フォン・ウリクト『説明と理解』の因果論を巡って

フォン・ウリクト『説明と理解』における,因果的説明の概念と理解の概念を巡る会話の記録.
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yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@Acrographia @yudai_jp 承前)ただし,目的論的説明の場合,説明することと与えられた状態を記述することは「同じこと」(つまり,説明が妥当なときかつそのときに限り記述も妥当).他方で因果的説明の場合,説明の妥当性は記述の妥当性を前提するが,逆は不成立.(了)

2012-01-17 03:28:59
鈴木雄大 @yudai_jp

このまとめ方で賛成です。“@Acrographia: スイッチを入れることは電気が流れることのトリガーであるのに対し、回路が銅線でできていることは、トリガーがあれば電気が流れるために必要な構造である。私たちが普段原因と呼ぶのはトリガーの方であり、ウリクトは、行為概念を因果の…”

2012-01-17 12:18:24
鈴木雄大 @yudai_jp

このように説明して頂くとまた理解が深まりましたw “@Zahlangabeheft: ただし,目的論的説明の場合,説明することと与えられた状態を記述することは「同じこと」(つまり,説明が妥当なときかつそのときに限り記述も妥当).他方で因果的説明の場合,説明の妥当性は記述の妥当…”

2012-01-17 12:20:07
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

@Zahlangabeheft 因果的説明は、被説明項の適切な記述を前提するため、原因が探求される過程で、被説明項が何であるかについての理解も深まるということですね。そんな気がしてきました。

2012-01-17 19:40:43
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@yudai_jp あはは,ウリクトが扱っていなかった類の説明の事例と理解の事例が手に入りましたね.

2012-01-17 22:43:57
yyyy/mm/dd @Zahlangabeheft

@Acrographia ね.いや僕も君たちのツイートに触発されたんですが.

2012-01-17 22:45:09
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

山田さんからの示唆を得て、因果的説明も間接的に被説明項の理解を深めると考えるようになった。因果関係の探求の過程で、結果がどのように記述されるかも浮き彫りになる。結果の記述は、理解されるべき現象が何であるかについての理解をもたらす。

2012-01-17 20:26:42
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

実験家の重要な仕事の一つは、安定的に再現性のある現象を生じさせる実験系を組み立てることである。このような系が組み立てることに成功した時、実験者が実験装置のスイッチを押すことを原因として、科学的に興味を惹く結果が生じるようになる。(続)

2012-01-17 20:36:58
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

実験によって生じた興味深い現象は、科学ではしばしば「〜効果」と呼ばれる(例:コンプトン効果、光電効果)。何故現象が効果(effect)と呼ばれるかと言えば、それが実験系における結果(effect)だからである。

2012-01-17 20:48:13
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

コンプトン効果の原因は、実験者が装置のスイッチを押したことである。従って、原因に言及しても現象の理解は深まらない。しかし、スイッチを押せばコンプトン効果を観察できる実験装置を組み立てることによって、理解されなければならない現象が何であるのかが、理解されるようになるのである。

2012-01-17 21:01:33
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

化学において理解されるべき現象は、化学反応である。行為=作用(action)の結果として、安定的に再現性をもって反応=反作用(reaction)を生じさせることが、実験家の腕の見せ所である。(了)

2012-01-17 23:34:54
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

科学的説明と理解の関係については、Friedmanの論文が有名なようだ。Hempelは、理解概念を主観的だとして軽視した。Scrivenは、説明が理解をもたらすためには、説明項がすでに理解されいなければならないと論じた。(続)

2012-01-19 19:43:27
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

対してフリードマンは、複数の現象をより少ない仮定で統一的に説明できた時にのみ、科学的な理解は深まると考える。これは、科学的な理解の本質を複数の説明項と、複数の被説明項の間のホリスティックな関係であるとした点で興味深い。

2012-01-19 19:50:09
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

対して我らがウリクト大先生は、理解を物事が何であるかwhatを把握することだとした。このような理解概念は、本質直観とか、ゲシュタルトといった概念と相性が良いが、科学的な理解とは馴染まない。ウリクトには、ヘンペルと同様に、科学的な理解についての理論が欠如しているのだと思う。(了)

2012-01-19 20:03:20