歴史おもしろいですね。何となくは知っていますが、改めてなるほどと思いながら読んでます。

2012-01-12 22:59:44
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

@toritori129 ありがとうございます。先輩方がこういう話を記録しておいてくれたおかげで、140年後の我々も昔のことを知ることができるわけです。感謝です。

2012-01-13 19:17:05
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

当社の創業当時、江戸から来たお役人さんはみそが作れないので、買わざるを得なかったという話の続きです。一般に普通の家では自分で食べる分しか作らないので、みそを売ることははできないはずなのです。なのに、なぜ当社はみそを販売したのか、という疑問が出てきます。

2012-01-16 12:25:43
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

まあ、事実上ヤミ商売ぐらいの量だったので、自家用を少し分けていた、ということも考えられるのですが、実は当社には江戸時代から、みそをある程度大量に製造していたと思われる形跡があります。先日、当社は米や炭などを売るのが本業だったという話をしましたが、それは明治以降の話で、その前は…

2012-01-16 12:28:29
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

当社は江戸時代は宿屋をやっていたのです(確かに当社創業の地は旧街道沿いにあります)。当時の帳簿を見ると、酒や酢を購入したという記録はあるのですが、みそを買ったとはどこにも書いてありません。つまり、宿泊するお客様に出すみそは、自分で作って提供していたと考えられるのです。

2012-01-16 12:30:58
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

つまり、ある程度みそを大量に作るノウハウが当社には江戸時代からあったと。それを商売にしたのではないかと考えられるのです。そんな当社が、なぜ宿屋から米屋に転業したのか、という話にもおもしろい背景があるのですが、それはまた別の機会にお話しします。

2012-01-16 12:33:49
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

当社は江戸時代に宿屋をやっていたので、みそをある程度大量に作る技術を持っていた(なのでみそメーカーになれた)という話です。少々当社とは離れますが、当社が創業して60年くらい後に、諏訪地区では似たようなことが起こりました。その話を紹介したいと思います。

2012-01-17 12:13:41
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

諏訪が絹の生産で明治・大正期の日本経済を支えたことをご存知の方も多いと思います。ところが昭和恐慌で製糸工場は危機に立たされました。このとき、特に岡谷市の製糸工場の10社以上がみそメーカーに転業しました。理由のひとつが、女工さんなどに食べさせるみそを自分で作っていたからです。

2012-01-17 12:18:00
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

つまり、製糸工場でもみそは買わずに、自家製のものを使っていたわけです。みそ工場に転業した岡谷のメーカーですが、戦前から世界を相手にしていただけに戦後も企業家精神を発揮。どんどん生産量を伸ばし、現在の「日本一のみそどころ」諏訪の基礎を築いています。

2012-01-17 12:20:35
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

江戸時代、江戸(東京)では現地で作られた市販品のみそが流通していた、というお話をしました。もちろん明治以降もそれは続きます。では、いつから信州みそが東京に流れ込むようになったのでしょうか。そのきっかけになったは、大正12年(1923年)に発生した関東大震災なのです。

2012-01-18 12:12:15
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

関東大震災において、救援物資として活躍したのが信州のみそだったのです。すでに開通していた鉄道を使って、みそが東京をはじめとする関東地区に大量に運ばれました。それが「信州のみそもおいしいじゃないか」と評判になり、復興後も引き続き販売されるようになったのです。

2012-01-18 12:12:59
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

ちなみにこのころ、まだ“信州みそ”という言葉はありませんでした。「諏訪みそ」「上田みそ」など、よりダイレクトな産地の名前で親しまれていたそうです。現在「諏訪みそ」の知名度は今ひとつですが、諏訪で大豆を作ったり、みそ天丼を作ったりと、少しずつ諏訪みそ復活の動きが始まっています。

2012-01-18 12:13:22
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

関東大震災の救援物資として、みそを関東に送るのに大きな役割を果たしたのが鉄道(諏訪の場合は中央本線)でした。トラックのない時代、鉄道は大量輸送の唯一の手段であり、これがあったからこそ、みそを関東に運ぶことができたわけです。この背景を説明したいと思います。

2012-01-19 12:30:32
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

諏訪まで中央線が開通したのは1905年で、今から107年前です。なぜ中央線が早く開通したのか。ひとつには、海沿いを走る東海道線が海からの攻撃に弱いため、そのバイパスとして開通を急いだという軍事上の理由があります。一方、経済面でも中央線が求められる理由がありました。

2012-01-19 12:31:10
タケヤみそ 株式会社竹屋 @miso_takeya

それが、一昨日お話しした養蚕・製糸工業です。当時の重要な輸出産品である絹糸を横浜の港に運ぶために、中央線がどうしても必要だったのです。現在諏訪がみそ産地として存在しているのも、このような時代背景の後押しがあったというお話でした。

2012-01-19 12:31:27