桜が日本を北上する時間はだいたい毎時2~3キロメートルなんだそうな。つまりは幼子が普通に歩く速度ってことになる。日本の桜の訪れが小さい幼子の神さんによるものだとしたら、ずいぶん素敵な話だよね。 kamonemo
2012-04-08 19:59:19毎年桜の季節だけ、桜を咲かせるために国中を歩いてまわるヨンウン。その姿を人間が見ることはできない。だからヨンウンはいつもひとり。 でもヨンウンはしあわせだった。 自分が咲かせた桜を見て、みんなが笑顔になるから。生きる気力をなくしていた老人も、失恋して落ち込む女子高生も、
2012-04-08 22:14:20桜を見ると、みんなふわりと微笑むのだ。自分はみんなを励ますことは出来ないけれど、自分の分身である桜がみんなに愛されて、しあわせだった。 今年も、春が来た。 ヨンウンはいつもと同じように、南から桜を咲かせるために歩き出した。 今年は、古い桜の木が数本しんでしまった。
2012-04-08 22:18:54ヨンウンはしんでしまった桜の木の前で、少しだけ泣いた。 よくがんばったね。うまれてきてくれて、ありがとう。 朽ち果てた幹を小さな手で撫でるように触れるヨンウンの手に、ふと大きくてあたたかい掌が触れた。 初めての感覚だった。どうして。僕のことは、誰にも見えない筈なのに。触れないのに
2012-04-08 22:21:59戸惑いか、それとも恐怖からか。そのどちらの感情からかはわからないが、ヨンウンはその掌の持ち主を確認するために、振り返ることができなかった。 そのうちに、ヨンウンの小さな手はその大きな手に包まれた。 「そんなに触ったら、痛くなってしまいますよ」
2012-04-08 22:25:16視線を合わせるためにヨンウンの目の前で膝をついて、若い男が優しそうな微笑みを浮かべていた。暖かい掌が、木の幹で荒れてしまった小さな手を何度も摩る。 「どうして泣いているんですか?お母さんとはぐれてしまったの?手が痛いの?」 「ちがう…」 「ならどうして?」 「しんじゃったから」
2012-04-08 22:29:23「死んだ…ああ、そうですね。この桜…」 男はヨンウンの触れている朽ちた木を、どこか眩しそうに見上げた。桜の花なんて咲いていない。幹の真中が裂けて、その木が生を終えていることを如実に表している。ヨンウンには大切な、大切な自分の分身だ。 でも、人間が見て楽しいものではないだろう。
2012-04-08 22:39:25ヨンウンは不思議に思った。自分が見えることも不思議だけれど、どうしてこの人間は、こんなところにいるんだろう。 もう少し歩いたところには、国内でも有名な桜並木が満開を迎えているというのに。多くの人間はそこで花見をしているのだろう。 その証拠に、この辺りにはヨンウンと男以外の姿はない
2012-04-08 22:41:12「昔ね、僕がきみくらいの年齢だった頃…この桜の下で、家族でお花見をしたんです。 裕福な家ではないから…家からおにぎりと、お茶だけを持って。父と母と、妹と僕。 おいしいごはんと、大好きな家族が笑顔で、そして綺麗な桜が見れて。 しあわせでした」 しあわせ、と言った男の顔は、
2012-04-08 22:45:07言葉とは裏腹にどこか寂しげだった。 「お花見をした、次の年の春でした。その日、僕は高熱で寝込んでいました。両親は薬を買いに行くために、幼い妹を連れて車を出しました。 そうして・・・・・」 ヨンウンの手に触れている男の手が、一瞬震えた気がした。ヨンウンは逆側の手で、
2012-04-08 22:48:49恐る恐る、男の無機質なほどに整った顔に触れた。こども特有の、少し汗ばんだような手が、ぺち、と小さく音を立てた。あたたかい。 「慰めてくれるんですか?きみは、優しいね」 男はまた優しげに微笑んで、今度はヨンウンの頭を撫でた。くすぐったい。 「…それから毎年、この桜をひとりで見て
2012-04-08 22:52:50ました。元々古い木だったようで、どんどん桜の花が減っていくような気がしました。でも…僕は、数少ない思い出のあるこの木が、できるだけ長生きしてくれるように、祈ってました。 でも今年、とうとうしんでしまったようですね。」 泣いてこそいないけれど、男の顔には隠しきれないほどの寂しさが
2012-04-08 22:54:58滲み出ていた。 「…大丈夫だよ。また、うまれるから」 「生まれる?」 「この木は、死んじゃったけど。また、新しくうまれるの。来年か、再来年か、わかんないけど。満開をすぎても、お兄さんはずっとここに来てくれたから。みまもってくれたから。うれしかったんだって。
2012-04-08 22:57:31「だから、はやくうまれて、またお兄さんに笑って欲しいんだって。絶対に、またうまれるから、まっててって」 言葉なんて、話したことはないけれど。ヨンウンは、目の前の男に笑って欲しかった。きっと、すごくすごく悲しい思いをしてきた、この綺麗な男に。 「…ありがとう。じゃあ、この桜に伝えて
2012-04-08 23:00:12「僕は、ずっと待ってるから。いつになってもいいから。 その代わり…一度だけ、天国で桜を咲かせて欲しいんです。父と母、妹が、笑顔になるように」 男はもう、綺麗な笑顔だった。ヨンウンは胸のあたりが、やわらかくて、あたたかいものに包まれていく気がした。 「…うん。絶対、咲かせる」
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