飯舘村: 原発災害にどう立ち向かうか - 飯舘村後方支援活動報告会 2012/03/24

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ala @w_ala

青田京子(吉倉の子どもを守る会)「8歳の娘がいる。原発事故後、全てが目に見えない汚染にさらされた、今でも後悔、路地栽培の野菜食べさせ沢水を飲ませてしまった、初めてどうやら飯舘が汚染されてるらしいと知ったのは3月15日深夜だった、17日に宮城県大崎市に自主避難した」

2012-03-24 15:59:05
ala @w_ala

青田京子「避難先で小学校にも入学。2Kの部屋に7人で生活。幸い、差別など受けたり、肩身の狭い思いはしなかった、しかし子どもながらに飯舘に帰りたいという気持ち強く、子どもの心にも影落としているのだと思った」

2012-03-24 16:01:53
ala @w_ala

青田京子「飯舘村の小学校は3校。震災後は隣町の川俣中学校に間借りをし3校合同で学校生活を送っている形。現在仮設の学校を建設中だが、建設に際しての親への事前アンケート、正確な線量の報告などは1度もありませんでした」

2012-03-24 16:02:00
ala @w_ala

青田京子「自主避難早期にした子どもには、甲状腺・内部被ばくなどの検査、異常なかったが、7月の全村まで避難できなかった子ども、親などには異常・再検査に。甲状腺検査、“腫瘍の大きさ何cmだが影響ない”と紙切れで伝えられるだけ、腫瘍の画像もみせてもらえない状況」

2012-03-24 16:02:09
ala @w_ala

青田京子「飯舘村には、まだまだ古い慣習残っている、お嫁さんが義父母を残し、先に避難などできない、行政の力でそこを解決できたのではないのか、もっと避けられる被ばくあったのではないか」

2012-03-24 16:02:23
ala @w_ala

青田京子「震災後4月10日までに、偉い先生が“100mSvまで大丈夫、外遊びも平気、飲料水1リットル飲んでも大丈夫だよ、と伝えまわられた状態」

2012-03-24 16:02:48
ala @w_ala

青田京子「行政とのやりとり、答えにならない問答の繰り返し。村民の声をと、アンケート思い切って行い、届けた、受け取っていただけたが、鬼の形相だった」

2012-03-24 16:02:55
ala @w_ala

青田京子「行政とのやりとり、答えにならない問答の繰り返し。アンケート思い切って、届けた、受け取っていただけたが、鬼の形相だった」

2012-03-24 16:03:06
ala @w_ala

青田京子「仮設校舎作っていただくのはありがたいが、常に質問にのらりくらり、線量さえ定かでない、そんな学校に通わせられない。復興会議、スポーツ選手招き…などの案、一年に一回の特別行事のために子どもを縛りつけておきたくない、その他利便性、給食費無料などのために子ども預けられない」

2012-03-24 16:03:16
ala @w_ala

青田京子「今後、お茶をのみながらざっくばらんにお母さんが胸の内を打ち明けられるような場つくっていきたい、補償、いつかはなくなる、補償に依存する形でなく、自ら切り拓き行動していきたい」

2012-03-24 16:03:26

村民の健康を考える-チェルノブイリ視察を踏まえて

佐藤健太さん (負げねど!!飯舘)

ala @w_ala

佐藤健太(負げねど!!飯舘)「4月、“負げねど!!飯舘”、立ち上げ。健康生活手帳作成、6000部作成したが、配付できたのはつい最近。配付にあたって、個人情報保護で村からは住所教えてもらえず、希望者に順次送付。行政からは18歳以下と妊婦さんのみだった」

2012-03-24 15:24:54
ala @w_ala

佐藤健太「行政からの広報物送付の際に同送することは、重量制限でできず、告知と返信用封筒同封してもらう形にしたが、その告知文すら一言一句添削うけるような形だった」

2012-03-24 15:26:13
ala @w_ala

負けねど飯舘!! 愛する飯舘村を還せプロジェクト http://t.co/IdkM1bO1

2012-03-24 15:27:23
ala @w_ala

佐藤健太「先日チェルノブイリ訪問。いろいろな人からチェルノブイリのこと聞くが、様々な立場からの言葉、自分の目でみてみたいと思った。鎌田實さんに連絡とったところ、一緒に連れていっていただけることに。トルコ経由でウクライナ・ベラルーシへ。日本チェルノブイリ連帯基金にお世話になった」

2012-03-24 15:30:20
ala @w_ala

佐藤健太「訪ねたウクライナ国立チェルノブイリ博物館、福島のコーナーできてた。失われた村、避難促されるネコを抱えたお婆さんの姿…様々な展示、福島の現実に近く、なんとこれを捉えたらいいかともどかしかった。博物館の中には広島のコーナーも」

2012-03-24 15:34:17
ala @w_ala

佐藤健太「チェルノブイリには、福島のモニュメントもできていて、向こうでは、既に広島・福島なのだなと」

2012-03-24 15:41:09
ala @w_ala

佐藤健太「チェルノブイリ省はじめ、どこへいっても、何が大変か、“ストレスだ”と。ベラルーシ、補償や土壌改良に毎年100万ドルかかっていると。土壌、キュリーの単位で、未だに測り続けていた」

2012-03-24 15:43:08
ala @w_ala

佐藤健太「ベラルーシ、正しい情報を集め、出版などもする機関、子どもの絵に詩をつけた展示なども。“食品測定、じいちゃんばあちゃん、なかなか言うこと聞かない、子どもを通じ家庭にフィードパック”というようなことも言っていた」

2012-03-24 15:45:53
ala @w_ala

佐藤健太「向こうで、ストロンチウムないから日本安心だね、と言われて、あるのにな、と思った。どんな情報が向こうに言っているのか、正しい情報が伝えられていないと、向こうから得られる情報も得られないと思った」

2012-03-24 15:47:50
ala @w_ala

佐藤健太「ベラルーシ、事故から26年経ち世代も変わり認識も変わっている、いまは市場に並んでいるものは安心という認識、ただ野生のベリーなどは食べないと言っていた」

2012-03-24 15:49:32
ala @w_ala

佐藤健太「ベラルーシは、いま“こういうこともあったけど、原発を”という説明も受けました、ハイw。市場の裏には、食品測定所があって、その様子も見せていただけた」

2012-03-24 15:51:08
ala @w_ala

佐藤健太「自分たちで判断していかなければならないという状況にある中、ひとつの自分の中の判断材料になればいいかなと思っている。これからやりたいこと、基金を募っていきたい、福島といっても広く様々な状況、低所得・シングルマザーなどの家庭に治療が必要となった場合の基金をと」

2012-03-24 15:52:51
ala @w_ala

佐藤健太「補償、地区や年齢制限、今後どのようになるかわからない状況に備えていきたい。また福島の状況シビアに見ながら、先を見据えて行動していきたいと思っている」

2012-03-24 15:53:35

質疑ほか