日本史における苗字と氏の違いについて
- octo_hassaku
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「#日本史における苗字と氏の違いについて」 ソースはWikipediaなので、聞き流す程度で。また、受験生は混乱するかもしれないので閲覧注意。
2012-01-26 17:03:01氏(ウジ)といえば、古代日本における氏姓制度で定められた、同族を表す記号である。有名なものは蘇我氏や物部氏だろうが、身近なところで知らない「氏」は結構ある。 #日本史
2012-01-26 17:03:29ちなみに姓(カバネ)とは職種を表す記号である。有名なものでは臣(オミ)、連(ムラジ)など。そして忘れてはならないのが、天武天皇が定めたとされる八色の姓(真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置)である。 #日本史
2012-01-26 17:03:53ちなみに蘇我入鹿は「そがのいるか」と、「の」を入れて通常読まれるが、これは「蘇我」が、氏であるためである。氏の後には「の」を入れて読むのが慣例だったそうだ。 #日本史
2012-01-26 17:05:10例えば、日本史既習者は分かると思うが、足利義満は明に宛てた書状の中で「源朝臣義満」と名乗っている。ここで言う源朝臣は氏と姓。苗字は足利だが、氏は源。そして源氏の姓は朝臣。 #日本史
2012-01-26 17:06:05そして、豊臣も氏なのである。戦国〜安土桃山時代に詳しい人は、秀吉が家臣に「豊臣」を与えまくったという話を聞いたことがあるだろう。あれはあくまで豊臣氏を賜ったということなのだ。 #日本史
2012-01-26 17:06:25しかし関白就任にあたり、藤原前久の猶子となり、藤原氏に改めたのである。そしてその後、豊臣氏を自ら創設し、豊臣氏に改め、家臣に与えることで氏としての地位を築こうとしたのだった。 #日本史
2012-01-26 17:07:05この氏姓制度は律令制度の一部であるが、武家政権下においても残っていたのは非常に興味深い。形骸化してたとはいえ、官位は一つのステータスであったのだ。 #日本史
2012-01-26 17:07:50この氏姓制度、明治維持によって廃止されるのだが、明治維新の立役者である伊藤博文や大久保利通も壬申戸籍編纂の際に、越智宿禰博文から伊藤博文に、藤原朝臣利通から大久保利通に改めたそうだ。 #日本史
2012-01-26 17:08:12以上、氏姓制度について調べる中で、日本の「氏」に関する伝統が飛鳥時代〜明治時代まで一連の流れを持って見えてきたことに感動したためにツイートしてみた。 #日本史
2012-01-26 17:08:55氏姓制度のTweetをまとめてて要旨が足りないように感じたので補足。源氏、平氏などと何気なく使われているが、それは必ずしも血縁に拠るものではないのである。源平藤橘などは日本史上よく出てくるが、後半にいくに連れてその意味合いは称号化していくのである。 #日本史
2012-01-26 22:05:53そして苗字の発祥も実は称号化した氏の氾濫に由来する。例えば摂関政治全盛期。称号化した「藤原」氏が増えすぎたため、血縁関係による「家」を区別するために苗字が生まれたのだ。 #日本史
2012-01-26 22:07:55しかしその称号化した氏もまた重要ではあったのだ。家康は征夷大将軍の位につくために、源氏を名乗っている。更には明治維新を支えた伊藤・大久保・大隈らも何かしらの氏に所属していたのである。 #日本史
2012-01-26 22:11:05彼ら明治維新の立役者らが氏を必要としたのは、天皇中心の政治体制に戻すにあたり、彼らも官位を得る必要があったからである。そして、官位を得るためには何かしらの氏を名乗る必要があったのである。 #日本史
2012-01-26 22:14:14僕はここに日本の家制度の1つのルーツを見出す。ヤマト政権時代に始まり、文明開化の時代まで律令制度と共に生き残り続けた氏姓制度。そしてその残滓は現代にまで受け継がれているのである。これを「歴史のロマン」と言わずして、何と言うのであろうか。 #日本史
2012-01-26 22:16:17そして歴史の中で、この氏・苗字・家制度というものがたびたび顔を出す。家制度が統治にも戦争にも密接に関わってくる。そう考えると日本の歴史は家制度によって成り立っていた側面もあるのではないかと思えてくる。 #日本史
2012-01-26 22:23:59最後に、ここでは#日本史について書いて行ったが、既存の知識どうしがある文脈の中で繋がる面白さ、というものを共感することができたら嬉しく思う。
2012-01-26 17:12:17