果しなき円環の果に 〜”円環の理”の真意とは〜
静止状態と云うのは静慣性エネルギーが最大なのだっけ。つまりそこを相転移させてやればと云う訳だけど、固定する場を四次元的にひっくり返してやれば支えどころを失った位置エネルギーに還元されるんじゃないかとかそう云う。その状態で物質はまだ存在しないものの、世界は高エネルギー真空で満ちる。
2012-06-01 01:05:49保存則がそれでも有効であると仮定するならば、熱的死の状態とは運動エネルギーが零となったものでしかない訳で。その状態下では何らかのエネルギーが無限大に到達していないとおかしい、と云うことになる。それが形而上か形而下かに関わらず、なくなる訳ではないのだ。姿を変えただけ。
2012-06-01 01:11:47だから、力はそこにある。誰かがその扉を開闢いてくれるのを待っている。死んだように止まったそこは、返せば即ち位置エネルギー、静慣性に漲る混沌に変じる可能性の坩堝。ひとつさざ波が立てば、ドミノのように沸き立つ原初の真空に還るだろう。
2012-06-01 01:18:38何故全肯定≒絶望の全否定が必要なのか。世界を繋ぐために「全ての生を肯定する意志」を必要とするのなら。全肯定される生の衝動を以て、熱的死の無に投じる一石とするのであれば。
2012-06-01 01:35:29動くものの何ひとつない世界に、ただ一つ残された力。残された? 否、遥か遥か太古の、その始源よりも大昔から、ただこの時のために蓄え続けられた希望。全ての生命が、あらゆる存在が凍えたその時。「奇跡も、魔法も、あるんだよ。世界を、このまま終わらせない」その声は。再醒の、祈り。「——闢」
2012-06-01 02:51:37さらに後日の考察
——きっかけは一首の短歌から。
……多分、相転移してブチ撒けるところまで肯定しているのだろうな、と思う。あとのことは考えなくていい、わたしがちゃんとするから、そう云って最期の大爆発にも付き合っているのだろう。それがどれほどの時間を要したとしても、時の外側たる”彼女”には刹那と等価だ。
2012-06-20 03:25:54呪わなくてもいい、んじゃない。どんなに呪ってもいい、それはわたしが受け止めるから、なのだろう。心残りも何も燃やし尽くして、からっぽになれたとき。そのとき初めて、彼女はその真意を告げるのだ。
2012-06-20 03:29:44「最後の魔女」が、時間軸上のどこにいる存在かと云う話
そう、あれは終焉の象徴。あらゆる時間と空間で受け止め続けた呪詛の窮極、恐らくは具象化された熱的死。即ち、世界を静止せしめる絶望そのもの。そう考えれば、時空を超えて立ち会い看取り続けることで蒐め続けた力の、その使い途も見えてくる。
2012-06-20 03:33:47億兆を超え京垓、那由他に到る時の果てに訪れる絶対静止の無。そこに潜む、”零と云う運動エネルギーが約束する無限のポテンシャル”を再び解放するために。
2012-06-20 03:37:37と云う訳でこの仮定が正しいのか、自信はない。ただ保存則がそれでも生きているならば、動かないと云うことはゼロを意味するものではない筈だ。静止する無限のゼロは、きっかけさえあれば無限を秘めた無に転じるものと、そう信じている。
2012-06-20 03:44:37物理レイヤー上の時間軸では、あれはこの世界が完全に拡散し熱的死の状態に入ってからその後のことであろうと推測する。起こる出来事はつまり、ビッグバンのその前駆段階、全宇宙レベルの相転移。
2012-06-20 03:49:26では改変後の世界は”二巡目”なのかと云えば、そうではないだろう。元の世界に可能な限り齟齬を生じさせぬように留意しつつも、あまねく彼女らの最期を看取りそこに干渉することを不断に繰り返す。その為にこそ、時の外側の者たるを選択したのであるから。
2012-06-20 03:56:51そうしてあらゆる時空から蒐めに蒐めた力を、これまた無限にも等しいそれをもって宇宙そのものを再び目醒めさせるとすれば。その時にこそ、文字通りの円環は一つに繋がるのではないかと、そう考えるのだ。
2012-06-20 04:03:02