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「戦争体験」には、所謂「平和学習」の文脈から外れる、奇妙な体験談も混ざるという話(勿論深刻な話も、深刻過ぎて笑い話にするしかない話も)

1億人の共通体験である以上、食糧事情も危険の度合いもグラデーションがあって当然だし、タイトルにも入れたように「笑い話のようなことしか語れない」という心のひだも当然あるでしょう。それでも、「いわゆる戦争体験」の文脈を離れた証言も、まずは残しておかねばならない…と思います。カテゴリーは「歴史」で
平和 近代史 太平洋戦争 昭和 第二次世界大戦 歴史 ww2 都合の悪い体験 戦争体験
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ドンガメ六号 @dongame6
戦争体験者だと特攻何か爆弾積んでブーンといってワッと爆発して死ぬんだから景気が良くてみんなに褒められてうらやましいぐらいの意見が出てくるからな。戦争は本当にクソ
ドンガメ六号 @dongame6
うちの爺さんの好きな戦争体験は、集落の同級生で出征した十数人の中で生きて帰ったのが太平洋が始まる前に中国で肺炎患って帰ってきた爺さんと、大陸で終戦まで戦って生き残ったマジ猛者の二人だけで、集落の寄り合いだと大体そのマジ猛者と会うのでめっちゃ肩身が狭かったって話だな。
バイオ会社員dark side @yakanifu
所謂『平和学習』、ウチの地元だと俺が小学生の頃にはもう 「疎開先で同居してた従兄弟姉妹のお姉ちゃんがめっちゃエロかった。ずっと疎開してたかった」 「部屋着で飛び込んだ防空壕。狭く薄暗い密室の中、若い男女2人。何事も起こらない筈がなく…」 といった大変為になる()話ししか聞けなかった
バイオ会社員dark side @yakanifu
あまりにも教育に良くなさ過ぎて中学の時には日本人呼ばれなくなってもっと直近の戦争経験した外人から話聞くようになったんだけど、最初に来た湾岸帰りのアメリカ人は「イラクは暑いからビールが美味い!」ばっかり言ってた
七戸優 @MShichinohe
祖父は満州でリンゴ栽培の研究をしていた。終戦後、武装ロシア兵が押しかけてきて病人が出たから診ろという。自分は植物の医者だと言っても聞き入れられず連行された。何日かして祖父は抱えきれないほどの食料を持たされて帰ってきた。ヤケクソで正露丸を飲ませたら治ったのだと。その末に僕がいる。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
征露丸だったというのが、また何やら皮肉が効いている / “七戸優さんのツイート: "祖父は満州でリンゴ栽培の研究をしていた。終戦後、武装ロシア兵が押しかけてきて病人が出たから診ろという。自分は植物の医者だと言っても聞き入れられず…” htn.to/7GHgUP
はるか/夏コミ金曜日南ナ07bでした @YT_HARUKA
戦争の記憶をお年寄りに聞いてこよう系の平和学習というと、ウチの爺様たちがこぞって「戦時特需で儲かった」「米の相場が激アツ」「もっと搾れる所から搾っておきたかった」とか言い出したせいで俺のレポートが割とアレなことになったのを思い出す
手動人形 @Manualmaton
@YT_HARUKA 自分の祖父も「ラバウルで調達した果物を酒保で売りさばいた」とか「向こうの紫芋をこう料理した」とか「海軍でウィスキーの味を覚えた」みたいな食べ物ネタをふんだんに語ってたので割と歪んだ記憶。とかく食にひとかたならぬ情熱を持ってたことだけは確かなので自分はこの祖父の血を継いでるとしか。
はるか/夏コミ金曜日南ナ07bでした @YT_HARUKA
@Manualmaton 人の数だけ思い出があるわけでして。惨憺たる記憶を抱いて二度としてはならないと願う人もいれば、次は勝つからラウンド2しようぜと思う人もいるし、儲かったわ!と左団扇の人もいる かなり浮いたレポートにはなりましたが、良い話を聞けましたね…
矢野健太郎 @yanoja
さっき母に「終戦を知った時どんな気持ちだった?」て聞いたら、疎開先の親戚の嫌がらせで玉音放送を聴かせてもらえず、従兄弟が「日本負けたぞ~♪」と自慢げにマウント取りに来て「そんな事言ったら特高に捕まるよ!」って焦りまくった…というクソな思い出を語られて唖然としてる。
矢野健太郎 @yanoja
…当時の母は代用教員だかをやってたはずだから、やっぱ終戦後生徒に教える内容が逆転したりとかした?教科書黒塗りとか?って聞いたら、学校つっても畑仕事とか労働ばかりですでに授業なんか全くしてなかったからそういうの無かった。との事で、終戦の実感とか皆無だったそう。
矢野健太郎 @yanoja
…生活面でも、その親戚の家で女ばかり家族4人一間に押し込められ(部屋はいっぱい空いてたのに)母の教員としての稼ぎでなんとか食べてたけど親戚にいびられこき使われる生活は変わらず、戦争に負けたからこれからどんな暮らしになるのだろうみたいな発想すら浮かばなかった…って…
矢野健太郎 @yanoja
…「火垂るの墓」かってツッコミあったけど、母の父が健在で翌年春に東京に呼び戻してくれたから良かったものの、でなければマジで先日のNHKスペシャルの戦災孤児みたいな運命だったかも。(前にも書いたけど母は東京大空襲で焼け出されたから家無かったし)
矢野健太郎 @yanoja
…とか、思い出話を聞かされたはいいが「今日は面倒臭いからデイサービス休む」とか言い出してひとしきり口論。もう何十遍繰り返したか知れない。マジ勘弁して下さい(´;ω;`)
浅野真澄@あさのますみ @masumi_asano
クロ現+の動画にて、祖父の戦争体験を話しました。幼い私に「捕虜になったとき食べたコンビーフがおいしかった」と話してくれた祖父。亡くなってから、祖父は日本兵がほぼ全滅した島のたった数人の生き残りだったと知りました。悲惨すぎる体験を私には聞かせたくなかったのかもと今になって思います。
横山雅司/日本軍戦闘機秘話 @masashinger2000
もはや70代でも戦争体験がない人もいる時代に、いまだに小学校に「祖父母に戦争体験を聞いてこい」という課題がある、という話が事実なら、まさに現実や状況の変化を無視して「決まりだからやれ、やれと言ったらやれ」と無思考に行動した日本軍魂を感じる。
TJ 大学生探索者@紅楼夢!近代と合同です! @HIRO18127219
@YT_HARUKA ウチのひぃ爺さんも『小作人共にコメや野菜を作らせまくって儲かったw』と言ってたな。
暮維持 飛衛郎 @crazypierrot_00
@HIRO18127219 @guldeen @YT_HARUKA 吾輩の爺さん婆さん「田舎だったンで…のん気にやってたよ。怖い思いもしなかったけど原爆落ちた次の日とかにオバケみたいになった人が逃げて来たのはビックリした。 (戦後)子供らが『腹減った』とピーピー言われる方が苦労した。」 母親など戦後世代「いつもいつも腹減ってた。」
手動人形 @Manualmaton
@YT_HARUKA 「人の数だけ思い出がある」は将にその通りかと。敢えて楽しい思い出のみにすることでつらさ苦しさを消したいとかあるやもしれません。その辺りの真意は「同じ立場」になった時に向こうで聞くしかないでしょうが、まだまだ早い言われるのが関の山っすね。
同人誌を見せるぷらずまbot【完結】 @doujin_plasma
戦争体験者の祖父や親戚に話を聞いとけばよかった、と呟いてる方を散見するのです。ぷらずまも親戚に海軍陸戦隊だった方、陸軍で砲兵やってた方が居まして、高校の時分に思い切って戦争体験の事を聞いたことがあります。 答えは「うん、すまんな、ちょっと話せんわ」でした。(続く
同人誌を見せるぷらずまbot【完結】 @doujin_plasma
戦闘以外の話(ムカつく上官の話とか、現地の住民と煙草と交換した食料の話とか)は聞いてたのですけどね。 亡くなる前に聞いたのを覚えてたのか「机に手記が入ってるから読んでいいよ」と言われ、亡くなった後に読んでみましたが、すいません、コレ逆の立場なら話せないわと言う内容でした(続く
同人誌を見せるぷらずまbot【完結】 @doujin_plasma
何が言いたいかと言うと、南方で実戦経験とかトラウマどころじゃないレベルの修羅場抜けて生き残った方ですから慎重にお話を聞いて下さい、なのです。 ぷらずまも震災経験しましたが、あれ親戚の坊主共に聞かせたくないもの。 それでも話して下さる方は凄い勇気だと思うのです、尊敬するのです。
同人誌を見せるぷらずまbot【完結】 @doujin_plasma
ちょっと真面目な話、この時期になるとどうしても思い出す、ぷらずまの心に刺したままの棘なのです。 ちなみに手記は抜粋して戦友会の会報に載せた事があるらしいのです。
Sgt.タムーン @Sgt_Tamun
2ちゃんで見た「平和学習的な内容を期待して近所のじいさんに当時の話を聞いたら『機関銃でシナ兵何人なぎ倒した』だの『接近戦になったのでぶった切った』だのの話が出飛び出し子供は泣き出し先生方は凍り付くという地獄絵図」のはなし忘れられない
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コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2018年8月17日
各氏に多謝 誰でも編集可能です/#あちこちのすずさん というハッシュタグはNHKとも連動していたため内容的に非常に濃い経験談が集まったけど、ハッシュタグはせいぜい数か月しか機能しないんだよな…(いくつかまとめがあるとはいえ)
ふーこ👾 @fukuchi0606 2018年8月17日
TLに「祖父が兵隊で~終戦の日じゃなくて敗戦の日だろと言っていて、自分も同感」みたいな、たくさんイイネが付いたのが流れて来たんだけど、私は終戦の日(記念日)で良いと思ってる。 一般市民の「戦争終わって良かった~♡」って感じが伝わってくるし。
ふーこ👾 @fukuchi0606 2018年8月17日
祖母の話なら戦後直後体験も面白かった。 米軍兵士の家でお手伝いさんやっていた時の話。 奥さんに盗癖があったみたいで、色々大変だったらしい。
エロラク @eroluck 2018年8月17日
位牌を開けて「これがあそこで死んだ兄さんの~これは海軍に居た兄さんの~戦後に兄弟が半分しか残ってなくてな」とか聞いたのがもはや懐かしい。あのような話はもうほとんど聞けないんだよな。
いかおとこ @mororeve 2018年8月17日
うちの爺さんは終戦の時子供だったんだけど、砂浜かどっかで拾った手榴弾を海に投げて遊んでたとか言ってた。
ワス @wsplus 2018年8月17日
ちなみに米国番組の太平洋戦争ドキュメンタリーもの観ると日本軍のエゲツない戦法いろいろ解ってさらに勉強になります。
段ボールが本体 @Himade4tama 2018年8月17日
死んだ祖母は、GHQに土地を取り上げられた口惜しさについてしか、話してくれなかったな
fumi @karakararen 2018年8月17日
うちのじーちゃんは貧乏農家の次男坊で満州行ったら牛丼食えるし遊びに行けるしで楽しかったってさ。 衛生兵だから前線に出ずに済んだし。 まあシベリア送りに合ったんですけどね。
ととっと @xyrLuoihI9vhuex 2018年8月17日
ウチの祖父はなんか話は聞けなかったな。海軍で台湾にいた時空襲で右足を大腿部から無くした傷痍軍人で、戦後はまあアレですよ「カ〇ワ」と馬鹿にされまくってまあ、正直そっちの方はずっと辛かったようで。でも戦友と会うというときは凄く楽しみにしてて、いざ会えたら上機嫌で酒を飲んでた姿は思い出す。あの場こそが祖父の青春だったのだろうね。
ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 2018年8月17日
高木彬光「連合艦隊ついに勝つ」は冒頭で、帰還兵士にインタビューに行ったら、船に乗って出撃したシーンなんか朗々と語り波の色まで言うのだけど、直属の上司の名前を間違えていて、指摘したら頭をかいて笑っていた、当事者の記憶はどこまで当てに出来るのか、ノンフィクションと記憶違いはなんなのかって書いていたけど、身内の経験を聞いて正確性を調べた人って、どれくらいいるのかな。
SAKURA87@多摩丙丁督 @Sakura87_net 2018年8月17日
うちのじいさんも直ぐ隣が大空襲地域だけど、ちょっと外れた割と平和なところに居たし、あまり体も強くなかったから。そんなみんなが期待しているような戦争体験はしてないんだよな。まぁ小倉にいたらしいので。状況が状況だったら変わってたかもしれんけどな。
のび @Novifam 2018年8月17日
まあこうやって受けようと思って少し話を盛ったジジイのホラ話とそれも信じるアホのコラボレーションで歴史は書き換えられて行くんだろうな、慰安婦の時と同じで
HANATARAY @hanataray 2018年8月17日
松谷みよ子の現代民話考なんかだとだいぶ雰囲気違うんだよなあ
阿佐川律 @Ritsu_A 2018年8月17日
うちのじーさんはシベリア抑留されてたクチなんだが、帰国した時人生で一番太っていたという謎の言い伝えがあってな(私が生まれる前に鬼籍に入ってた)
mlnkanljnm0 @kis_uzu 2018年8月17日
「敗戦の日」だと、次は負けないぞという臥床薪炭テイストが出る。
マシン語P @mashingoP 2018年8月17日
祖父が海軍に居たときに使っていた手帳を見つけたら、3/10東京大空襲があった時の経過記録やら、芝浦の海軍倉庫にこそ泥が入った状況を検分したメモなど興味深い記述でいっぱいだった。惜しむらくは祖父は既にまともにしゃべれない体になっていたことだが。
dynee/ダイニー @dynee_morinaga 2018年8月17日
このツイート群からわかるように「ちょっと倫理的にヤバい」人からしか、なかなか殺人体験は聞けないという事。普通の人はごくごく限られた人に断片的に語るか、それもできずに胸の奥にしまい込んだまま死んでいく。それが平和学習の問題点だと思う。
マシン語P @mashingoP 2018年8月17日
Ritsu_A シベリアの捕虜収容所と言ってもナチスのそれとは違い、四六時中監視されるわけでもなく戸外に出されてグループの裁量で作業していたそうです。中には街中へ派遣されて食堂の手伝いに従事した人も居り、そういった美味しい仕事(文字通り)にありつけたので、戦後の混乱にあった日本より栄養状態が良かったというケースなんでしょう。
ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 2018年8月17日
藤子不二雄A氏「北京填鴨式」のように、大陸でやった蛮行を中国人の目の前で自慢げに話す元日本兵って、本当にいたのかどうか。いたような気もするけど。
電子馬@お腹いっぱい。 @Erechorse 2018年8月17日
ベトナム戦争に参加したアメリカ軍兵士に聞くとか...(絶望)
꧁꧂眼鏡オヤジ꧁꧂ @kgbn1112 2018年8月17日
今の小学生だと曽祖父でやっと徴兵世代が入ってくるかな?って所だからね。73+18で91才。でもこの頃は撤退戦ばかりだから、戦地の話を聞くには95~だからもう話す事ができる人はもう本当に少ない
阿佐川律 @Ritsu_A 2018年8月17日
mashingoP 当時の祖父は独身で、祖母もこの件は直接は知らないためまた聞きのまた聞きレベルなんですが、缶詰工場勤務だったそうです。それでもその他の環境は悪かったようで朝起きたら隣の人が死んでたこともあったとか。本人はあまり語りたがらなかったとのことで、祖母も祖父から直接聞いたことはほとんどないと言ってました。
denev @_denev_ 2018年8月17日
やはり「敗戦の日」ですよね。自らの過ちとしっかり向き合わなくては。
れて @leght0 2018年8月17日
戦争するなら勝ちの算段を付けてからやらなあかん良く聞いたなぁ
カラスモドキ @karasumodoki 2018年8月17日
戦争体験知りたいなら半世紀以上前の民間人のおぼろげな想い出聞くよりPKO行った自衛官や紛争地で実戦経験した米国軍人の話聞いたほうが参考になるよ。反戦平和説くのは結構だけど、戦争観が第二次大戦で止まりがちなのは危うい。
煮物 @nimonotenpura 2018年8月17日
戦争状態で人を殺すのに何の躊躇いも無く罪悪感も無くPTSD耐性が極めて高く、それでいてサイコパスでもなく日常に帰れば優しく理性的なスーパー職業軍人が1%前後の割合でいるらしいからそういう人の話は普通の人には理解し難いかもね。
ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 2018年8月17日
karasumodoki 私の叔父は自衛官で、紛争地に自衛隊が派遣される各事案で「志願者が大勢いて選別するのが大変」な話をしてくれるのだけど、マスコミは「拒否者続出、帰ってから自殺が頻発」だから、どっちが本当なのか見極める力が必要です。ちなみに叔父は今はもう定年で退官してます。当時も年齢の関係で紛争地には行ってないです。
さとうあきひろ @akihirosato1975 2018年8月17日
つかそもそも8月15日は停戦した日(という書き方にも問題があることは承知しているが、今回はこれで行く)に過ぎなくて、本来の敗戦した日は降伏文書調印の9月2日(いわゆる「VJデー」)。なぜか日本ではメディアも含めことごとく9月2日をスルーするんだけど。
ほげほげ @ts59h 2018年8月17日
戦争体験は話せるとこしか話してくれないよね。爺さんは日本軍が勝っていた時期、酒保で羊羹食った話はしてた。でも負け込んでいた時期、抑留されたり、戦犯にされた時期は同僚や部下の体験記でしか知らないな。
いぬうさぎ @sms_skull4 2018年8月17日
海軍の下士官だった爺さん。乗る船が無くなって南方の基地で暇してる時に終戦。仲間と一緒に銃剣で切腹しようとしてちょっと切った後痛いからって自決止めたり、接収に来たオーストラリア軍と危うく戦闘になりかけたりしたらしい。
白山風露@ᘇΩᗢ @kazatsuyu 2018年8月17日
うちの爺さんの奇妙な戦争体験と言うと、「家の地下に防空壕を掘れと言われたから掘ったら水が溜まってしまい、防空壕としては使い物にならなかったが近所で火事になった時にその水が役立った」というものと「玉音放送が放送されたとき、ラジオで聞いたが音質が悪くて一緒に聞いていた人誰も聞き取れず、これはきっと陛下が国民に頑張れと励ましているに違いない、と受け取っていつもの通り働きに行った」というものがある
ephemera @ephemerawww 2018年8月17日
自分の親族は徴兵されていないし、通っていた学校の方針もリベラルで自主独立を教わったと聞いている。別に戦時中だからといって一様に陰鬱な社会であったわけもなく、全国全てで「悲惨な体験」があったわけでもない。こうした体験を聞いてこい教育で「そのまま正直に報告すると教室が変な空気になる」とか「教師が苦い顔をする」とかいうのは、最初から教育側に「期待されているストーリー」がある証左で、こういった教育の本質は「反戦のためのプロパガンダ」だといえる
---------- @yukiokurosaki 2018年8月17日
うちの爺ちゃんは体が弱かったから、徴兵検査で引っ掛かって行かなかったらしい。もう一人の爺ちゃんは弟が生まれてすぐ死んだし、身内から戦争の話って聞いたことがない。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
うちの爺さんの一番上の兄が日露戦争で亡くなった士官で村の誉れだったらしい。 うちの婆さんに戦争の話しを聞いたら子供の頃の提灯行列が綺麗だったという話しを聞いた。色々調べるとおそらくシベリア出兵。
ephemera @ephemerawww 2018年8月17日
このまとめの面白味というのは、「ストーリー(物語)」と「ナラティブ(叙述)」は違うという話で、私たちがいかに反戦教育が植え付けた「ストーリー」の先入観に染まっているかということでもある。本当は一次史料であるナラティブから我々が各々自由に、何かしらの見識、価値観を、そしてストーリーを得るべきなのだが、どうにも反戦教育の求めるストーリーがそれを邪魔してくれる。体験世代も僅かになり、実にもったいないことをしたと思う
bss @bss_w_n 2018年8月17日
親から虐待にあったなどで精神に大きなダメージを負った人に対して子供の前でその体験を話させようとしたらハラスメントやらセカンドレイプやらでリベラルな人達が糾弾しにくるだろうに、戦争体験となるとそういう人達は本人からしたら思い出したくない辛い過去を根掘り葉掘り洗いざらい話させようとするのはなんでなんだぜ?
bss @bss_w_n 2018年8月17日
戦争反対という大義名分の旗の下では、一個人の精神衛生を守るより大事なことがあるってか?全体主義軍国主義となにが違うんだそれ。同じ穴の狢じゃねーか。
なんもさん @nanmosan 2018年8月17日
たとえば戦争に行かなかった世代でも、当時子供であれば腹が減ってどうしようもなかった経験談だけは皆持ってるはずなんですが、これを飢餓の体験がほとんどない現代の子供に話してもあまり効果がないんですよ。わたしも子供の頃はピンと来ませんでした。本来なら子供が飢えることほど悲惨な話ってあまりないはずなんですけど、子供の想像力の及ぶ範囲って「パンがないならケーキを」とあまり大差なかったりするものですからね。
刑事長/理事長 @DekatyouNy 2018年8月17日
dynee_morinaga 個人体験というバイアスが入りまくる段階で学習教材としては不向きも不向き。戦争になぜ至ったか、という学びがない限り身につかない。
CD @cleardice 2018年8月17日
コメが無くてトウモロコシでかさを増していたなんて話をしても今のトウモロコシ美味しいからピンと来ないんだよね
席上 @Nonsomnia 2018年8月17日
真実かホラ話かはご本人にしかわからないわけだけど、自分が確かに聞いた、それもおそらくは親しい関係だから話してくれた儲かったガッハッハみたいな話を他人からジジイのホラ話扱いされるのは思い出に踏み込まれる形なので大変に不愉快だよね。「平和学習」と言って辛い体験以外は戦争体験じゃない!とフタをするのって、それこそ事実を歪めることで新たな火種を産んでるというか
はくはく @F_hkhk 2018年8月17日
うちの爺さんの場合目の前で友達がぶっ飛んでバラバラになった、しか言わなかったな。何に乗った、あの時はどこに居たという話は多いんだけど、人が死ぬって話だけはあまり言わなかった。言いたくなかったんだろう
なんもさん @nanmosan 2018年8月17日
わたしの祖父母と父は大陸からの引揚者でして、外地では食糧事情が比較にならないほど良かったからほとんど引き揚げ時の苦労談しか聞いてませんし、中でも父は長男なのに志願して予科練に入って内地で訓練して穴掘ってるうちに戦争終わってますから基本的に死ぬ覚悟以外は何もしてないです。そして、若者の死ぬ覚悟なんて家族を守る覚悟よりはよほど薄っぺらいものに間違いありませんから、その点では親類縁者にずっと恨まれてましたな。
3mのちくわ(20禁) @tikuwa_zero 2018年8月17日
ウチの母方の爺さん(故人)、戦闘機や軍艦が好きで矢鱈プラモデル作って飾ってたくらいなんだけど、戦車等の陸上兵器は全然作らないので理由を聞いたら、「上官の命令で戦車に突っ込まされた」のがトラウマになってたらしい。普段ニコニコしてて婆さんのケツとか胸触るのが大好きなファンキー爺さんが、その時だけ鬼のような形相してたのを今でも思い出す。
3mのちくわ(20禁) @tikuwa_zero 2018年8月17日
とまれ、個人の「体験談」を証拠もなしに「歴史」として扱うのは危険だよね。ネタとして話す分には構わないと思うけれども。最近、また朝日新聞が「慰安婦」に代わる新たなネタを持ち出してきただけに。https://www.asahi.com/articles/ASL877WN3L87OIPE03B.html https://www.asahi.com/articles/ASL8H64L2L8HOIPE01T.html
青川龍樹 @pochacorodog 2018年8月17日
Himade4tama うちの曽祖父は、嫌味な本家がGHQに土地の殆どを持っていかれてザマァwな話をしていました。笑
電卓 @108dentaku 2018年8月17日
祖母が風船爆弾作ったって話と、祖父が長門と足柄の機関士やってたって話なら聞いた
nnouse @nnouse 2018年8月17日
ライフ・オブ・パイ
uniuni @wander__wagen 2018年8月17日
nanmosan そりゃテメーのオヤジの話で若者の死ぬ覚悟とはなんの関係もない。出直せハゲ
お豆さん @feijao0131 2018年8月17日
cleardice 大学で昔のトウモロコシ食べたけど、味がデントコーンみたいだった
uniuni @wander__wagen 2018年8月17日
小林よしのりのマンガの中の数少ない同意できる点が「かっこいい戦争体験にワクワクしてもいいじゃん」って感じの記述。昨今右傾化がどうのとか言ってる連中はてめぇらが一方的なものの見方しかしてこなかった、教えてこなかったッテ自覚はあるのかねぇ。別に右傾化してるわけじゃないが。
お豆さん @feijao0131 2018年8月17日
インパール帰りだったからか、美味しいバナナの見分け方と海外組は早い段階で負けが判ってたって話ぐらいしか聞かせて貰えなかったな。
ハドロン @hadoron1203 2018年8月17日
母は占領された後の樺太に残って、大陸から移住してきたユダヤ系のお屋敷で子供の世話やらされたって聞いた。子供のお菓子くすねて食べてたって言ってたな。お菓子取られて、その子がべそかいてもお構いなし笑。よく日本に帰ってこれたよな。
なんもさん @nanmosan 2018年8月17日
wander__wagen 覚悟なんてするだけなら総じてそんなもんですよ。特攻隊は出撃に向けての緊張とか心の準備とかいろいろあるからドラマになりやすいけど、しょせん特別待遇付きの確定死刑囚みたいなものですから、前線で餓死しつつある兵隊さんからは羨ましがられる存在たりうる、ってのもまとめの最初に出てくるくらいの重要ポイントでしょ。そこスルーしちゃだめですし、ガチの国家総力戦ってのはそれくらいクソなものです。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
wander__wagen 自分の子供の頃は零戦の活躍の絵解き本(子供向け)や大和の秘密みたいな本を読み、プラモデルでは零戦や隼が人気だったので「かっこいい戦争体験にワクワク」していました。 「大空のサムライ」も前半はそんな内容ですし。 それが戦後の日本では禁じられていたという小林よしのりさんの嘘は困ったものだと思っています。
ハーミッセイーニヨッ @ishiyuriniwa 2018年8月17日
『輸送船に乗っていて食べ物には困らなかった。戦いはできないので敵が怖かったが、遭遇することなく終戦を迎えた』という、教育にもネタにもならなさそうな話だった
佐藤 啓介 @5akwL3RLBVoykld 2018年8月17日
feijao0131 農学部あるある。トウモロコシ関連の講義は「キングコーン」見せられて、デントコーン食って不味いというシーンぐらいしか覚えてない。 リンゴの原種食ったことあるけど酸っぱくてジャリジャリしててとても食えたもんじゃなかった。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
現実の戦後日本ではゴールデンタイムに富嶽の話をやっていたり、 https://www.youtube.com/watch?v=NH8IkPu0TSQ 伊400の話をやっていたりと日本軍の頑張りをネタにした番組をやっていたのだけれど、 小林よしのりさんらは、そういうのが「禁じられていた」と嘘を喧伝した。
せるりあん @kdkwshine 2018年8月17日
シナとチャンコロは絶対に信用するな、ロシアは人間じゃないが口癖だったな。大陸に行ってたクチで相当苦労されたようだった。反面鬼畜米英という概念はほとんど持たなかった様子
ろんどん @lawtomol 2018年8月17日
母「戦死した叔父さん、海軍兵学校出のエリートだったのよ」子供の頃の私「へぇ〜すごいなぁ」…アラフォーとなった私「…海兵の卒業生名簿に叔父さんの名前ないぞ…写真で着てるの士官の制服じゃないだろコレ…海兵団と海軍兵学校を間違えてるんじゃないか…?」
せるりあん @kdkwshine 2018年8月17日
平和な時ですらシナ人の奉公人に家財道具の一切合切を持ち逃げされたり、いきなり宣戦布告してきたソ連から命からがら逃げてきたり、その過程で日本人と見るや狼藉を働く朝鮮人を目にしたり、そして日本の地を踏んでも暴れまわる朝鮮人がいたとか。旦那が出稼ぎに行ってる若い嫁さんを強姦した朝鮮人を近所の人らと囲んで埋めたなんて怖い話も聞いたな
ペンギン海未ねこちゃんはコミ1に行くの巻 @Penginumineko 2018年8月17日
今年亡くなった祖父さんも、末期に召集されて、初めて赴任した日の晩御飯に赤飯が出されて大喜びで食べたら、コーリャン飯でクッソ不味かった。あんなの家畜の飼料だとよく言っていた。それだけは二度と食べたくないと。
野良馬 @nobody_oyaji 2018年8月17日
mikumiku_aloha そういう点では昔より今の方が神経質かもねぇ。  今の番組は必ずといっていいほど当時の乗組員とかの「戦争否定の弁」が入ってるし、入れないと戦争賛美とか言われかねんし。   いや、見たいのはそこじゃなく「それがどんなもんだったか」なんだよなー。 だから歴史ヒストリアの伊400回は興味深く観た。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
個人の体験の口伝というのはそれが歴史の全てではないけれども、小林よしのりさんの「戦争論」のように嘘で歴史を塗り替えようという論調に対しては、その嘘を暴くネタになるので伝えていくことが大事かなと思う。
野良馬 @nobody_oyaji 2018年8月17日
うちのオフクロ方の爺さんは「消防士だったか警官だったかで、戦場には送られなかった」って話位だなー。  だから平和教育()に向く話は無かった。     オフクロ(当時深川住まいで毛利小学校行ってたとか)も学童疎開で東京大空襲の前に婆さんの田舎の山梨へ行ってるから悲惨な体験も特に無かったような。    唯一あるとすれば、例の東京大空襲で残ってた友達の大半が亡くなったって事かな。
嬉野めぐみ@新作続々配信中❤ @urechan 2018年8月17日
私の身内は徴兵された人が居なくてあんまりそういう話聞いてないんだけど(居たらしいけれど私が物心ついた時はすでに鬼籍に入られてた)父方の祖父が警察官で闇市とかヤミ米取り締まってたので「お目溢しでもらう物品で家族が生きられてた」って話を聞いたのを思い出して「今なら炎上案件」と思った今年の終戦の日。
野良馬 @nobody_oyaji 2018年8月17日
むしろ戦後の話を聞いたわ。   当時あの辺の若い子はマクネールとかいう米軍キャンプへバイトで稼ぎに行ってて、オフクロも士官クラブのウエイトレスやってたとか。   で、その親連中は富士演習場絡みの返還運動だかを(子どもが出稼ぎに行ってる)米軍に対してデモやってたという。    そのせいか米軍に嫌悪感は無く、むしろ当時の日本人の大人達への嫌悪感があったらしい。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
当たり前だけど、若くして戦争で亡くなった人達の子孫ってそんなにいないよね。 うちのじいさんも太平洋戦争当時で既に若く無く徴兵に落ちたくちだった。 もう少し長引いたら兵役についていたかもしれなかったらしいけど。
moxid @moxidoxide 2018年8月17日
凄まじい数の人間が文字通り命を賭けて関わった一大イベントへの印象が、判を押したように一致するほうが怪しいよな。ある程度の傾向が出てくるのはわかるけど。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月17日
moxidoxide 何が事実の全てかは難しいけど、喧伝されるネタが体験した事実や確からしい体験談と違えば嘘なんだろうなというのは分かる感じ。
段ボールが本体 @Himade4tama 2018年8月17日
pochacorodog さすがに草。 誰かしら得したはずなのに、そこは伝えられないのもおかしいよね。
ざわ @zawayoshi 2018年8月17日
8月15日は終戦記念日とされてますが、あくまでもポツダム宣言を受諾した日ということであり、戦闘行為はソ連が北方四島の占領を完了した9月5日まで続いてたんだよな。なかったことにしたい人も多いだろうけど終わってないだろと。
五月雨山茶花蝉しぐれ @taken1234challe 2018年8月17日
いわゆる「ミリオタ」呼ばわりされる人らは、戦争というワードに含まれる悲劇的なストーリーよりも、戦争という現象に対するナラティブにふれる機会が多かった人たちなんじゃなかろうか。考えてみたら人間の起こす行動の中で戦争ほどダイナミズムにあふれるものは無いわけで、戦争に伴って発生する非日常的な現象はとてつもないものに成る。興味をひかれる人が少なくないのも理解できる。
五月雨山茶花蝉しぐれ @taken1234challe 2018年8月17日
そういう意味では「この世界の片隅に」はストーリー性を極力排除し、叙述性を大きく出した意味では戦争ものの作品のなかでは極めて異質的なものであったと思う。閑話休題。後世に語られる悲劇的な「物語」としての戦争像と、実際にその時代の人が経験した「日常」としての戦争像と、片方だけではなく両者をバランスよく考えることが大事なんじゃないだろうか。
かつま大佐(永遠の10歳📛) @kamiomutsu 2018年8月17日
うちの父は満州生まれで、戦争が終わって普通に帰ってきた。帰る際には相当の苦労もあったのかもしれんが、何も聞かなかったな。「下手すると中国残留孤児になってたのかもな」と冗談めかして言っていたが、もしそうだったら俺産まれてない。
ephemera @ephemerawww 2018年8月17日
他のまとめでも言っているが、私たち戦後世代に必要なのは、先の戦争を客観的に分析し、失敗点、問題点を洗い出し、具体的な指針と教訓を得る総括だ。厭戦感情を煽られたり、身に覚えのない反省や謝罪を強要されることではない。未来永劫、戦犯国の民という原罪を負わされることでもない。戦中世代にその総括が出来ないのであれば、私たちが総括すべきである。私たちはナラティブに対しても「ストーリー」に都合がいいか都合が悪いかで選別することなく、そのまま受け止めて考察をしていくべきだろう
ephemera @ephemerawww 2018年8月17日
taken1234challe 余談だが全くその通りで、「この世界の片隅に」が特異だったのは、創作ではあるが、描かれたのはストーリーではなくナラティブの様式だったことだ。あの作品はこのまとめにあるようなナラティブと同じく、私たちの意識を「お決まりの反戦ストーリー」の洗脳や先入観から解放するものだった。私たちに必要なのは上の世代に押し付けられた「ストーリー」からの解放だ。我々は自らが獲得した視点、価値判断、評価を持っていくべきだし、それに基づいて後世の人間として、我々に敗戦国を残した彼らの歴史を裁くべきだ
緑川⋈だむ @Dam_midorikawa 2018年8月17日
まあ要するに「政治的に正しい戦争体験」と「政治的に正しくないから語ってはならず口にしたらヘイワを信じるポリコレ民がポリコレ棒で撲殺にしくる戦争体験」があるということやな
黒咲千夜 @kurotinya 2018年8月17日
そもそも体験談なんてひとりひとり違うのが当たり前で、特定の文脈があるとされる事自体がおかしいでしょ。 いい加減、教育の名を借りた思想統制辞めてね。
和菓子 @nkltsl2 2018年8月17日
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉について考えさせられるまとめ。 個人の体験が当てにならないというよりも、1つの戦争でも体験者は大勢居るから記憶や感じたものは千差万別で、一人二人ぐらいから体験を聞いてもごく僅かな部分しか分からないという事でもあるのかなあ。
和菓子 @nkltsl2 2018年8月17日
そういえば私の祖母の実家は田舎の地主が何かで戦時中でも米には困らなかったそうな。 更に父親(私の曾祖父)は競馬好きで県をまたいでまで遠出して競馬場に行ってたとか。(これは戦後の話かもしれんけど片道数時間かかるからほぼ旅行) 打って変わって祖父からは「空襲後に電車に乗っていたら窓から死体がたくさん見えた」みたいな話を聞いた。 戦争体験なんて本当に人それぞれ。
木犀劇場 @former_TY 2018年8月17日
何度も言ってるけど生身の人間の話聞くより映像の世紀でも見せたほうがいいって。
94式北海黒竜王V、 @DoomDrakeV 2018年8月17日
曽祖父がWW1の戦争特需に乗っかり損ねて破産しかけた話とかか。
屑肉 @cuezunicue 2018年8月17日
何年か前に同じ時期に知り合いとこんな話になった。オヤジがシベリア抑留されてる時に「いい時計だな、渡せ」みたいなこと言われて取り上げられたけど、ゼンマイ止まると動かないせいで治しちゃ報酬としてパンをせしめ、食いつないでパンパンになってオヤジが帰ってきた、って言ってたな。あの知り合いももう旅立ったけど。
うつお @U_2O 2018年8月17日
まあ生き残った人からしか話は聞けないからね。 理不尽に死んだ人の話は誰も聞けない。
カニ高専 @masau0519 2018年8月17日
kdkwshine んー八路軍には相当な敬意を払っていたなあ。 規律正しい。勇敢。 まあ、国府軍の事はボロクソだったけど。 光文社の兵隊よもやま話には、日本軍に降伏を勧告する軍使や日本軍捕虜を気遣う八路軍のエピソードが載っているな
uniuni @wander__wagen 2018年8月18日
mikumiku_aloha 戦後すぐのことは知らなし、マンガのセリフの端まで覚えてないのは申し訳ない。私は個人的な肌感覚でああいう話題に対する蔑視を感じていたので、別に悪かねぇだろって思ったまで。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月18日
wander__wagen 私もさすがに戦後すぐの世代ではなくて高度成長期の話しです。ガンプラが占領する前のプラモデル屋さんの花形は零戦や隼、ウォーターラインシリーズの日本軍の艦戦で、F6Fやフレッチャー級では無かったのです。「宇宙戦艦ヤマト」がヒットしたのも子供達には戦艦大和って凄かったんだぁという知識があればこそで
uniuni @wander__wagen 2018年8月18日
nanmosan 苦しみから死を以て抜け出したくなるのも総力戦が褒められた作戦じゃないのも事実だろうが、覚悟が薄っぺらいかどうかなんて判断材料のハの字もないだろ
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年8月18日
大昔の貴族の縄張り争いから、国家の総力戦になると国としての生産性を叩くのが「戦略爆撃」とか戦略的な攻撃になるわけで、生産性=一般市民なのだから非軍人を殺す事が戦略になるわけで、まぁ惨い時代だよね。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2018年8月18日
「田舎の戦争体験は、よく語られる都会人視点の体験とは少し違うのではないか」 - Togetter https://togetter.com/li/833918
k.takk @JO_Lant0518 2018年8月18日
母は戦後ベビーブームの生まれなのだけれど、高卒で都会に就職した先が元将校さんの未亡人のお宅。内田康夫氏の浅見光彦シリーズに登場する、お手伝いのすみちゃんのリアル版。標準語のイントネーションや洋食を覚えたのは奥さまのお陰と話しているな。
neologcutter @neologcuter 2018年8月18日
戦争の頃だって喜怒哀楽あったに決まってるだろ。「この世界の片隅に」が万人にウケたのはそういうとこやぞ。
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