内田義彦『社会認識の歩み』抜粋集

内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書)抜粋集です。 私的まとめです。
2
KK @kjokjo1930

「日本の社会の特質、社会への個々人のかかわり方(=分担の仕方)の問題があります。個人が集団に埋もれちゃう、ということですね。集団を丸がかえにしたエライ人になるか、集団に埋もれるか、いずれにしても自覚した個々人が、共同の行為で共通の目的をもった集団を形成することが少ない」(内田義彦

2011-06-12 19:04:11
KK @kjokjo1930

「会議なんかでも「賛成異議なし」というようなことでは、結論を出すに必要な厄介な作業や知識の収集は他人ごとでしかありませんね。…(内田義彦)

2011-06-12 19:09:35
KK @kjokjo1930

…しかし、一人一人が責任をもって問題を立て結論を出すという共同の作業に参加することになると、事実を、断片的に流れてくる情報をもとにして正確に捉えることが自分の問題となりましょう。」(内田義彦)

2011-06-12 19:09:53
KK @kjokjo1930

(内田義彦)「しかし最初の仕事は、そういうこと(※背景・大意の研究)はいちおう別個に、本そのものを読む。それも全体の筋に気を取られるよりも、そのなかのどれか一句でもいいから、とにかく自分と出会うというか、自分に突きささってくる章句をまず自分で発見すること。これがいちばん肝要です」

2011-06-21 17:30:16
KK @kjokjo1930

(内田義彦)「つまり個個の断片を全体につなぐ前に、むしろ全体からある断片を取り出してその断片を自分につなぐ。それなしに筋書を読んだり、研究書を読みますと、それに眼を奪われて、自分で本を読むことができなくなる。…

2011-06-21 17:34:23
KK @kjokjo1930

…あるいは本はわかっても、本を読んだということが、自分の眼そのものを深めることになってこない。むしろ本で知ったことが、自分の眼の働きをにぶらせてしまうことになりがちです。」(内田義彦)

2011-06-21 17:35:22
KK @kjokjo1930

「明治末期の河上肇は、西洋は天賦人権、人賦国権。日本は天賦国権、国賦人権。自明のものとされているものが違う。だから日本では国家の存在理由を問う学問とか宗教は起こってこないと言いましたが、この卓見は、残念ながらいまだに生きていると思うんです。」(内田義彦)

2011-06-29 17:24:36
KK @kjokjo1930

(内田義彦)「人間は社会を成して存在しているものですから、ルールがたしかに要ります。またルールには強制力が伴う。これは避けられないと思いますが、ルールが、またそれを強制する国家が、正しいという保証はどこにもない。歴史上あった、また現にあるルールとか国家は自明のものではない。…

2011-06-29 17:31:36
KK @kjokjo1930

…自己目的でもない。自明なものは生きている人間諸個人なのであって、ルールや国家はそのためにこそある。だから存在の立証責任はルールや国家の側にある。そのことを確認して理論を作ったという意味で、ホッブスの所説は現代に生きていると思います。」(内田義彦)

2011-06-29 17:33:36
KK @kjokjo1930

「とにかく日本では、われわれ人間はしょっちゅう挙証責任を背負い込んで歩いている気がしますね。お前はなんのために生きているのか。生きている価値のある証拠をあげろ。でないと死刑だ、とまではいわれなくても、国家とか制度が自己目的化されて、人間は手段化される。」(内田義彦)

2011-06-29 17:42:48