NOVA7収録作「リンナチューン」サイドエピソード 扇智史『リンナバイト』
- mizunotori
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唇が離れた。目をあけると、鈴名の熱を帯びた頬が微笑を浮かべている。「こういうことするのに、積理ちゃんは邪魔だよね?」「……そうだね」半分は本音だったかも知れないけど、残り半分は文字通り、口止めだ。その先の理由に踏み込んで欲しくない、という訴え。 #rinnabite
2012-03-07 21:25:51「……こんな風にキスしたいの、風見だけだよ」ささやくような声だけ、ぼくの傘の下に残して、鈴名は路地の奥へと自分の傘を拾いに行く。後ろ姿を、ぼくは肉眼で見つめる。大事そうにあんパンを懐に入れてかがんだ彼女のうなじは、白く浮かび上がっている。 #rinnabite
2012-03-07 21:27:31ぼくは彼女をカメラに収める。暗がりと曇り空の色を補正して、うつむいた鈴名の肌は、うっすらと桃色に染まっていた。たぶん、この先ぼくが思い出す口づけの回想は、その熱っぽい色になる。 #rinnabite
2012-03-07 21:29:15振り返った鈴名は、もう、路地に入る前の顔つきに戻っていた。「行こ」と目顔でうながす彼女の頭の上で、リボンがちょこんと揺れる。ぼくの脇を通り抜けかけた彼女は、ふいに微笑んで、まだ残っていたあんパンのかけらを差し出した。「食べる~?」 #rinnabite
2012-03-07 21:31:02「……いらないよ」――そう答えたおかげで、ぼくは今でも、彼女の食べかけたあんパンの種類を思い出せない。ひとかけらでも口にして、ぼくが黙って彼女を見つめる時間があったら、鈴名はもうひとことだけでも何かを教えてくれたかもしれない。 #rinnabite
2012-03-07 21:32:40たとえば、路地の奥の奥で粉々に壊れていたログの元の形――三稀崎鈴名と湯河積理がここで密会して、何をしていたのか、とか。 #rinnabite
2012-03-07 21:33:58でも、ぼくにそれを訊く気はもうなかったし、鈴名も教えてくれるつもりはなくなっていたらしい。ぼくの先に立って、彼女は歩道へと駆け出す。灰色の街の景色を背に、「早く!」と急かす彼女を、ぼくはログに記録する。彼女だけが、この街で記録するに値する。 #rinnabite
2012-03-07 21:35:07ぼくが歩道へ踏み出すと、アーケードの軒先から雨水がしたたり落ちる。ぼたっ、と重い音とともにぼくの頭上で水がはじけ、つかのまスマホのレンズを濡らした。鈴名はくすくす笑いながら、もうひと口、あんパンをかじる。 #rinnabite
2012-03-07 21:36:53その時の笑顔は、ログに残せなくて、そぼ降る雨の冷たさといっしょに忘れ去ってしまった。ただ、その噛み跡、今はもうけっして触れられない唇の形が、とてもきれいな弧を描いていたのだけは、覚えている。 #rinnabite
2012-03-07 21:38:18「リンナチューン」のプロトタイプは以前twitterで流したもので、togetterにまとめられたものがご覧いただけます。こちらもあわせてどうぞ。 http://t.co/aaGCUnyh
2012-03-07 21:42:17