【さかのぼれ!】摂関政治の危機【日本史】
Eテレ2/7「さかのぼり日本史」オンエア中のTLをまとめました。
私の生まれる以前のことなので、当事者である藤原頼長(yorinaga_bot)殿に大幅に補足をお願いしました。
左府殿、本当に有難うございました。
また、ご協力いただいた皆様、有難うございました。
- sukemori_t
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【解説 同志社大学名誉教授 朧谷 寿先生】
保元の乱によって摂政関白の権力は完全に失墜したが、摂政関白として天皇を補佐してきた立場、その尊貴性ゆえに文化・有職故実をよりどころとして今日まで藤原氏は続いてきた。
京都市伏見区・城南宮での収録
平 資盛
@sukemori_t
城南宮は夏に能登殿と行きました。http://t.co/Y46eLLcU (・∀・)。oO(このあたりは、らぶほ街なんですよね)
2012-02-07 22:05:40今月のテーマ
藤原氏はどのように権力を手にし維持したのか
今回は保元元年(1156年)保元の乱にスポットを当てる
保元の乱
天皇家と摂関家の内紛が結びついて争う
↓
武力で解決
藤原氏は危機的な状況に陥るが、地位だけは保った
藤原頼長
@yorinaga_bot
不比等様だけでなくその父鎌足や御堂関白なども偉大すぎて。 RT @K_Yoshinaka: 不比等が偉大だったんだよ、藤原家は。
2012-02-07 22:05:13応徳三年 白河上皇による院政開始
藤原道長から数えて5代目藤原忠実は、摂関家当主となるも摂政関白にならず、権大納言の地位にとどまる。
鳥羽天皇から忠実の娘泰子を后にしたいという話を持ちかけられる。
天皇家の将来にかかわることを上皇の断りなしに決めたことで、
上皇の怒りを買う。 →忠実、罷免、謹慎。
その泰子さんは後に39歳という年齢にさしかかりながらも
入内し、「高陽院」という称号をもらい
弟頼長と鳥羽院をむすぶ大切なパイプにもなってくれました。
実は重要な位置にいる女性。
権力を失った摂政関白
↓
藤原道長の子、頼通の時代に外戚関係が途絶える。
偶然性に左右され、きわめて不安定な状態。