- Sasarin_Mayuge
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ぷろろーぐ
ねさぎは諸般の事情で日本史のべんきょうをしたことがないよ! でも今は大学生 (きゃー ねさぎさんったらかっこいー!) なので、日本史の基礎ができてないと困ることがでてきたんだよ。だから集中自習大会を開催することになりましたっ。ぱちぱちぱち
2012-04-21 01:10:19原始時代だよ。みっつにわけて把握するよ
まずは原始時代からだよっ。原始時代、ってひとことでいうけど、だいたい 3 つに分かれてるんだって。何がどの時代にあったか、っていうのを区別して覚えるのがポイントなんですって。
2012-04-21 01:11:49原始時代パート 1 は、先土器時代。土器が作られる前の時代だから 先・土器 だよっ。この呼び方は日本史の呼び方で、この時代は考古学では旧石器時代、って言うらしい。さっそくややこしてげんなりだぜーっ (´Д`)
2012-04-21 01:13:38先土器時代のつぎ、原始時代パート 2 は、縄文時代 (考古学では新石器時代)。パート 3 は弥生時代というふうに区別されてます。さて、んじゃそれぞれどんなだったかー。
2012-04-21 01:16:43原始時代のことは歴史といっても、考古学でだんだん解明してきてることなので、よくわからないことが多いよ。パート 1 の先土器時代は氷河時代だったりとかして、今とは地形も生態系もちがったんだって。
2012-04-21 01:19:30使っていた道具は打製石器といって、カンカンとぶつけた欠けらを使っていた感じ。どうぶつも大型で、そのどうぶつを追いかけて狩る、移動する生活。洞穴とか小屋とかで暮らしてたらしいよ。
2012-04-21 01:21:53パート 2 の縄文時代になるのは 12000 年前とか 10000 年くらい前とからしい。まだ石器を使ってるけど、この頃には磨製石器といって、磨いて鋭くしたものを使っていたらしい。
2012-04-21 01:23:36この頃には氷河期もおわって、水面があがり、陸地だったところが海になったり。日本が大陸から海で切り離されたのもこの頃らしいよ。そうすると生態系もかわり、大型どうぶつじゃなくて鹿とか猪とかの中型どうぶつを狩るようになるよ。
2012-04-21 01:24:55大型に比べてすばしっこいどうぶつを狩るので、弓が発明されたりしたらしい。大型どうぶつのときみたいに追いかけて移動する必要がなくなるので、定住することにもなる。穴を掘って屋根をつける。竪穴住居というそうな。
2012-04-21 01:26:31紀元前 4 世紀くらいからを弥生時代、って呼ぶよ。青銅器と鉄器が伝来してきたり、稲作がさかんになったりして大きい変化があるよ。
2012-04-21 01:29:08稲作は最初は湿ったところに植えてたんだけど (湿田)、湿ってるってことは日当たり悪いってことなので、次第に日当たりのいい乾いたところに田んぼを作って (乾田) 水をひいたりするようになった。
2012-04-21 01:30:23稲ってさ、1 年に 1 回しか取れないよね。だから貯蔵の必要がでてきたよ。ねずみに食べられないように&風通しをよくして腐らないように、床を地面から高くあげる (高床倉庫) とか。あったまいい~!
2012-04-21 01:31:46生きるには食べ物が必要。食べるものであるところの稲を作る稲作には土地が必要。ということで、土地の支配、ということに価値があると考えはじめるよ。さらにいうと米は蓄えられるものなので、資産を持つ、という考えもできる。
2012-04-21 01:33:59ひとは自分の権力を示したいと思ういきものなのだな~。お墓は単にどっかに埋まってるものから、埋めたところがわかる形状になり、まわりを掘ったり盛ったりして目立たせるようになったらしい。
2012-04-21 01:36:19ここから弥生時代だよ
そんな感じでお墓が派手になっていきつつ、弥生時代に突入だよー。紀元前 1 世紀から数百年は、日本はまだ文字を使ってないので、中国の文献に載ってることだそうだよ。
2012-04-21 01:39:43中国の歴史書はまず司馬遷が太史令として記した史記があって、それにならって紀伝体で歴史が記されることになった。前漢時代には漢書が書かれ (1 世紀頃)、その中 の「地理志」に倭 (日本) のことが少し書かれているよ。
2012-04-21 01:46:01その頃の倭は 100 余りの国にわかれていたらしい。土地に価値ができ、財産の差もできてきたから、権力抗争が多かったんだろうね。
2012-04-21 01:47:00ところでなんでこの頃の日本のことが中国の歴史書に書かれてるんだべ?ってことだけど、どうやら朝鮮半島にあった楽浪郡という中国の植民地に使いを送っていたひとたちがいたから、ということらしいよ。
2012-04-21 01:48:42中国の次の歴史書は後漢の後漢書。その中には「東夷伝」という巻があって、日本の呼び名は「奴国 (なこく)」となっている。この奴国の王が中国の光武帝に使いを送って、印綬 (役人が持ってる紐付きの印鑑) を授かったらしい。 役人と認められたってことかな。
2012-04-21 01:51:42あと、107 年に帥升 (すいしょう) というひとが、生口 (奴隷のこと) を 160 人献上した、っていう記録も残ってるらしいよ。承認欲求ヒッシダナ
2012-04-21 01:53:45次の歴史書は、三国時代の三国志。日本 (邪馬台国) が交流があったのは三国のうち魏なので、魏志に、倭人伝という記録が残っているんだって。
2012-04-21 01:55:34