僕が許容範囲とか言うめんどくさい概念を持ち出したのは、たとえば「社会的にぱっと見利益につながらない人」の存在を考慮してるんだ。分かりやすい例だとニートかな、一見「害悪をもたらす人」に該当している。この定義からいったら死刑になりうる…と勘違いされないために許容範囲なんて使った
2012-03-01 00:39:38でも「利益にはならないけど、ものすごい害悪があるわけではない」し、「ニートが死刑にならないこと」は社会全体に安心をもたらす。それは、僕がそうなっても決して死刑にならないという安心をだ。ニートが時期を待って改心することにかけてくれるという安心。
2012-03-01 00:43:08僕たちの安心、それはつまり社会全体の「信頼」という名の利益になる。他者の害を許すことは、一見「害悪を受けてるようだけど」社会全体の話となれば「許すこと」とは「信頼」という利益を得るための手段になる。
2012-03-01 00:44:12社会がニートを生かしておくのは、ニートが生存することの害悪(そもそも少ないけど)より、生かして信頼と言う利益を得たほうがいいということ。と考えると許容範囲とはこのぱっと見の害悪と、隠れた利益のプラマイ調整範囲だとわかる。
2012-03-01 00:46:59それにしても社会がニートを生かしておくってすごい表現だよね、自分で言ったけど。まさかニートも僕の論理で死刑囚と同じ土台に登らされて死刑にされそうだったなんて世にも思わぬだろうよwww
2012-03-01 00:48:33この分かりにくい信頼についてもうちょっと古刹を含めておくか。社会には「信頼」がどうしても必要なんだ。社会は僕たちに信頼を提供せねばならない。僕たちがミスっても許せるという信頼を。
2012-03-01 00:50:07「信頼」ってのはまずは「理解」だよね。僕たちがどういう生き物か、社会がわかってるかどうか。ミスを許すってのは「ミスするってわかってる」ってことだ。
2012-03-01 00:54:05まず間違いじゃないと思うもの。社会の安全=生命権のニュアンス。社会の安全が損なわれるってのは生命権の達成確率が低くなるわけだから、直接生命とつながってると考える。ゆえに社会の安全と生命とは同質で天秤にかけられると思う。
2012-03-01 01:14:19昨日の間違いは、僕はまるで死刑囚(冤罪じゃない人)の生命権の損失も考えているような風に論理を展開していたが、実際は死刑囚の権利喪失を考慮してはいなかった。(ただし冤罪死刑囚の人権は考慮している。)
2012-03-01 01:16:12それは僕がまさに「生命権」ではなく「社会の利益」として死刑囚の命を測っていたことの証明だと思う。彼らが死ぬことを社会の不利益と思わなかったから勝手に損失ないと判断したわけ。
2012-03-01 01:19:25そしてもうひとつ決定的なのをあげると僕は「人権とは社会の利益を最大化するための便宜上の道具」くらいにしか考えてないことだろう。これは道徳の時に考察したことと一緒。道徳は社会秩序を守るための道具としたが、それと同等に見てる。
2012-03-01 01:21:07僕が善悪を判断する時の「原理(公理)」は損得に依存していてその考えの簡便化のために導入された定理として「人権」あるいは「道徳」をとらえている。僕が昔考察したことのまとめになってしまうけども。
2012-03-01 01:22:07@cinnabonapple 僕のミスとは関係なく、この結論について疑問があります。「社会の安全は別の誰かの生命」であるので、どちらも「生命同士」の比較になってしまいますし、どちらも「取り返しがつかないもの」ですし、どちらも「国家が奪うもの」だと思うのです。
2012-03-01 01:33:07@cinnabonapple ⓪(その他)少し気付いたことと僕が昨日起こしてしまったミスについて、知ってほしいのでリプで送らせてもらいます。
2012-03-01 01:35:54@cinnabonapple ①僕のミスのことです。僕のミスは「数量的に生命を見るとどうなるか…」と論理展開したのに「死刑囚の生命」というのを論理の中に入れ忘れていた事です。「数量的にみると」死刑囚の命とそれが社会に出ることで失われる命は明確な差がみられません。
2012-03-01 01:38:23@cinnabonapple ②死刑囚の命は、確実に「1」という数字で与えられますが、失われる命については未知数ですし、期待値を使っても死刑囚の命を犠牲にすべきという結論は導けませんでした。つまり「生命の個数」のみで判断すると、死刑存置ではないのです。
2012-03-01 01:40:17