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ここから今年2月の取材
<ナレーション> 氷点下20℃。厳しい冬を迎えたホイニキ地区です。3人の子供を育てるマルタさん。親子そろっての外出です。向かったのは地区の病院でした。年に1回義務づけられている内部被曝量を測る検査のためです。
2012-03-09 10:10:09<ナレーション> 数値が高い場合は、国の費用で国外へ避難させるなどの措置がとられます。この地で生きていく子供たちが生涯受け続ける検査です。
2012-03-09 10:15:38<ナレーション> また再上昇現象が起きていました。地区の中でも立ち入り禁止区域に最も近い区画。去年まで特に気をつけて牧草を育てていた所でした。新たな対策をとれば乗り切れるのか。農地として使うのをあきらめるのか。雪が解けるまでに決めなければなりません。
2012-03-09 10:24:34<ナレーション> 私たちがホイニキを去る前の日、ニコライさんが「見せたいものがある」と言ってきました。古いニュース映画のフィルム。映し出されたのは、事故から4年目のホイニキ地区でした。農業を立て直そうと懸命だった頃の姿です。
2012-03-09 10:28:24映画のナレーション: 放射能の影響がない農作物をここで収穫することはできない。ソビエト全土に汚染された食品がばらまかれている。いつになったら事態を理解し決断するのか。
2012-03-09 10:48:15<ナレーション> 誰にでも受け入れてもらえる作物をこの地で作ろうとしてきたニコライさん。被災地に対する誤解や偏見は、いまも消えていないといいます。
2012-03-09 10:50:34ニコライさん: とても悲しいことですが、これが現実なのです。でも想像してみて下さい。ある日突然、住み慣れた故郷が失われてしまうということを。時間がかかってもやり切らねばなりません。誰かがやらねばならないのです。
2012-03-09 10:53:33<ナレーション> この春ニコライさんは定年を迎え、農場長の職を退きます。その後も地区の農業に関わっていくつもりです。 放射能と生きること…人々の闘いは続いています。
2012-03-09 10:57:23