果しなき円環の果に 〜”円環の理”の真意とは〜
何故全肯定≒絶望の全否定が必要なのか。世界を繋ぐために「全ての生を肯定する意志」を必要とするのなら。全肯定される生の衝動を以て、熱的死の無に投じる一石とするのであれば。
2012-06-01 01:35:29動くものの何ひとつない世界に、ただ一つ残された力。残された? 否、遥か遥か太古の、その始源よりも大昔から、ただこの時のために蓄え続けられた希望。全ての生命が、あらゆる存在が凍えたその時。「奇跡も、魔法も、あるんだよ。世界を、このまま終わらせない」その声は。再醒の、祈り。「——闢」
2012-06-01 02:51:37かつて「円環を断つもの」http://t.co/eiDyof8P と云う話を書いた。ただ最近「円環の理はその魂をどこへ導くのか」を考えた際、それすらも誤りなのではないか、そう考えるようになってしまっている。
2012-02-04 02:21:24もっともあの概念体の”守備範囲”はビッグバン一回分なのかなー、と云う疑問はあるけどね。熱的死の状態に辿り着くまで何回の開闢を経る必要があるのか、想像もつかない。
2012-02-04 03:03:15……そりゃ、こんなタイムスパンで考えてたら他の人と話が合う訳がないんである。だから「円環を断つもの」でほむらがやったことは——間違い、だ。
2012-02-04 03:19:21あの、再改変の先の世界に——未来は、無い。無よりも更に低い確率で、熱死を超えて世界が目醒めることは、ひょっとしたらあるのかも知れないが。
2012-02-04 03:22:27後日の考察
んー、やっぱり「熱的死からの相転移による再創世」の為に可能な限りのエネルギーを回収するシステム、と考えた方がしっくり来るな、円環の理って。将来的に完全に静止すると云うことは運動エネルギーの零化と潜在的な無限大のエネルギーの存在を示唆する訳で、その相を逆転させてしまえればいい訳だ
2012-05-31 23:41:54やがて必ず来る、熱的死を迎えた絶対静止時空を、再び高エネルギー真空の坩堝に還す。その為の、まさに「神の一撃」を成就せんが為の力、むしろ祈り——それこそが、円環の理。尤も誰もその真意に辿り着くものは居ない、のだろうけれど。或いは、アカシックレコードの読み手なら——。
2012-05-31 23:49:19