ダイアログミーティング2日目

伊達市 ダイアログミーティング 実況中 2012年2月26日(日) @birdtaka さんの「ICRP伊達市ダイアログセミナー2日目(2012/2/26)」 http://togetter.com/li/263857 続きを読む
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buvery @buvery

特に、人文系の学者の人に多い印象がありますが、アプリオリなカテゴリがあって、それで現実を分類すると何だか分かった気になる。水俣でこんな結果だから、福島でもこうなるはず。ECRRがこういっているから、こうなるはず。ところがそんな保証は全くないんです。@Eikoyamashita

2012-02-28 07:01:43
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

お昼ご飯の時に、チーム中川の中川先生に、コーヒーとお水、お給仕してもらっちゃったのん。クス( *´艸`) わたしだけじゃなくて、テーブル同席していた皆に、だけど。

2012-02-29 20:25:45
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

だけど、ロシャールさんがあんまり楽しそうにベラルーシの経験を話すから、こんな風に話せるようになったら、あなたたちも乗り越えられたって事になるんだよ、って言うから、私、途中で1回泣いちゃったんです。まだ、たった一年ですよ。ほんの一年前までほんとに普通に暮らしていたんですよ、って。

2012-02-29 20:43:57
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

そうしたら、ロシャールさん、じっとこっちを見て、わかる、とてもよくわかるけれど、だけど、闘わなくちゃいけないんだ、強くならなくちゃいけないんだ、あなたにはできるから、って言ったの。状況はとてもとても困難なのはわかる、だけど、闘わなくちゃいけないって。

2012-02-29 20:47:07
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

だから、わたしは、引きこもり業を、しばらく休業する事に決めました。

2012-02-29 20:48:59
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

ロシャールさんは、私たちが何を失ったのか、そのことをとてもよくわかってくれていたから。置かれた状況が、どれだけ困難なのか、よくわかってくれていたから。それでも、闘わなくちゃいけないんだ、っていうから。そこにしか、道はないのだな、と。

2012-02-29 20:53:43
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

追記すると、闘わなくちゃいけない、って言うのは、私個人に向けての言葉じゃなくて、この放射能汚染という現実へ向き合う人達への言葉と思ってます。そして、誰もが闘えるわけではない、処し方は人それぞれ。

2012-02-29 21:40:00
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ベラルーシの人達は食べること、飲むこと、話すことが大好きだ。ETHOSプロジェクトの初め、どこにするか探した。話しを聞いた。都会でもそれ以外でも。ある時、ある村で話を聞くと、入れ入れと招き入れられ、食事をふるまってくれた。だからそこでやることにした(笑)。それがオルマニー村。

2012-02-29 20:32:43
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

フランス人の英語を聞きながら、オルマニー村を(うろ覚えで)そういえばホルマニー村だったっけ?と思って聞いていたり、はたまたunder controleとフランス人みたいな綴り間違いになったり(笑)。混乱する(苦笑)。英語にはラテン語起源(フランス語系)の言葉も多いので仕方ない。

2012-02-29 20:50:29
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

日本でお茶を出すようなもの。ベラルーシの村ではそれが食事。だからロシャールさん達は1日に五回も六回も食事をすることになった(笑)。その食事の写真がたくさん記録されている。フランスの食べながら飲みながらという文化とも合ったのかも知れない。そういう交流のなかで話しを聞く。

2012-02-29 11:31:16
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ロシャールさんと話していて、途中から外国語を聞いているという感覚がなくなるのが不思議である。チェルノブイリでのECによるETHOSプロジェクトの経験。おそらく、それが人間の、まぎれもなく普通の人間の言葉だから、問題を解決しようとする普通の科学者、研究者の言葉だから、なのかと思う。

2012-02-29 11:12:06
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

最初のミッション訪問は1996年6月のこと。色々な人から話を聞き、こう助言した。三ヶ月に一度来るので、次回までに食材を記録をと。しかし9月は多忙で10月になった。来て聞いた。誰か記録は?一人だけいた。だが9月の途中まで。なぜ?と聞いた。待っていたが来なかったから。

2012-02-29 11:50:48
朝日出版社 第二編集部 @asahipress_2hen

ロシャール先生、試行錯誤のはてに「ETHOS」の姿勢を手にされたのだな、とわかりました。RT @ando_ryoko: 最初は…コテコテの科学的説明をしようとしていた時期があって、最初はフレンドリーだった住民が、会場でどんどん顔が強張っていった。…失敗から得た教訓なんだね。

2012-02-29 11:52:42
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

チェルノから十年。国家崩壊に向かい、情報ゼロ、流通生産管理なし。日本ではない。1991年12月国家崩壊。経済は極端に悪化。その間、村に来た研究者達は質問をし、写真を撮り、帰っていく。また来ると言うが二度と来ない。私達はモルモットか。それと同じだと思った。

2012-02-29 12:05:28
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

だからロシャールさん達は学ぶ。村人は、ある人達は危険だと言い、別の人達は大丈夫と言う。私達は何を信じていいか分からない。(勿論PCなど村に一台もない。)村人達にやると言ったことは絶対にやるべしと。そこで村に家を借りることにした。3年契約。

2012-02-29 12:53:03
うろおぼえはつどうへん @fukubrowndog

ETHOS、PATHOS、LOGOSの関係を上司が図にしていた。何かが腑に落ちた。 http://t.co/aAu2TsPh #エートス タグ付き再放流…

2012-02-29 17:21:37
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ある家で話を聞き、測ると子供が高い。乳牛は隣人と同じ牧草地。たがよく聞くと、実は別に干し草も毎朝。あは〜それかも!と測定、原因判明。市役所は統計を取るがそれ以上しない。だがそうやって下げられる。住民が自ら取り組む。under controleと何度も指摘するロシャールさん。

2012-02-29 18:38:18
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ETHOSプロジェクト当初は1996年、チェルノ後10年、都会は除染済み。だがオルマリー村のようなところは放置されていたようだ。その頃、まだ経済状態が悪く、村のレストランで何も出せないと言われたことも。普通の村は1軒平均乳牛2頭、だがオルマリー村の平均は1頭。そんな中での出来事。

2012-02-29 18:50:31
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ある時、学校の先生の女性が測ってみたいと言う。そこで家の中、庭等を色々測定。室内は非常に低い。ここは大丈夫と理解した。それを家のおばあちゃんが遠巻きに腕組みして見ていた。説明した。そんなはずはない。ひどい事故だという。やっと理解した。「じゃあ息子が帰ってくる」と明るい顔で言った。

2012-02-29 18:57:37
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

数ヶ月後、その女性に出会った。ココアをご馳走したいから家に上がれという。忙しかったロシャールさんは「後で」と言うと、非常に落胆した顔をする。どうしてがっかりしたのと聞くと、あなたに牛乳で作ったココアをご馳走したかった。30Bq/Lになったから。以前は800Bq/Lだったのに。

2012-02-29 19:32:23
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

エピソード続き。その女性、学校の先生だったので、ある時、はたと思いついた。牧草が何Bq/kg、移行係数がどれだけ、だったら牛乳は何Bq/Lになる?という問題を子供たちに出そう。小学校の先生で、ちょうど掛け算の学年。それをロシャールさんに伝え、その後、次々に問題作成。それが主体的。

2012-02-29 21:07:28
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

測定が増えると高い場所が分かってくる。でも一概に禁止でなく、例えばここからここはこの程度の空間線量率、ならば通過して遊び場へ行くのに、子供の駆け足で何十秒、するとその間の被曝は何μSvと計算してみる。子供たちに計算させる。それが(外部被曝の)under controlということ。

2012-02-29 21:17:35
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

その学校の先生は子供達を牧草に連れ出して測定、牛乳も測定。さて実際はどうか。大抵その通りにならない。そこから誤差を認識し原因を考えるという段階に進む。実際、移行係数は非常に誤差が大きいことが知られる。単純ではない。しかし移行係数には傾向も工夫の余地もある。これが放射線防護の文化。

2012-02-29 21:30:59
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ロシャールさんと話していると、このような例が次々に出てくる。20年も苦労されたのだから当然かもしれない。最初に放射線防護の調査目的でチェルノブイリに入ったのは1990年(ETHOSが1996年から)。この話を出版したら?差し向けると、いや~、それは日本のあなた達が創り出すことと。

2012-02-29 21:37:09
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

ある時、その女性はふとこう言った。The thaw has begun.(雪解けが始まった。)この言葉の奥には、長い長い、氷に閉ざされた時間があったに違いない。その氷が解け始めたと、感じられるようになった。それは科学の言葉ではない。しかし人間の実感としての言葉であり、詩である。

2012-02-29 21:50:36
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