2012.01.22 笠井潔さんのツイートまとめ その2
- ichitose0810
- 1622
- 1
- 0
- 0
というわけで、ご期待に添うようにします。バタイユやバタイユ主義者のボードリヤールは、大衆蜂起は極点まで突き進んで燃え尽きてしまえばいいという意見ですね。長いこと笠井もそうしかいえないと思っていて、「線香花火革命論」とか揶揄されていました。
2012-01-22 21:28:04ここ数年のうちに少し考えが変わって、覚悟の敗北(純粋アナキズム)か収容所群島(ボリシェヴィズム)か、という二択以外にも道はあるのではと思いはじめました。細かいことは『例外社会』の第三部で書きましたが、簡単にいえば、手近なところで相互扶助集団を無数に形成することです。
2012-01-22 21:32:19いったんつまずいたら底まで墜ちてしまう滑り台社会では、最後のセーフィティネットを自前で作るしかない。これからの時代、年金はもちろん生活保護まで社会保障なんてまったくあてにできませんから。自分が滑ったら助けてくれる仲間を作る。仲間のために、自分のできる範囲で手を差し伸べる。
2012-01-22 21:37:303人でも5人でも10人でもいいから、そのような集団を形成していくしかないと思います。仲間を作れない、コミュニケーション能力が低い人はどうするのか。しかし、とりあえず、そこまで考える必要はない(原理的には重大な問題ですが)。まず、「われわれ」が生き延びるのが先決だから。
2012-01-22 21:41:01その先のことは、生き延びることができた「われわれ」が考えればいい。こういうと、「語りえない者」や「一人では生きられない者」を見棄てるような思想は犯罪的だ、撲滅に価する、といいはじめるPCな人がいることは知っています。
2012-01-22 21:44:49その種の発想こそ、自己欺瞞的な観念的倒錯だということを、笠井は『テロルの現象学』で書きました。その結論はいまもまったく変わっていません。自分は良心的だと思いたいだけの微温的な良心派なら、まだ実害は少ないのですが、それが過激化すると強制収容所を作りはじめます。
2012-01-22 21:49:57とりあえず生き延びるための相互扶助集団(生存のためのサンディカ)を、頼母子講の類でもいいから、いまここで一人一人が作ろうと努力することです。そのような無数の相互扶助集団が大衆蜂起の骨格をなしていくなら、これまでとは違う方向で事態が進展することも望めるのではないでしょうか。
2012-01-22 21:56:31思えばフランス大革命からパリコミューンまでの大衆蜂起も、完全にばらばらの諸個人が街頭に飛びだしたわけではない。もちろん、1848年革命のボードレールのような「個人」もいたでしょうが。コルポラシオンやアソシアシオンと呼ばれた相互扶助集団が蜂起に重要な役割を果たしたのは間違いない。
2012-01-22 22:00:35地元つながりのヤンキー仲間から初期のライブドアまで、そのような集団は現代日本でも無数に生じている。福祉国家が崩壊すれば、当然そのようになります。会社も政府も頼れない以上、自前で生きぬくしかない。
2012-01-22 22:09:14無数の生存のためのサンディカが自然発生的に連合して結果的に生じる大衆蜂起の目的は、もちろん自前の政府を作ることではない。新たな主権を樹立することでもない。ここから先が肝要なのですが、しかし大衆蜂起の破壊力を利用して権力を握ろうとする輩はからなず存在する。
2012-01-22 22:11:52ロシア革命ではボリシェヴィキが、今回のエジプト蜂起ではイスラム原理主義派が、そうした役割を果たしています。これはフランス大革命の昔から同じことで、下層民衆によるバスティーユ襲撃、それを闘った人々と無関係な場所、ヴェルサイユで開かれていた議会内諸党派の力関係の変化に回収された。
2012-01-22 22:17:26どうすれば、このような必然性を避けることができるのか。ここに大衆蜂起の「政治」があると思うのですね。パリの場末で起きた大衆蜂起にたいし、ベルサイユ宮殿を舞台にした「政治」。このような制度にすぎない政治を覆す、蜂起のための政治が必要です。
2012-01-22 22:21:14しかも大衆蜂起が必要とする政治は、一般論で語ることはできません。具体的な場での具体的な方針や行動としてしか、それは現実化されえない。というだけでは、あまりにも無責任だと思われるかもしれませんが、実際にそうなのです。語りうるのは過去の革命にかんして、イフを提起することくらい。
2012-01-22 22:24:28