「展覧会」と「作品」本質主義

尾崎信一郎氏( @shnchrOSAKI )の連ツイまとめ 展覧会ドラフト2013 http://www.kac.or.jp/bi/1003 フェルメール・センター銀座 Vermeer Center Ginza 続きを読む
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shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

「展覧会ドラフト」という試みに関連して、来週、京都で講ずるレクチュアの準備中。展覧会とは何かという問題について話す予定だ。内容を告知するチラシに次のようなパッセージで始まる文章を寄せた。「展覧会の本質は展示された作品にはない。それは作品の選択と配置という操作である」

2012-04-21 22:15:01
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

選択と配置とは言語学の用語を用いるならば、連合 paradigmatique と連辞 syntagmatique である。展覧会とはその場にない作品との潜在的な関係、隣接する作品相互の顕在的な関係の緊張の中に成立している。展覧会において作品の意味とは関係の中にしか存在しない。

2012-04-21 22:27:05
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

しかし、今日展覧会に並べられた作品があたかもそれ自体で意味をもつとみなす、本質主義的な発想に基づく「展覧会」がいかに多いことか。不在の作品に思いをはせることも、展示された作品相互の関係を思考することもなく、ただ一点のフェルメールに跪拝することを求める「フェルメール展」の隆盛。

2012-04-21 22:34:54
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

見る側であればまだよい。展覧会を企画する側にもこのような本質主義が蔓延しているのではないか。作品相互の関係として展覧会を組織するのではなく、「フェルメールの名作」をわざわざ海外から借用したのだから見に来いといういわんばかりの傲慢な展覧会を私たちはどれほど経験してきたか。

2012-04-21 22:44:29
shnchr OSAKI @shnchrOSAKI

挙句の果てにはフェルメールの専門家を自称する生物学者が監修した、フェルメールの(贋作ではなく)偽物を一堂に集め、入場料を取るという「展覧会」が開かれたと聞く。明いた口がふさがらぬとはこのことだ。「作品」本質主義の成れの果て。

2012-04-21 23:03:38