森田貴英さんの「共感」と「同情」の違いに関するつぶやき

少々前のつぶやきですが、放り込んでいたのでちょっとまとめてみました。 森田さんには、いつも考えさせてくれるつぶやきをしてくれるので、嬉しいですね。 「共感」と「同情」、ちょっと油断すると泥沼に入りますね。感情に囚われやすい人は特に注意かな。
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森田 貴英 @moritatakahide

映画「降りてゆく生き方」にも来てくださった方が、ブログで「共感と同情は違う」ということを書いていた。http://t.co/EvlCKCiA

2012-04-11 09:41:02
森田 貴英 @moritatakahide

たしかに、「共感」と「同情」を混同している人が多い。「同情」とは文字通り、「感情を同じくする」こと。すなわちそれは、「ふたりとも、感情に支配されている状態」を意味する。感情に支配されてはもはや打つ手はない。二人で一緒に失敗へとひた走るしかない。

2012-04-11 09:43:10
森田 貴英 @moritatakahide

「共感」とは、すごく簡単に言ってしまえば、「理解」である。他者の体験や行動について、そうすることが当然であると深く納得しているような心理状態である。それは相手の話しを聞いて「なるほどね~」というような心理状態である。感情的ではなく、客観的理性的である。

2012-04-11 09:47:18
森田 貴英 @moritatakahide

相手に同情しているというのは、相手の語りが刺激となって、自分の感情にスイッチが入っているだけの話しである。そのとき相手は、刺激の原因物に過ぎず、主役は相手から自分へと転化してしまっている。感情に支配されると、そういう状況が生じてしまうのだ。

2012-04-11 09:48:54
森田 貴英 @moritatakahide

「共感」をするには、「真の意味での共感」というものを「あなた自身が経験」するしかない。それは、あなたが「共感」したときに、「それが共感ですよ」と誰かに指摘してもらうか、あるいは、あなた自身がだれかに共感をしてもらって「これが共感なのだよ」と教えてもらうか、どちらかである。

2012-04-11 09:51:02
森田 貴英 @moritatakahide

私が発見した、人間の学習成長のプロセス。①まず体験・体感をする。②次に、その体験・体感を分析・整理する。

2012-04-11 10:00:01
森田 貴英 @moritatakahide

なので、「教育」とは「体験・体感の場を提供すること」がまずは決定的に大切なのである。それがあって、その体験・体感からエッセンスを抽出して応用可能なものとしていく。学習とはそれに尽きるのだ。

2012-04-11 10:03:14
森田 貴英 @moritatakahide

「出来る」ようになるには、まずは、「出来た」経験がなくてはならない。出来た経験があって、はじめて、なぜ出来たかを分析整理できる。知識や情報を頭に詰め込んでも、絶対に出来るようにならない。

2012-04-11 10:04:27
森田 貴英 @moritatakahide

そこまで分かってくると、人間の潜在力を引出して成長させることは、決して難しいことではない。それだけに、間違ったやり方をして苦しんでいる人を見ると、かわいそうに・・・と思ってしまう。

2012-04-11 10:05:33
森田 貴英 @moritatakahide

たとえば、「仕事ができるようになりたい!」と願っている人は、「仕事が出来る状態を体験体感できる場」が必要である。ところが、大企業にはそういう場がない。従って、大企業にいても、仕事が出来るようにはならないのだ。

2012-04-11 10:06:52
森田 貴英 @moritatakahide

「出来る場」に行けば、だれしも「出来る」ようになるのだ。そこには、あらゆる成功のエッセンスが詰まっている。かつてそれは、「遊び」「手伝い」という場であった。

2012-04-11 10:08:26
森田 貴英 @moritatakahide

「遊び」には、ありとあらゆる「成功」のエッセンスが詰まっている。というか、「遊び」そのものが「成功」なのだ。だから、「仕事」を「遊び」としてやれれば、絶対にうまくいくのだ。

2012-04-11 10:09:15
森田 貴英 @moritatakahide

「仕事」を「仕事」としてやるとそれは、「苦役」にしかならない。日本のビジネスマンの多くは「苦役」をしているように見える。

2012-04-11 10:11:01
森田 貴英 @moritatakahide

「共感」というものを誤解している人に対して、「共感」と「理解」を分けて説明することは無意味です。なぜなら、「共感」というものが分かっていないのだから、「共感と理解は別物です」という説明をしたところで、それこそ「共感」も「理解」もできなくなるのです。

2012-04-11 10:30:42
森田 貴英 @moritatakahide

気付かずに間違ったやり方をして苦しんでいる人を見ると、やはり、かわいそうだなあ。。。と思ってしまいますね。自分が間違ったやり方をしていることに気付かず、むしろそれが正しいと誤信しているわけですから。

2012-04-11 12:03:35
森田 貴英 @moritatakahide

自分が苦しいことから脱却しようとするがゆえに、「社会を変えよう!国を変えよう!」というすごくスケールがデカい方向に行ってしまう人が多い。まるで蚊がうっとおしいからマシンガンで撃ち落とそう!という話です。まずは自分が苦しい状況から脱却してはいかが、と私は思うのですけれども。。。

2012-04-11 12:05:49
森田 貴英 @moritatakahide

「共感」と「同情」を取り違えている人は、実は、「他者から同情して欲しいと思っている人」である。自分が欲しがっているから、他者も当然に欲しいはずだと思い込んでいるのだ。

2012-04-11 13:50:54
なえころりん @WitWitchy

正誤の基準はどうなります? RT @moritatakahide: 気付かずに間違ったやり方をして苦しんでいる人を見ると、やはり、かわいそうだなあ。。。と思ってしまいますね。自分が間違ったやり方をしていることに気付かず、むしろそれが正しいと誤信しているわけですから。

2012-04-11 16:14:02
森田 貴英 @moritatakahide

正誤の基準は、「あなたが『苦しい』と感じているか否か」です。苦しいなら、誤りの道を行っています。

2012-04-11 16:59:25
森田 貴英 @moritatakahide

「正しい」「正しくない」の基準を「思考」にしてしまうと失敗する。正誤の基準は思考ではなく、「感覚」にすべきだ。「苦しい」のであれば「誤り」であり、「苦しくない」のでは「誤りではない」ということである。

2012-04-12 15:55:39
森田 貴英 @moritatakahide

「誤り」即ち「苦しいという感覚が発生している」のであれば、「なぜ苦しいのか」ということを分析考察するのだ。すると、苦しさの発生原因が見えてくる。その原因を除去すると、苦しみは消える。つまり、「誤り」が解消されて「誤りではない」状態へと進むことが出来るのだ。

2012-04-12 15:56:47
森田 貴英 @moritatakahide

「脳」や「思考」はごまかせる。しかし、「感覚」や「感情」はごまかせないのだ。

2012-04-12 15:57:20