聖地と化した土地で創らされる秩序
- tiago_pump
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とまあ、第一土地利用者(※これにしたって、農村時代、近代工業化以降、戦後のモータリゼーション以降などの幾重もの歴史の堆積と、その結果としての複数の利害集団が一同に暮らしているだろう事実を無視した乱暴な言いましだけど)と、彼らに対置される異邦人の、相互の視座の交換で考えてみた。
2012-01-28 01:41:42とまあ、このタテの利害関係とヨコの利害関係がぐちゃっとまざりつつ呉越同舟したりケンカしたり互いの苦労を労わったりする、そのサマに「なんかポッと出のアニメがオラが街に勝手に意味付けしたらしいで」と、突然n+1されてしまうところに、アニメによる聖地化のダイナミズムがあるのではないか。
2012-01-28 01:45:28すでに濃厚な(決して幸福だけを意味しない)土地と人々の文脈があるところに、思いがけない意味づけの「n+1」があり、そこに対して、元の住民も、惹かれてやってきた部外者も、ともにその新状況が生み出すちょっとした混乱に(相互に関わり合いアリナシを確かめ合う中で)適応していくしかない。
2012-01-28 01:49:35とまで書いて、「あれ、これってまんま〈舞台装置としての郊外〉と〈何でも起きうるのだという世界把握〉の両方の関係を示してるね」と気づき、だからはるをさんはアニメの聖地巡礼が好きなのね、と勝手に納得してしまった。
2012-01-28 01:52:18世界設定の「n+1」が濃厚な語りや複雑なジレンマを生むためには、先行する土地利用の来歴が十分に濃厚であればあるほどよいのか。新しく追加される状況が元の土地の物語と比較して強烈に違和をもつほどに、その違和の再調整の過程は、一大エピソードに足る人々の営為を必要とする。
2012-01-28 01:55:28まあこれはどっちかというと浅川河畔スタジオ論になっちゃった。でも、アニメの聖地巡礼をめぐる規範(・とみなされている何かよくわかんない空気)の解体とその再構築の過程で、来訪者がわの秩序形成が進むほどに、包摂されきれなかった極端な部外者は生産され続けるはずだ。
2012-01-28 01:58:21@tricken 観光学の視点も欲しいところ.あれは土地の意味を常に再構築して行く/再構築される場所としての土地,というスキームだけれど. あぁ,このへん[中沢 新一 , 細野 晴臣『観光―日本霊地巡礼』 http://t.co/02wPOt7e ]も参照に足る文献かも.
2012-01-28 02:01:41ただ,かつての「観光」というのは,前線と銃後の明瞭な戦争のようなものだったが,いまは不正規戦のように,どこで「土地の意味の読み直し」が生起するか分らない,というところは随分違うな.
2012-01-28 02:03:20@tiago_pump @namak @haruwosumi @kamedango あ。「川の妖怪と仲良くやっていこうと村で一致団結してみたら、多種多様に活動していたはずの河川妖怪ズが百年後には一緒くたに河童扱いされてしもうた。里に妖怪側がただ合わせるのも良し悪しかも」みたいな。
2012-01-28 02:10:40@awajiya そうですね、はるをさんが面白がっている部分も、その不正規戦のような脈絡のなさゆえに、その場に存在していた街の来歴が否応なく問われてしまう、というところにあるんじゃないかと改めて思った次第です。
2012-01-28 02:19:30@tricken うん.正規戦としての近代観光てのは,プロが企図し,戦場を設定し,正規軍を投入してやるものなのですよねw それが「そうでない」事象が起きている.プロが似たことやろうとして発火しなかったケースが山ほどある.このあたりは非常に面白い.
2012-01-28 02:23:11