芝村裕吏(@siva_yuri)さんによる哲学の話題「恋と愛と欲とは分別できるか」
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@siva_yuri たとえば、恋、もしくは愛という感情と、同情や保護欲、あるいは性欲と言った情動は強い結び付きがあるのでしょうか?だとするとそれらを明確に分けることはできるでしょうか?またどのような方法を用いればそれらを泰然と受け入れ日常に挑むことができるでしょうか?
2012-02-09 13:16:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
たとえば、恋、もしくは愛という感情と、同情や保護欲、あるいは性欲と言った情動は強い結び付きがあるのでしょうか?だとするとそれらを明確に分けることはできるでしょうか?またどのような方法を用いればそれらを泰然と受け入れ日常に挑むことができるでしょうか? ですか。
2012-02-09 13:17:14![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
人の心の動きを愛だの性欲だの保護欲だのと区別するというのは、そもそもギリシャの暇人(哲学者は暇な人の職業だった)やその流れを組む科学者がやり出した話です。 まず第一点として、暇人や科学者に従う前に、自分の感じ方の方を大事にしてください。
2012-02-09 13:19:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
感情や心はそれを持つ人のものです。それを他人の定義に無理矢理あてはめたり、それにそって定型化するほど愚かで悲しいこともありません。 自分の心の答えはまず、自分の心にこそあると知ってください。
2012-02-09 13:21:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
人間、歩き方を考えすぎて歩くとうまく歩けないものです。 意識をすることは役立つこともあります。 が、悪い事もあります。 恋と保護欲について考えるうちにお姉ちゃんは年下の恋人をとられました。では、なんのための意識で、なんのための学問だかわかりません。
2012-02-09 13:23:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
哲学も科学も、賢人の言葉も、本来はそれを聞く人を幸せにし、迷うとき、困るときに道末を照らすために考えを開陳しているのです。 その言葉がまぶしすぎて行く手を間違えるようでは、哲学者も科学者も賢人も、草場の影でがっくしと肩を落とすでしょう。
2012-02-09 13:24:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
哲人賢人の言葉は人を悩ますものではない。 悩むようならですね。その言葉は一度無視してください。 必要ならば教えたことを全部忘れて本能で動け。 それでいいと思います。
2012-02-09 13:26:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
人を好きな感情に割合や%、カテゴライズなどは無意味です。 それが何を背景にしているかも、まあ、どうでもいい話です。ばかげた話です。 芝村家では自分の胸に聞け。迷うな。結論が出たら今夜の内に屋敷に火を放て、軍を立てろといいます。
2012-02-09 13:29:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
火が光を放つのであって、光に照らされたから光を放つわけではない。 ともいいます。 自分の心の火です。 それぐらいは自分で守りましょうや。 哲学者はホモでした。 正当化するために哲学が生まれました。逆ではないですよ。貴方もそうしてください。
2012-02-09 13:31:08