3.11:それぞれのことば・おもい ~福島大学関係者の震災一周年
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今日はただひたすら静かに、失われた命のひとつひとつに身を寄せて、ここ故郷福島で過ごしたいと思った。一見何も変わらないのに絶対的に取り戻せない故郷で。
2012-03-11 12:11:58去年の今日の震災でによる人の死は、誰のものでもあり、誰のものでもない。今日なにをすべきだとかなにをすべきでないという議論は、しんどいわりにはつくりあげるものが少ない。どこかに集って主張や決意を表明する人がいても僕は構わないし、まったく普通の日常があっても、静かにもの想うのも同じ。
2012-03-11 12:14:37食べるものがなくて、買いたくても、大学で仕事があってお店に並べない。お昼ご飯は抜き。そんなときに、生協さんが差し入れに来てくれました。学類長室に集まって仕事をしていたんだけど、そこへ届けられたおにぎり。ほんとうにありがたかった。忘れません。(央)
2012-03-11 13:00:56福島県には関西からも支援が入っていましたが、福島大学には滋賀大が大量の物資を送ってくれました。今日のお昼はお湯を沸かして、そのときもらった保存食を食べることにします。(央)
2012-03-11 13:03:54これですね。二種類あって、これはおいしくないほう。(笑) 熱湯で15分、水なら60分で食べられるようになります。伝統的な保存食、糒(ほしいい)です。 http://t.co/GA4v0Ve8
2012-03-11 13:19:15去年は、福島大学卒業式まで2週間で、髪切るか迷ってた。1年で人の考えも変わって、失ったものも得たものもたくさん。1年は節目かもしれない。でも、トラックを1周したようなものと思う。これから次の1周が始まる。自分は死ぬまでトラックを周る。だから、震災は一生忘れないし、忘れるわけない。
2012-03-11 12:34:04私は3月17日の行政のバスで、山形に帰れることができました。それまでの一週間は、生きるか死ぬかの毎日でした。生協の食料提供には助けられました
2012-03-11 13:25:01穏やかな陽気。一年前のこの日も同じような感じだったと思う。「あ、もう春なんだな」って実感した日だった。この特別な日に何をしようってずっと考えてきたけれど、結局部屋に閉じこもっている。発災当時のこと、そのあとのボランティア活動、震災前の自分の生活をじっくり省みている。
2012-03-11 13:38:43震災を振り返ると必然的に自分の家庭のことも振り返ることになる。震災前から抱えていた問題、正直私一人で解決するのは荷が重い問題。いまもそれは進行形である。家のことは考えるだけで辛くなるけれど震災を機に多くの人の優しさに触れたことで立ち向かう勇気と希望を得ることができたんだと思う。
2012-03-11 14:00:13昨年のちょうど今頃は、大学図書館で蔵書整理のバイトをしていた。突然大きな揺れがきて、本がバタバタと落ち、天井の蓋が開き、「あーあまたやり直しだね」なんて言っていた。
2012-03-11 14:41:52家族が亡くなったり、行方不明になってる人々がいる中、低線量被曝がしている以外は震災前と変わらぬ日常を過ごせていると思うと、自分はまだ恵まれているとつくづく思う。
2012-03-11 14:38:0214時46分に合わせて、JASP企画の追悼会が、福島市まちなか広場で企画されました。追悼の歌、黙祷、そして福島大学教育学部出身の詩人・和合亮一さんによる詩の朗読がありました。