- Zahlangabeheft
- 4218
- 1
- 4
- 1
『説明と理解』合宿は、議論が大いに盛り上がり良かった。因果を行為に基礎付ける試みも興味深かったが、理解(了解)とは、物事の何であるか(what)を把握することであるという定式化が一番気になっている。
2012-01-16 18:55:31説明とは、物事がなぜかくあるのか(why)に答えることで物事を必然性を捉えることである。目的論的説明では、説明が被説明項の理解の深化をもたらす。彼が車に乗る理由が渋谷に行くためであると説明されるなら、彼は渋谷に行ったのである(理解)。
2012-01-16 19:05:37一方、因果的説明は被説明項の理解を深化させるだろうか?答えは否である。というのも因果関係は非論理的な関係だからである。ウリクトによると、目的論的説明においては、説明項と被説明項の間には論理的な繋がりがある。この論理的繋がりが、説明が理解をもたらすことを可能にしているのである。
2012-01-16 19:21:30目的因果的説明は実践的推論を組み立てることで見出される。行為をより深く理解するためには、目的論的説明を与えればよい。因果的説明は孤立系の観察によって見出されるが、因果的説明は事象の理解を深めない。
2012-01-16 21:55:38因果的説明が物事の理解を深めるのに役立たないなら、科学的な理解の深化はいかにして得られるのであろうか? 科学において、物事の理解はしばしばその微視的構造を同定することで深化する(熱とはすなわち分子運動である、というように)ように思われる。
2012-01-16 22:00:14目的論的説明は、被説明項の理解を深める。なぜなら、目的論的説明においては、被説明項と説明項の間には内的な関係があるからである。対して因果的説明は被説明項の理解を深めない。因果的説明においては、被説明項と説明項の関係は外的だからである。
2012-01-16 22:43:39ラッセルはかつて、因果概念が科学において重要な位置を占めていないことを指摘したが、その理由は今や明らかである。因果的説明が科学において重要でないのは、それが物事の理解を深めないからなのである。
2012-01-16 22:50:58@Acrographia 因果的説明も理解を深めると思われる。「この服は電気を通さない」という理解がまずあったとする。次いでその原因を探究した結果、「その服はゴムでできているからだ」という説明に至ったとする。そこから、「この服はゴムでできている」という新たな理解が生まれる。
2012-01-16 23:18:13というのも、@Acrographiaは目的論的説明が理解を深める理由を、被説明項と説明項の関係(正確に言い換えれば実践的推論の前提と結論の関係)が論理的だから、としているが、因果的説明において用いられる推論の前提と結論も当然、論理的だからである。
2012-01-16 23:24:49@Acrographia 因果的説明において論理的に独立なのは、前提の一部(先の例では「この服は燃えている」)と結論(「この服はゴム製でてきている」)であって、前提全体と結論ではない。実践的推論において論理的な関係にあるのは、前提全体と結論である。
2012-01-16 23:28:30@yudai_jp 一つ目のtweetに対する反論です。「なんで電気を通さないの?ーーゴム製だからだよ」というのは確かにカヴァー法則モデルに合致する説明の一種なんだけど、絶縁性とゴムでできていることの関係は、傾向性とその物質的基盤の間の関係なので、因果的説明ではないと思います。
2012-01-17 00:14:03@yudai_jp 「何故彼は出掛けたの?ー彼は渋谷に行ったんだ」と、「何故これは電気を通さないの?ーこれはゴムなんだ」は確かに類比的です。傾向性をその物質的基盤によって説明するのは、熱を分子運動で説明するのと同様、説明が説明対象のより深い理解をもたらすように思います。
2012-01-17 00:56:55@Acrographia ならば例を「なぜその服は電気を通さなかったの?」という出来事文に換えてやってもよいと思います。「ない」という否定が微妙なら、「なぜ電気を通したの?」とかでもよいです。
2012-01-17 01:02:52@Acrographia ただし、傾向性が説明項や被説明項にきても、因果的説明になりうると思われます。まず、もし「ゴム製だから電気を通さない」が因果的説明でないなら何なのか分からない(目的論的説明ではないだろう)。
2012-01-17 01:10:17@Acrographia 次に、ウリクトの枠組みでは、十分条件や必要条件であれば原因でありうるゆえ、傾向性も原因でありうると思われる(必ずしも出来事である必要はない)。・・・とまで考えたけど、原因であるためにはさらに、基本行為の成果でなければならない。
2012-01-17 01:12:53@Acrographia そして傾向性は行為によってはproduceしえないように思われる(どうだろうか)。・・・すいません、寝てもう一回考えてみます。
2012-01-17 01:14:43@yudai_jp 「原因であるためには行為の成果でなければならない」という点がきいてきます。「服に電気が流れる」が説明されるべき出来事だとすると、原因は例えば「電気回路のスイッチを入れる」という行為です。服が針金でできているかどうかは、系の条件に属することでしょう。
2012-01-17 01:36:07@yudai_jp つまり、スイッチを入れることが服に電気が流れることの十分条件となるためには、服が導電性の物質でできていることが必要条件となります。必要十分条件でないのは、回路が断線していたらスイッチを入れても服に電気が流れないからです。
2012-01-17 01:45:27鈴木君との議論でわかったことは、ウリクトの因果の理論は単なる因果の反事実条件法による分析ではないということだ。
2012-01-17 01:56:23銅線の回路のスイッチを入れたら電気が流れたとしよう。この場合、スイッチを入れなかったり、回路がゴム線でできていたりしたら電気が流れないから、因果の反事実条件法理論によれば、スイッチを入れることと、回路が銅線でできていることは、共に電気が流れることの原因となってしまう。
2012-01-17 02:00:55スイッチを入れることは電気が流れることのトリガーであるのに対し、回路が銅線でできていることは、トリガーがあれば電気が流れるために必要な構造である。私たちが普段原因と呼ぶのはトリガーの方であり、ウリクトは、行為概念を因果の定義に用いることで、その直観を掬い取ることに成功している。
2012-01-17 02:11:26@Acrographia なるほど.傾向性の役割を系(因果関係が成立するために必要な構造)の構成に見る点も,原因のトリガーとしての側面を行為概念によって掬い取っていると見る点も,完全に賛成です.やっと行為が出てくる意味が分かった! ありがとうございます.
2012-01-17 02:53:07@Acrographia 他方で僕は @yudai_jp 君の「因果的説明も理解を深める」という説にも賛成.まず,因果的説明は(ある状態空間の)要素状態の組み合わせとして与えられた状態を捉えること,与えられた状態をある仕方で記述することを前提する.つまり「理解」を前提する.
2012-01-17 02:59:49@Acrographia @yudai_jp 承前)また,因果的説明は状態空間の拡張を要求する場合もある(第2章6節の(2)と(3)のケース).これは与えられた状態のより詳細な記述を与え,「理解を深める」.微視的な構造の探求はこれに当たる.
2012-01-17 03:05:33