渡辺真也氏の「祖父をめぐる物語」

ご本人は酔っ払ってツイートしたとおっしゃるけれど、いのちと自然をめぐる深遠な一編の物語。 文盲だったけれど中国人と自在に話せた祖父。 朝鮮人労働者の命を守ろうとして亡くなった曾祖父。 命についてのアイヌの長老の戒め。 続きを読む
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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

芹沢光治良の作品に、五銭のよっちゃん、という、沼津の漁師に五銭で売られてきた子供の詩がある。私の祖父は小学校に通えず文盲だったが、沼津の漁師に売りに出された弟を追って実家を抜け出したからだった。私の祖父が義男(よしお)だったことを考えると、よっちゃんがとても身近に感じられる。

2012-03-19 08:00:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私は祖父が立てた魚問屋マルヨ渡辺商店を継ぐことを逃れてアートの道を歩み、ニューヨークへと渡ったが、溺愛してくれた祖父の辿った人生を考えることが良くある。祖父が通過した困難を考えれば、私の抱える困難なんて、困難のうちに入らないだろう。

2012-03-19 08:03:44
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私の曾祖父はダイナマイトを使った掘削技術を学び、北海道までトンネルを掘り進めて行った。朝鮮人労働者を酷使した過酷な現場だったそうだが、ダイナマイト着火の点呼の際、労働者が2人足りず、作業員を探し救出しにトンネル掘削現場に入っていった際、爆死したと言う。

2012-03-19 08:07:37
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私の曾祖父の葬式を挙げてくれたのは、北海道のアイヌの人たちだった。アイヌの長老は、まだ子供だった私の祖父に、命を祖末にしたことは無いか、と聞いたという。その時祖父は、海岸線に打上っていたマグロをお父さんと一緒に埋めたまま、掘り出すことなく置き去りにしたことを話したと言う。

2012-03-19 08:10:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私の祖父は子供の頃、曾祖父の務める工事現場で働く朝鮮人労働者の子供たちに「お前のお父さんがうちのお父さんをいじめてる!」と言われて木の棒で殴られ、目を痛めて失明しそうになったと言う。その近くに病院が無かった為、祖父とその父は、遠く札幌の近くにある病院に向かったと言う。

2012-03-19 08:13:39
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

病院に向かう海岸線で、まぐろの群れが海岸然にビチビチと打上っている様子を見た祖父と父は、これを本土で売れば大儲けできると思い、穴を掘ってまぐろを何匹か埋めたという。しかし帰りの帰宅ルートが異なってしまった為、ついにそのまぐろを掘り出すことなく、帰宅したと言う。

2012-03-19 08:15:42
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

雪を使った半円状の場所に蝋燭を立てながら、アイヌの長老が祖父に話してくれたという「生き物の命を粗末にすると、それが自分に回って来る」という話を、私は祖父から何度も聞かされた。私の祖父が信心深かったこと、文盲だったことも、その話に強度を与えていたのかもしれない。

2012-03-19 08:18:03
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私が自分の祖父が文盲だと気付いたのは、私が小学校4年生の時だった。こたつにあたっている祖父が、柱時計が午後四時をしらせ、水戸黄門の時間になると、紙を取り出して自分の住所と名前を書く「儀式」をしていたのだが、私はこの儀式が何を意味しているのか、理解できなかった。

2012-03-19 08:20:57
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私が小学校高学年のある日、私の父が、祖父を怒鳴っている姿を見た。普通ではない怒鳴り方で、「おやじは漢字も書けないのか!」と言っていた。銀行か何かの書類だったのだが、明らかに間違った漢数字が紙に書かれているのを見た時、私はショックだった。その時、私は祖父が文盲であることを知った。

2012-03-19 08:23:06
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私の父は、祖父が文盲であることが率直に嫌だったのだと思う。私はそれ以上に、何がどうなって祖父が読み書きができないのか、全く分からなかった。そしてその祖父が、何故戦時中、中国に行って通訳まがいの仕事をできるだけの外国語能力を手に入れたのかも、大いなる謎だった。

2012-03-19 08:25:03
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私は祖父に溺愛され、祖父の持つ漁船で幼稚園の頃から海釣りに出ていた。船の係留場所の近くにホームレスの中国人が溜まっていて、その人たちと祖父が話し始めると飲み会になってしまうのだった。私は祖父と中国人が話している中国語が理解できずに、ただ佇み、その姿を眺めていた。

2012-03-19 08:27:07
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

祖父に「真也、先に帰っていろ」と言われ、自宅に帰宅すると、祖母に「おじいちゃんを連れてきて」と言われて橋の下に再度送られ、橋の下にいる祖父に再度「早く帰れ」と言われ、何故私がこんなことをしているのか、全く理解できなかったことを、今日この日に思い出した。

2012-03-19 08:28:33
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

ドイツ人の美術研究者の前で、私のユーラシア論について話した際、興味を持ってくれたのは半数に満たなかった。ごく単純に、ヨーロッパ人の大半が、アジアに興味が無いのだろう。残念だが、それが現実だと思う。

2012-03-19 08:29:47
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

自己さえも自然の一部であり、全てが連続の中にある、という感覚を共有できない限り、ヨーロッパやネーションという中に自己を括ろうとするのではないか。私は、それは違うんじゃないか、と思う。

2012-03-19 08:31:33
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

酔っぱらっていると、変なツイートをしてしまいますね。でも、そんなことをツイートしたい気分でした。そんな夜もあります。

2012-03-19 08:34:39
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

ちなみに芹沢光治良のお墓と、私の祖父のお墓は10mくらいしか離れていません。幼少期からその場所に行ってお経をあげていたことが、私に少なからず影響を与えている気がします。 @helioluna @tawarayasotatsu

2012-03-19 08:41:08
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

今日こんなことを書きたくなったのはたぶん、バルト海を見てきたからだと思う。日本人で歴史をある程度勉強した人があそこに行けば、否が応でも日露戦争や日本近代に関して考えざるを得ない。

2012-03-19 08:44:18
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

私たちの美術研究会に場所や食事を提供してくれたのはハンブルグに本拠地を持つ美術財団だったが、その財団がナチと関係を持っていたことが学会の中で問題になった。この学会を切り上げるべきだという意見も出たが、統一見解は出ず、そんな中、みんなで歩いて、静かなバルト海を見に行った。

2012-03-19 08:46:11
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

日露戦争における日本の勝利を導いたのは、日英同盟の関係上、日本の戦時国債を高橋是清から買ってくれた、ロシアのポグロムを快く思わないユダヤ人商人らで、美術史家アビ・ヴァールブルグの実家である銀行や、その関連のジェイコブ・シフらロスチャイルド系の銀行や、リーマン・ブラザーズだった。

2012-03-19 08:50:05
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

自分が歴史の一側面に当事者として関わった時、判断に困ることが多々ある。物事の一面だけ見て短絡的な結論を出すことは簡単だけれど、それが正しい解答だとも思わない。正しい結論を出そうと考え抜く態度こそ重要なのではないか、そんなことを考えた。

2012-03-19 08:52:36