美術において作品を「見る」こと、教育についてのツイートまとめ

奥村雄樹さんの講評会システムと鑑賞教育への疑問から出発し、美術において作品を見ることについて田中功起さん、岡崎乾二郎さん、pas_pascalさん達に話が広がっていった一連のツイートのまとめです。
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okumura yūki @oqoom

講評したくないなぁ。五時間くらいそれぞれが全員の作品をひたすらじっくり見るだけの会にしようか。たぶん話すことよりもっとたくさんのことが見えてくる。 #okumurazemi

2010-06-05 10:30:59
okumura yūki @oqoom

話はズレるが、鑑賞教育がどうのってよく言うけど、いちばん大事なのは対象をじっくりじっくり見てそのとき自分の中に沸き起こる反応を可能な限り精緻に意識化することじゃないのかな。それを数多くこなせば、美術史や制度の文脈にも自然と興味がわくし、前に見た作品との比較も自然としちゃうだろうし

2010-06-05 10:36:54
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@oqoom え、それが「鑑賞教育」なのでは…。すくなくともアメリア・アレナス的な意味では。

2010-06-05 10:46:17
okumura yūki @oqoom

あ、そうなんすかw ぼくが言いたいのは、(現代)美術を楽しむには知識が必要だ的な考えはいかん、逆に見方を狭める…てことでした。RT @kachifu: @oqoom え、それが「鑑賞教育」なのでは…。すくなくともアメリア・アレナス的な意味では。

2010-06-05 10:49:29
urara_nakamura @pas_pascal

プラド《裸のマハ》の前で先生と6歳くらいの子供たち・先生は「どう見える、どう感じる?」と静かに言っただけ・子供たちはじいっと長い間絵を眺めていた。6歳の子どもがゴヤのあの絵を見て自分の中にわき起こる感覚を確かめている・とてつもなくすごいことです。

2010-06-05 10:56:09
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@oqoom なるほど。それはイカンですねw。完全同意っす。ぼくのほうはぼくのほうで、小〜高教育の中で圧倒的に「鑑賞<制作」なのがなんだかなとおもってたので。観れないから、知識参照型になっちゃうんじゃないかと。

2010-06-05 10:59:54
末永史尚 Fuminao Suenaga @kachifu

@oqoom あ、さっきかいた「鑑賞<制作」の「鑑賞」は奥村〜アメリア的な意味での鑑賞です。念為。

2010-06-05 11:07:42
urara_nakamura @pas_pascal

プラドにいた先生は、子どもたちが絵をまず自由に楽しんで好きになることを大切にしている。そしたら、もし必要なら、知識は自然とあとからついてくるはず、と。好きなことについては、強制なんかされなくても、知らなくていいと言われても、いろいろ知りたくなりますから・

2010-06-05 11:25:33
田中功起 koki tanaka @kktnk

賛成。ちなみに「現代アートの舞台裏」で読んだマイケル・アッシャーの批評会、彼はほぼしゃべらず、学生同士で話させ、たった3人に朝から夜1時までかける。RT @oqoom: ...五時間くらいそれぞれが全員の作品をひたすらじっくり見るだけの会にしようか... #okumurazemi

2010-06-05 12:45:55
田中功起 koki tanaka @kktnk

そうですね、子どもはそれでいいと思う。でも美大レベルでは最低限の知識は無理してでも身につけるべきだと思う。自分を守るためにも。RT @pas_pascal: ...子どもたちが絵をまず自由に楽しんで好きになることを大切...もし必要なら、知識は自然とあとからついてくる...

2010-06-05 12:51:27
Eishi Katsura @ac_katsura

@kktnk @pas_pascal せめて外国語で本を読んだり、カタカナではなく原題で作品に触れる習慣は学部の間に身につけておいて欲しいところです。

2010-06-05 13:20:52
urara_nakamura @pas_pascal

@kktnk 美大生についてはわたしもそう思う。というかそれが当然だと思う。というか知識が必要じゃないなら、子どもの時のままでいいはずで、美大に入る必要もないと思う。

2010-06-05 13:24:57
okumura yūki @oqoom

ポイントは、美大生であれ誰であれ、じっくり見るってことがベースになきゃダメってことじゃないでしょうか。そこに知識を上乗せする。知識だけあっても余計バカになるというか。。 @ac_katsura @pas_pascal @kktnk

2010-06-05 13:35:18
田中功起 koki tanaka @kktnk

そうですね、名前や用語など読み方も含めて違っていて苦労してますので。RT @ac_katsura: @kktnk @pas_pascal せめて外国語で本を読んだり、カタカナではなく原題で作品に触れる習慣は学部の間に身につけておいて欲しいところです。

2010-06-05 13:49:38
田中功起 koki tanaka @kktnk

半分賛成。なぜなら「じっくり見る」ってことは逃げにもなるので。知識は逃げられない。まあ、バランスなんだけど、「バランス」も逃げ口上か。RT @oqoom: ポイントは...じっくり見るってことがベースになきゃダメ... @ac_katsura @pas_pascal

2010-06-05 13:52:32
urara_nakamura @pas_pascal

.@kktnk 「じっくり見る」ということ、本当に「見ている」ということがどういうことなのか、という問題に関わると思います。 何時間でも「ぼんやり」眺め続けることはどんなひとにでもできますので。

2010-06-05 14:14:52
@miyajiiiiiiiing

@oqoomじっくり見る(聞く)のは大賛成ですが、言葉にするのもこのゼミの重点では?というか皆5時間(どころか5分も)黙っていられないだろう予感。。。 #okumurazemi

2010-06-05 14:17:12
okumura yūki @oqoom

@miyajiiiiiiiing そうだね、やめますw でも一箇所で誰かを中心に話すのではなく、同時多発的に其処彼処で話の輪ができてる…ってのはアリかなとまだ思ったりして。どうかなあ

2010-06-05 14:21:46
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

.@pas_pascal 僕の意見を言わせてもらうと、うっかり(いや必ずある)自分が見ていないものを見つけることがいちばん大事。見る、ことは選択ですから、必ず見ていないものがある。だから「見る」と単一化して述べてはだめ。これは校正の要領と同様、テクニックの問題にすぎませんが。

2010-06-05 14:37:03
田中功起 koki tanaka @kktnk

.@pas_pascal たぶん、まずはその作品そのものから何が読み取れるのかということがあり、そのあとに、ではそれが分かった上でどう解釈できるのか、なにを自分が付け加えるのか。分析して批評ってことが「見る」ことに求めること。アッシャーの批評会はそれを徹底させているように見える。

2010-06-05 14:38:04
田中功起 koki tanaka @kktnk

.@pas_pascal まあ、でもそれは大学院生に求めることかもしれませんね。学部はとにかくつづけるためにアクティブに見たり作ったりが必要です。その意味では「ぼんやり見る」だけでも、「見ない」よりはましかもしれない。自分から見にいくことが圧倒的に少ない印象が学生にはあったので

2010-06-05 14:42:16
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@kktnk こんにちは。交差しました。読み取れる、という言葉は大概、どう語り伝えるかを前提に含んでいて誤解もされやすい。テクニックとは読み取れない(と思いなしてる)ものをどう見るか、それは、それをいかに意識するか。意識することは、当然それを語りうる=読む可能性の確保を含みますね

2010-06-05 14:44:34
urara_nakamura @pas_pascal

.@kenjirookazaki わかります。そう、「自分が見ていないものを見つけるため」には、やはり 知識は必要ですよね?

2010-06-05 14:45:30
okumura yūki @oqoom

自分がうっかり見ていないものを見つけるためにこそ、他者の言葉が必要なんでしょうね。まずは。@kktnk @kenjirookazaki @pas_pascal

2010-06-05 14:46:42
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

.@pas_pascal あらたな 知識は必要ありません(知識がまったくない人はいません)。何を知っているか、知らないか の分別ができることが重要です。知覚されているなかで、つまり何が知らない情報で、あるか、それを判別できる能力というか、潔さ。

2010-06-05 14:49:36