ICRP厳しすぎる論が日本で優勢になったわけ

宗教学者の島薗進氏が、「ICRP基準は厳しすぎる」という説が日本で優勢に立ったわけを①、②にわけて、さらにそれぞれを説明しておられます。続編または詳細の更なる解説をお願いしたいですね。例によってコメントは禁止にします。
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島薗進 @Shimazono

1ICRP厳しすぎる論の専門家が日本で優勢になったわけ①ICRP厳しすぎる論の専門家の多くは医学畑ではない。放射線影響学・放射線生物影響学・放射線防護学等とよばれる学問分野で学び研究を進めてきた人々。この分野は、当初は保健物理Health Physicsとよばれていた。

2012-03-25 08:08:30
島薗進 @Shimazono

2ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ①保健物理の由来についてはいくつかの叙述があるが、ここでは主に辻本忠「これまでの保健物理」(保物セミナー2009)http://t.co/gLWoggeC を参照する。保健物理は1942年のシカゴでの原子炉完成時に成立。

2012-03-25 08:09:03
島薗進 @Shimazono

3ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ①「原子炉から出る放射線及びプルトニウムのような放射性物質から作業者や研究者及び環境を物理的方法で護ための研究」。保健物理を学問体系とするのはひじょうに難しいと辻本氏は述べる。新しい学問であることと「実学」であるため。

2012-03-25 08:09:31
島薗進 @Shimazono

4ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ①そこで「人によっていろいろと見解の相違がある。また、実学であるので時代の影響を大きく受ける。」日本の保健物理研究は、1956年に発足した特殊法人日本原子力研究所の中の保健物理部から。原子力研究で研究も行うが管理部門でもあった。

2012-03-25 08:09:52
島薗進 @Shimazono

5ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ①辻本氏はアメリカの保健物理の草分け、カール・モーガンの言葉を引く。「国は研究所を助成し、研究所長は保健物理部を助成している。そして、保健物理部では部長、室長、研究員、技術者、秘書などが一致協力して仕事を進めていく」

2012-03-25 08:10:49
島薗進 @Shimazono

6ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ①「そして、その成果が直接研究所の頭脳に報告できるような組織でなければならない」軍隊みたいですね!京大原子炉研究所の初代から3代までの(?)所長だった柴田俊一が言ったように「管理優先、研究尊重」が本来のあり方だと辻本氏はいう。

2012-03-25 08:12:06
島薗進 @Shimazono

1ICRP厳しすぎる論の専門家が日本で優勢になったわけ②70年代までの保健物理は国や大学から冷遇され、地位が下落したと辻本氏はいう。京大原子炉研究所は学術的レベルが低いとの評価を受け、「研究優先、管理尊重」に方針を変えた。これは本来ではない。大学の原子力工学科内でも冷遇。

2012-03-25 08:13:44
島薗進 @Shimazono

2ICRP厳しすぎる論が日本で優勢になったわけ②そこで70年代半ばに保健物理の地位を回復させるよう要望も行われた。そして1975年に金沢大学理学部に低レベル放射能研究施設が、1976年に京都大学に放射線生物研究センターが設けられた。これからは保健物理をさらに発展させるべきと。

2012-03-25 08:14:33
島薗進 @Shimazono

3ICRP厳しすぎる論が優勢になったわけ②鳩山由紀夫首相の国連気候変動サミットでの発言を引いて、辻本氏は「この目標を達成するには原子力発電所の役割が非常に重要になる。原子力発電所を発展させるには保健物理の活動が必須である」「これからも原子力発電を発展させていくには

2012-03-25 08:14:54
島薗進 @Shimazono

4ICRP厳しすぎる論が日本で優勢になったわけ②「保健物理が活動しなければならない」辻本氏は保健物理を原子力発電は発展させるための実学で、時代の要求に応じて研究を発展させていくべきだという考えをもち、70年代半ば以降その方向での努力が積み重ねられたと捉えている。

2012-03-25 08:15:12
島薗進 @Shimazono

5ICRP厳しすぎる論が日本で優勢になったわけ②他方、80年代初め頃までは保健物理あるいは放射線防護の領域で、原子力開発に批判的な研究者がまだアカデミズムの中である程度の力をもっていた。たとえば工学部出身の安斎育郎は1969年から83年まで東大医学部に籍を置いた。

2012-03-25 08:15:49
島薗進 @Shimazono

6ICRP厳しすぎる論の専門家が日本で優勢になったわけ②安斎育郎は東大医学部放射線健康管理学教室の助手を務めた(「生き越し方を振り返って」『立命館国際研究』18-3、2006)。教授等に疎んじられながらも17年間万年助手として在籍し、原子力船むつの開発を中止させたり、

2012-03-25 08:16:11
島薗進 @Shimazono

7ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ②福島第2原発1号機の設置許可処分取り消し訴訟の住民側証人として活動するなどした。日本保健物理学会では最年少の理事に選ばれ、「70 年代の後半には総務理事や事務局長を務めたこともあった」。中島篤之助・安斎育郎らの著書、

2012-03-25 08:16:54
島薗進 @Shimazono

8ICRP厳しすぎる論の専門家が優勢になったわけ②『原子力を考える』(新日本新書、1983)はICRPが健康影響を過小評価しているとする欧米学者の説を参照。安斎は「大学の外には価値観を共有しうる日本科学者会議(会員約1万人だった)の仲間たちがいたこと」に助けられたと言う。

2012-03-25 08:17:20