教育の結果は問えない?ー教育改革への視点

橋下氏の過激発言など日本の教育改革をめぐる議論がホットになっていますが、それに向かう基本視点が大事との意識から少し整理してみました。
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村山紀昭 @muranori7

4年前に教育と福澤の勉強会教育人間塾を始めた時、教育については最初から学力と不登校・ニート・ひきこもりの両方を併せ考えていくよう柱を立てました。その上で公教育の目標、あり方を吟味する。検討すればするほど公教育改革の切実さと難しさを感ずるとともに安易な改革論に強い疑問を持ちます。

2012-02-29 10:21:56
村山紀昭 @muranori7

なかなか変わらない日本の学校教育に関する橋下さんのいらいらも分からないわけではない。しかし、本当に変えようとするなら学習指導要領さらには教基法・学教法の全面改正が必至です。そこまでやる見通しをもって議論するのかが問われます。

2012-02-29 10:25:54
村山紀昭 @muranori7

よく言うのですが、日本には小中高の教師が100万人います。巨大な組織です。これを号令一つで変えることなんかできません。教育論ほど地に足のついた改革論が必要です。

2012-02-29 10:28:17
村山紀昭 @muranori7

それと、学校教育の改革には、教育目的、目標に関する「国民的なほぼ共通の理解」が必須です。いまそれはどうでしょうか。どんどん競争を進め創造的なエリートを作れとか学校不適応のどんな子にも居場所を保障するように一部ヨーロッパ型のオールタナティブや学校選択制導入でどれだけ合意があるか。

2012-02-29 10:38:47
村山紀昭 @muranori7

同時にいつも気になるのは、学校や教師の社会的視野の狭さ。学校という隔離された空間に発想を閉じ込めてしまいがちに思います。教師が教育の理想を語ることは大事ですが、もう24の瞳の時代ではありません。学校世界の「出口」を小学校からもいつも見据えなければ。

2012-02-29 10:54:19
村山紀昭 @muranori7

教師一般に根っからある信念は、自分たちは子どもたちの成長や夢のために絶対に有意義なことをしている、という思いだと思います。さすがに一昔前の、「全面発達」とか勉強がダメならスポーツをなどの議論は影を潜めましたが、こうした特有の思いが学校王国の中で「検証の意識」がないのが問題です。

2012-02-29 11:00:31
村山紀昭 @muranori7

というと、すぐ教育の成果はすぐ確認されるようなものでないという議論が出ます。しかしそういうまっとうな議論が時に自己弁護や無責任に繋がっていないかが問われています。活動の結果を他者に説明できないようなものはやはり問題です。学校と社会の壁はいまはあってないようなものです。

2012-02-29 11:03:18
村山紀昭 @muranori7

学校や先生方が、直ちに確定的な数値で表されなくても、どういう形であれ自分たちの活動の目的や意味、想定される結果について堂々と説明することは現代社会では必至になっています。こうした発想を何でも成果主義などとイデオロギー的に否定するだけでは自分たちの権利も守れなくなるでしょう。

2012-02-29 11:07:32
村山紀昭 @muranori7

義務教育段階での教育の成果、結果を客観化し確認する方法を開発しなければなりません。教育行政と教育学者の仕事でしょう。最近市川伸一さんが「社会の中で生きる学力」という視点を強調し始めていますがこれからです。教育学者の奮闘を期待しています。

2012-02-29 11:12:21
村山紀昭 @muranori7

日本の教育学者は、実践と結びつくというと特定の学校を自分の教育方法の実験場としてデータを集めるとか研究集会の助言者になるとかをメインにしている方が多いように感じます。自分の教育方法がここまで拡がったと自認するのを見てもどうもむなしい。現実の教育政策と切り結んだ展開を期待します。

2012-02-29 11:16:51
村山紀昭 @muranori7

例えば先日ETVで大々的に報じられた学び合い。素晴らしいと思うが、これといまの指導要領の中身、学校体制などとつなぎ合わせなければ、現場の大多数の教師にとってはあさってのことでしかありません。そういう問題意識を持って教育方法の開発に取り組んでほしいといつも思います。

2012-02-29 11:21:53