被災地に在る多くの人が「話を聞いてもらいたがっている」。そして私たちは未だにそれを出来ていない。

早川由紀夫さんが福島県に放射線量を測りに行き、そこで現地の人に語りかけられた…というエピソードを聞いて考えたこと。 必要なのは、地震津波の被災者、福島原発核災害の被害者が「話を聞いてもらいたがっている」ことを、話を聞くべき者が理解することなのではないかと感じました。 自分の立場に照らすならば、3.11後に通用する「物語」が、語られ、書かれ、豊かになること。 続きを読む
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まとめ中にタイミング良く山川健一 @Yamakawakenichi さんがメンションを添えて下さった。

山川健一 @Yamakawakenichi

読ませていただきました。 RT @ishikitokihiko: @Yamakawakenichi …手前味噌ですが「物語」というキーワードで近い思考をしていたもの「人間観のアップデート 」「3.11以後に通用する物語」 http://t.co/EkW0tRTV

2012-03-17 15:10:53
山川健一 @Yamakawakenichi

ぼくも、ほぼ同じことを考えていました。「震災と原発事故のあと、みんな、ますます今までの漫画を必要としなくなって、読まなくなってしまったのではないか?」。小説についても、まったく同じことが言えると思います。世界は変わってしまったのです。@ishikitokihiko

2012-03-17 15:12:02
山川健一 @Yamakawakenichi

村上春樹さんについて言えば、彼はプロップの言う「物語の構造」を先行させるタイプの作家なので、余計に「アンダーグラウンド」のような揺り戻しを自ら必要としたのだと思います。しかし、読者の多くが求めたのものはやはり心地よい「構造」のほうだった。@ishikitokihiko

2012-03-17 15:14:15
山川健一 @Yamakawakenichi

一色登希彦さんがおっしゃる「物語が共有されなければ、言葉が通じなくなる」というのは、まったくその通りだと思います。新しい再生の物語を、ぼくらはそれぞれがいる場所で必死に模索しなければならないのだと思います。@ishikitokihiko

2012-03-17 15:22:30
山川健一 @Yamakawakenichi

カラマーゾフの「大審問官」についてぼくが「世界が物語を記述するのではなく、物語が世界を記述するのだ」と書いたのは、個人的な希望の1つです。これは長くなるので、ツイートではなくブログのほうにノートを書こうと思ってます。@ishikitokihiko:

2012-03-17 15:23:27
山川健一 @Yamakawakenichi

言葉は無効ではないとぼくは思います。変わり果てた世界を目の前にした時に「ああ…」と嘆息することが、言葉の始まりですから。いずれにしても一色登希彦さんのように思考する漫画家がいらしたのだという事実に、励まされます。これをご縁によろしくお願いします。@ishikitokihiko

2012-03-17 15:25:39